聖女と少女
イニティに戻る途中は見知らぬ冒険者にべへモス討伐のお礼を言われたり、実際にどのように討伐したのかと聞かれたり忙しかった。
この世界に来てからは人見知りする暇が無かったが、あまり深く関わっていない人たちに自分の事を褒められたり、感謝されたりするのは何かこそばゆい感じがした。
そんな対応をしながらもどうしても気持ちは上の空になってしまう。イニティのテュルカ教会に戻れば母さんに会える。あの奇跡のような歌と魔法を使いこなす聖女様が僕の母さんだなんて、とても誇らしいし凄いことだと思う。
「やっと落ち着いたわね。冒険者ってどうしてこうも興味津々って奴が多いのかしら」
「セレスだって昔はキラキラした目で塔を眺めて、あの先にはどんな世界が広がっているんだろうって探求心の塊だったじゃないか」
セレスさんを揶揄うようにアーサーさんが喋りかける。そんな風にいったら……あ、遅かった。すでにアーサーさんの右半身は凍り付いている。
「痴話ゲンカはよそでやれ。犬も食わん」
オウガの一言で場は収まった。きっとオウガはキヅナさんと共にこのメンバーに居た時もこんなやり取りがあったんだろう。そんなお決まりのような会話は隣で聞いている僕ですらどこか心地よかった。
「それにしても、一言ぐらい挨拶してから戻っても良かったと思わない?」
「そうだね、感動の再会なのに、声も掛けずに去ってしまうなんて。何かあったのかい?」
凍結状態から抜け出したアーサーさんの問いかけに僕は言葉を詰まらせてしまった。何か問題があった訳ではない。母さんと出会った事が無かった事のようにされてしまった事が問題なのだ。
「聖女様は……母さんは僕の事に気付いていたみたいでした……」
「それなのに?」
「黒衣の男が遮ってそのまま転移してしまったのだ」
オウガは、言葉を詰まらせてしまった僕の代わりにセレスティルさんとアーサーさんに説明した。
「なんか嫌な予感がするわね。アーサーもそう思うでしょ?」
「うーん、そうだね。少し急いだほうが良さそうだ」
「それじゃ早く帰りましょ。みんな私に捕まって」
これから起きることが分からない僕を取り残してアーサーさんとオウガはセレスティルさんの肩に手を置いている。
「もう、早くしてよ!」
腕を強引につかまれた僕はそのままよろけてセレスティルさんの豊満な胸に飛び込んでしまった。
「うゎっ! ごめんなさい!」
僕の小さな悲鳴は時間と距離を飛び越えて、気付いた時にはすっかり元通りになったイニティの街並みと人込みの中に居た。そして目の前にはイニティの教会のがあり、目的地のすぐそばにいた。
「へ?」
素っ頓狂な声をだして驚く僕。その横からアーサーさんの咳払いが聞こえてきたので、慌てて密着していたセレスティルさんから離れた。
「私は構わないのよ?」
そんな冗談で僕を抱きしめたままにしようとしているセレスティルさんを横からアーサーさんが引き寄せた。美男美女でどんな状況でも絵になる二人だ。
「ハルカ君、早くお母さんのところに行きなさい」
アーサーさんがセレスティルさんを引き留めている間に僕は教会の中へ向かった。
教会の中もあれだけ怪我人で溢れかえっていたのが嘘のように静謐な空間が広がっていた。
ルガンさんやクロエも気になるが今は母さんだ。ミナートさんの部屋に皆居るかもしれない。この状況を確認するためにもミナートさんに会わなければ。
ミナートさんの部屋の前には、前にも見たことがある僧侶の男性が落ち着かない様子で立っていた。
「すみません! ミナートさんはいらっしゃいますか?」
「これは! 選定者どの! 今はその、ミナート様とレン様の会談中でして……あっ!」
そんなことはどうだっていい。今は早く母さんに会って謝らなければいけない。
ドアに手を掛けて勢いよく開けた。
皮張りの応接用ソファーに腰掛けるミナートさんと黒衣の男が目に入る。聖女様、母さんの姿は見当たらない。
「これはこれは、お早い到着で! 先ほどの化け物討伐はお見事でした。ご挨拶が遅くなり申し訳ございません。私はレン・クリストファーと申します、以後お見知りおきを」
黒衣の男がぺらぺらと流暢な挨拶しているが、僕はそんなものを聞きに来たわけではない。
「ミナートさん、突然押しかけてしまって申し訳ありません。聖女様はどちらですか?!」
「選定者どの……」
なぜが険しい顔をするミナートさんに違和感を覚えながらも今度はレンと名乗る黒衣の男に尋ねた。
「レンさん、でよろしかったでしょうか? 先ほどは突然の出来事で驚いてしまいましたが聖女様は僕の母親なんです! 今はどちらでしょうか?」
「それはそれは、驚きですな! まさか聖女様に子供が居ただなんて!」
会話は噛合わず、話がずれたまま進んでいく。驚いた表情から黒衣の男はイヤらしく歪めた顔で僕を上から下まで眺めている。
「化け物殺し殿は選定者でもあらせられるということは、聖女様に呼ばれてこちらに来られたいう事ですな。やはり聖女様の騎士様ということですか、実に素晴らしい」
男はもったいぶりながら拍手を打ち鳴らし大袈裟な態度で僕に喋る隙を与えない。そして十分な間をおいてピタリと手を止めた。拍手を止めた男の嫌味な表情は何処かで見たことがある気がするが思い出せない。
