第8話 塵が積もって金になる
「ここが、うちの商会場だよ」
「っ……!?」
オスカーが扉を開けた瞬間、ぶわっと、さまざまな香りが鼻をつく。
王宮の広間のようなそこには、花や香辛料、野菜、果物、生地、宝飾品……さまざまな品が所狭しと並べられていた。荷物を運び入れ、別の荷物を運び出す。帳簿に何かを記載する人もいれば、周囲から何か紙を集めている人もいる。
誰もが忙しなく動き回って、言葉を交わす。中には、聞いたことのない言葉も混じっていた。
今ここで、どれだけのお金が動いているのだろう。自然と、心臓が早く脈打った。
これが、ソロ商会……。
「さあ、こっちだよ」
「え、えぇ……」
オスカーに促されて、わたくしは商会場の中央にある広い通路を進む。
一歩足を進めるたびに、痛いほどの視線が、わたくしに突き刺さった。皆一様に、オスカーの新しい妻に興味があるのだろう。当然よね。こんなに歳の離れた妻を娶ったのだから。
けれど、それより――
(鼻が痛くてたまらないわ……!)
思わず、眉間にシワがよる。
失礼だとはわかっているものの、わたくしはつい鼻を手で覆った。
さまざまな品物の匂いが混ざって、鼻が痛いだけではなくて涙が出てきそうだった。
「すごい匂いですわね……」
「あぁ、香辛料の香りか。慣れないと辛かったね。すまない」
「いえ、街では平気だったのですけれど……」
「できるだけ換気はしているんだが……これだけの量があると、どうしてもね」
申し訳なさそうに、オスカーはわたくしの顔を見ると「早く終わらせよう」と言って、順番にわたくしを仕事仲間に紹介していった。
仕入れ、交渉、販売、営業、倉庫番、船長……短時間で、色々な立場の責任者の方とあいさつを交わす。
あとどのくらい、これが続くのかしら?そう思いながらオスカーの顔を覗き見たものの、オスカーは視線だけこちらに向けて、目尻にシワを寄せて笑うだけだった。
仕方がないのでオスカーの後ろをついて歩きながら、出会った方にあいさつをして、また移動する。何度も同じセリフを繰り返したせいで、口が疲れてきた。
けれど――。
「ここが、最後だよ」
それも、ようやく終わりらしい。
オスカーが最後だと言って案内したのは、二階にある小さな部屋だった。入り口には『会計室』と札がかかっている。
……ということは、ここに商会で動いたお金の流れが、全て集約されているのね。そう考えただけで、心臓が大きく跳ねた。
オスカーはドアをノックすると、返事も待たずに中へ入っていく。わたくしも、おそるおそるその後へ続いた。
「っ……!」
部屋の中には、商会場とはまた違ったものが、部屋の中いっぱいに積み上がっていた。
どこを見ても紙、紙、紙……。数字の書かれた書類が、山のように積まれている。その真ん中に置かれた机の上で、ぼさぼさの黒髪をしたメガネの男性が、ぶつぶつと何かを言いながら、ひたすら手を動かしていた。
この方が、オスカーが最後と言っていた方かしら?
「ニコル、少しいいかい?」
「……すみません、オスカーさん。あと数分だけ待っていただけますか?」
男性はオスカーの方を見ることなく、早口にそう言うと、机にかじり付いたまま作業を続ける。オスカーもオスカーで、無理に止めるつもりはないらしく、わたくしに「少し待っててくれ」とだけ言って、黙って部屋の端で男性の作業が終わるのを待った。
「ふぅ……」
しばらくして、男性はゆっくりとペンを机に置いた。
そして体を起こすと、メガネを外して目頭を押さえる。
「すみません、先日上がってきた収支が合っていなかったので、原因を探していて……。なんでしょう、オスカーさ……」
メガネをかけ直した男性は、オスカーに対する敬称を言い切る前に、口をポカンと開けて固まってしまった。
何かあったのかしら?とわたくしが首を傾げると、わたくしと目があった男性は、急に顔を真っ赤にした。
「そうだったのか。忙しいところ悪いね。君に、フェリシアを紹介しにきたんだ」
「そ、そそそそそうですか!あ、ありがとうございます、オスカーさん!!!初めまして!……と言っても、結婚式でお見かけしたので、厳密には初めて……ではないのですが!自分は、会計のニコラス・シャイラスと言います!みんなは、自分のことをニコルと呼びまふ!!!」
ニコラスと名乗った男性は、どもって舌を噛む。
見た目は三十前後くらいかしら。これまであいさつをした方は、どの方も商会で働いている方らしく、とてもしっかりしていた。それなのに、このニコラスの慌てぶり……。しかも、会計係?商会の中で、一番しっかりしていなければならない仕事のはずなのに、どこか抜けているのが可笑しくて、つい笑ってしまう。
「そう、ニコルね。ごめんなさい、結婚式のことは覚えていなくて……フェリシアですわ」
わたくしが手を差し出すと、ニコルは急いでズボンで手を拭って、力強く握手をした。
しっかりと拭っているはずなのに、それでもニコルの手はうっすら汗ばんでいる。いったい、何をそんなに緊張しているのかしら?