「ですが、これ以上聖女様に近づける訳にはいきません。残念ですが、聖女様を元の世界に連れ戻すのを諦めていただきたいのです」
一瞬この目の前の男が何を言っているのか僕には分からなかった。嫌味な顔がさらに笑みを湛え始めた頃に僕の身体を巡る血が激流となって駆け巡った。
アーティファクトと宝珠によって鎮めれらていたマナの奔流が身体中から漏れ出る程に膨れ上がり、その激しい奔流は血管を傷付け、神経を蝕み、その凄まじい痛みで僕は動けなくなっていた。
「これは素晴らしい力ですな! 自らの身体すら傷付けてしまうほどの力が内包されているとは! それゆえにとても残念です、このような力を持ちながらも聖女様をこの世界から奪い去ろうとする逆賊に落ちようとはね!」
「ハルカ殿、落ち着いてください! クリストファー! いい加減にしなさい!」
ミナートさんが叫んでいるようだが僕にはなにも聞こえない。
「ヤツヲ、コロセ」
突然に僕の内側から聞こえてくる籠った声。その声が僕の腕を前に掲げさせた。腕を持ち上げるだけでも吐き気が込み上がってくるほどの激しい痛みの中、僕は僕の心の奥底の声に従いマナを放出し魔法陣を描いていく。
右手から展開されていく魔法陣は部屋の光を飲み込み、その中で魔法陣だけが鈍い光を放っている。僕が描く魔法陣は僕の知るものではなく、僕の意志とは関係ない働きをしている。
激しい頭痛の中で僕が感じた事といえば、どことなくクロエがはじまりの塔で作ってくれた色鮮やかな魔法陣にそれは似ていたということだろうか。
部屋の中はいつの間にか真っ暗になり、ランプの明かりも、すっかり無くなり、鈍く光る魔法陣の光で満たされていた。
「消えろ!」
僕の中で何かがはじけ飛んだ。
そして同時に黒衣の男もはじけ飛んだ。
はじけ飛ぶ瞬間の男のムカつく笑顔はやはり思い出せないが誰かに似ていた。
魔法陣はその発動と共に跡形もなく消え去り後には苦渋に満ちた顔をするミナートさんと僕の二人きりになってしまった。
「ハルカ殿……すまない……」
ミナートさんはなぜか僕に謝った。これから起きることを先に謝罪しているようだ。僕はなんとなくそれが分かったし、ミナートさんもそれが仕方がないことだと分かっている。
「ハルカ殿、いいですか、落ち着いて聞いてください。間違っても私をクリストファーのように消してしまうのだけは止めてください。この真実を知るものが誰もいなくなってしまう」
そう、そこからミナートさんが語った通りのことが僕に襲い掛かるとは思いもしなかった。
男を跡形もなく吹き飛ばした僕は体内のマナを全て宝珠に吸わせてようやく落ち着いた。
全身を駆け抜け続ける痛みが僕の意識をこの世界につなぎとめていた。
ミナートさんは動けない僕に説明してくれた。
クリストファーという男について、僕が指名手配となっている事、これからは一人で生きなければ成らないこと、クロエとルガンが攫われたこと、朦朧とする意識と激痛に襲われる僕にミナートさんの説明はまったくと言っていいほど入ってこなかった。
「選定者どの、もう時間がありません。私はセレスほど得意ではないのですが、仕方がありません。オウガ、私が行くまでかならず引き留めるのですよ」
「やむを得んだろう」
「それではハルカ殿、どうか気を確かにお持ちください」
優しい光が僕を包み込み、その淡い光とは裏腹に僕の身体が悲鳴をあげている。
血管が、神経が千切れた場所が無理やりつなぎ合わされるような感覚と激痛。ミナートさんの回復魔法だろう。
そしてまた周囲の景色は歪み、教会にあったはずの僕の身体は見知らぬ場所に転移させられていた。ふかふかのベッドになげだされた僕の身体は鉛のように重く、意識は沼に落ちていくようだ。
「今は眠るがよい」
オウガの声が聞こえたが返事する気力も起きずに僕の意識は麻酔を受けたかのように滲んでいった。
「さて、最悪のシナリオだ」
オウガの独白を受け止めた小さな部屋にはハルカに似た少女の描かれた絵が飾ってあった。
「もう一度此処に来るとは思わなかったな」
埃の積もった調度品を懐かしそうに眺めるオウガ。ハルカの寝顔を確かめたオウガは部屋を出て迷いなく地下に続く道を進む。
階段を降り、整理整頓された書架を次々に通り過ぎていく。天井と床をつなぐ円柱状の水槽のようなケースに浮かぶ少女がオウガを見つめている。その眼にはオウガが映っているが何も反応がない。
長い髪の毛を水槽の中で遊ばせる少女の表情は無機質で整った顔立ちがどこか作り物のような人形っぽさを醸し出している。そして、そのすらりとした裸体は一言でいうと完璧だった。
「イヴ」
オウガの呟きは書庫に響くが、オウガ以外の誰かに届くことは無かった。
「お前を起こす時が来たよ」
オウガは自らである刀を抜き放ちガラス質の水槽を切り裂いた。
大きな音を立てながら水槽は砕け散り、少女はオウガに抱き留められていた。
少女は変わらず無言でオウガを見つめたままだった。
誰も知らない地下室で物語は進んでいく。
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