「ニコル、もう少し握手は優しくするものだよ。特に女性には」
「す、すみません!!!あまり女性と接する機会がなくて……」
そう言うと、ニコルは慌ててわたくしから手を離した。
「いいえ、構いませんわ。面白い方ですのね」
「あ……ありがとうございます。け……結婚式の時にも思いましたが、本当に……綺麗な方だ……」
「そう?ありがとう」
照れて髪をかくニコルに、わたくしはにっこり微笑む。するとニコルの顔は、より一層赤みが増した。
「フェリシア、勘違いしないで欲しいんだが、こう見えてニコルはうちで一番優秀でね」
言いながら、オスカーは後ろからニコルの肩を掴む。
「そ、そんな……ッオスカーさん……!」
「何か困ったことがあったら、彼に相談するといい」
照れるニコルに対して、オスカーは柔らかく笑っていた。
よほど、オスカーはニコルのことを信頼しているのね。
「そうだニコル、この後少し時間はあるかい?」
「あ……はい。少しだけでしたら……」
「少し、フェリシアにここを案内してやってくれないか?」
「……へ?ぼ、僕がですかッ?!」
急にニコルの声が裏返る。
本当、面白い方ね。
「私はこの後、確認しないといけない書類があって、時間が取れなくてね」
「へあ……ッ?!そ……それでしたら……。わ、わ……わかりました……!!!」
「フェリシアも、ゆっくり見ていってくれ。ニコル、フェリシアを頼んだよ」
そう、オスカーはニコルに案内を頼むと、扉を出てどこかへ行ってしまった。
紙だらけの部屋に、わたくしとニコルだけが取り残される。
「じゃ、じゃあ……案内しますね……。こっちです」
ニコルは早口でそう言うと、わたくしと一切目を合わせないまま、足早に部屋を出た。その後ろを、わたくしは黙ってついていく。
いったい、どこへ連れていってくれるのかしら?
そう思いながらついて行った先にあったのは、会計室と同じ二階にある広い廊下だった。けれど、ただの廊下ではない。長い廊下の片側は大きく壁が空いていて、先程までいた商会場を一望することができる作りになっていた。
あぁ、そういうことね。
これなら客人がきた際に、この商会の説明をしやすいわね。オスカーらしいわ。
窓の前に立って、わたくしはゆっくりと商会場を見下ろした。二階にいるせいか、香りも幾分マシだった。
商会場は、品物によって区画が分かれているらしい。上から見るととてもよくわかる。
「下にいたときは香辛料ばかりかと思ったけれど、こうして見ると花も多いのね」
「あ、はい……花はメインの輸出品なんです。ふぇ……フェリシアさんは、インドラ……という国は、ご存知ですか?」
「いいえ、初めて聞くわ」
「西にある、大きな国……です。そこでは冠婚葬祭はもちろん、日常的に何事にも花を使うらしいんです。生活の中で、花はとても重要なものらしくて……。なので、こちらだけに咲く花を輸出して、インドラからは、香辛料を買っているんです……」
「……なるほど」
他国で需要の高いものを輸出して、利益を得る。
やっぱり、商売は顧客のニーズを考えてこそ……よね。
香辛料だなんて、王都では貴重品だわ。それが文字通り、売るほどあるんですもの。儲かって当然だわ。
そっと、窓枠に手をつく。
活気のある声が、ここまで聞こえてくる。その声を発している人たちは皆、まるで働き蟻のように忙しく動き回っていた。
「ここで働く人たちは大変ね……。体力がないとできないわ」
「そ、そうですね……!下、の人たちは、商品を動かすので……と、特に力がいると思います。ぼ、僕はデスクワーク、中心……ですが。でも、でもそれが彼らの仕事です……から!!」
「……そうね。でも、みんないきいきしているわ」
王都の我が家の中とは、大違い。
その言葉は飲み込んで、わたくしはニコルに笑みを浮かべた。
「ねえ、他の場所も見せてくださる?」
「は、はい!喜んで!!!」
体をこわばらせながら、ニコルは大きな声で返事をする。
話し方はぎこちないながらも、ニコルは丁寧にわたくしに商会のことを教えてくれた。
商品の仕入れ、交渉、販売方法、資金の回収……商売と一口に言っても、その内容はとても複雑だった。けれど、どの話も面白くて仕方がない。
「すごい……!ニコルはなんでも知っているのね!」
「そ……そんなことありません!こ、これが仕事……なので」
「またぜひわたくしの相談にものって欲しいわ!」
「相談?」
不思議そうに、ニコルはメガネのズレを直した。
「えぇ。実はわたくし、商売を始めようと思っているの。でも、右も左もわからなくて……」
「そ、それでしたら、オスカーさんの方が詳しい……と、思いますよ?」
「オスカーではダメなの!ね、お願い」
ニコッと笑顔を向けると、ニコルはまた顔を赤く染めた。
「わ……わかりました。こちらの業務に支障のない範囲で……でしたら」
「ありがとう、ニコル!」
はしゃぐわたくしに対して、ニコルはまたメガネのズレを直しながら、顔を背ける。少しだけ見えた耳は、真っ赤になっていた。
「……えっと、これで全部……です。後は、ここのオスカーさんの部屋ぐらいで……」
「そう。オスカーはここにいるのかしら?」
「多分、そうだと思いますよ」
「ありがとう、ニコル。とても楽しかったわ」
「お、お役に立ててなよにり、でふ!で……では、僕はここで……ッ!」
そう言って、ニコルはわたくしに一礼すると、来た道をそそくさと戻って行った。
一人残されたわたくしは、目の前の部屋……オスカーのいる会長室の扉を叩く。すぐに返事があったので、わたくしは名前を伝えた。
「入ってくれ」
そう言われて、わたくしは会長室に入る。
中は屋敷にあるオスカーの書斎に比べると、少しだけ広い。そして、調度品も並んでいた。
何よ。
ここではそういったものも揃えるんじゃない。
「どうだったかな?」
こちらを見ずに、オスカーは手紙の仕分けをしながら問いかける。
わたくしは姿勢を伸ばして、オスカーに答えた。
「とても、勉強になりましたわ」
「それはよかった」
「とても多くの品物と、人を動かしていらっしゃるのね」
「商売とは、そういうものだよ」
なおも、オスカーはわたくしを見ることなく答える。
それが面白くなくて、わたくしは口を尖らせた。
「それにあなたが、商会のお金を使い込んでいないことがわかって安心しましたわ」
「そんな心配をしてたのかい?」
ようやく、オスカーの視線がわたくしに向いた。
「えぇ。だって家の資産は全部寄付に注ぎ込んでしまって、貧相な生活なんですもの。心配にもなります」
「ここの資産に手をつけるわけないだろう?それに、寄付をするのは資産が入る直前だけだし、生活費も使用人たちには必要最低限で済ますように伝えている」
「それでしたら、食事の際に一品くらい増やしていただきたいわ」
「それは伝えておこう」
そんなたわいもない会話をしていた時だった。
ふとオスカーの手元を見ると、そこには見覚えのある印章が押された手紙があった。
これって……。
「王家からの……手紙?」
つい、ぽろっとこぼしてしまう。
わたくしの声を聞いて、オスカーも手元の手紙に視線を移した。
「あぁ、これかい?」
そう言って、オスカーは手にしていた手紙を、わたくしに渡した。
黙ってそれを受け取ると、わたくしはすでに封の切られている中をあけて手紙を取り出す。そして内容に目を通した。
「春の舞踏会の招待状だよ」
「王宮で年四回ある、あの舞踏会ですわね……」
わたくしも、昔行ったことがありますわ。
ナヴィガトリア王国で社交界デビューといえば、この舞踏会ですもの。
でも……。
「最近は、貴族以外も招待されるのね」
わたくしが行った時には、貴族しかいなかったように思う。
でもお父様のことだ。もしかしたら貴族が集まる場所にしか、連れて行かれなかったのかもしれない。
「あぁ。ある程度、金のある人間には招待状がくるみたいだ。行ったことはないけれどね」
「……でしょうね」
わたくしは、手紙を直しながら口角を上げた。
あのオスカーですもの。こんな無駄なことにお金を使うとは思えませんわ。
「だが……」
手紙を受け取りながら、オスカーが言う。
「君は、どうしたい?」
「えっ……?」
思っていなかった問いに、瞠目する。
どうしたい……というのは、どういうことかしら?
わたくしが困ってオスカーを見つめていると、オスカーは目尻のシワを濃くした。
「国中の貴族が集まる舞踏会だ。行ってみるかい?」
国中の……貴族。
その言葉に、わたくしはハッとする。
「っ……!そう……ですわね」
けれどそれを悟られないように、わたくしは静かに答えた。
そうよ。
オスカーの言う通り、舞踏会には国中から貴族が集まる。
タラセイアで、街の様子は見た。次は、貴族の様子を見てみたら……何か掴めるかもしれないわ。
「オスカーが嫌でなかったら。ぜひ行きたいわ」
「……わかったよ。では、今回は参加するとしよう。でもそのためには……」
机に肘をついて、オスカーは指を組むとその上に顎を乗せた。そしてニヤッと、わたくしを見てイタズラな笑みを浮かべる。
「君に合う、上等なドレスを準備しないとね」
「なっ……?!」
一瞬、わたくしの脳が理解を拒む。
上等な……ドレスですって?
本当に、オスカーのこういうところが、よくわからない。
まったく……!!!
「そんなくだらないことに、お金を使わないで!それでしたら、わたくしに投資するためにとっておいてくださいな!!!」
思わず、声が大きくなった。
急に大きな声を出されて、オスカーは驚いて目を見開く。
けれど……。
「あははははは!!!」
オスカーはまた、声を上げて笑い出した。
もう!なんで毎回笑うのよ!わたくしはいたって真剣だっていうのにッ!!!
わたくしは子どものように頬を膨らませる。
けれど、オスカーにはそれさえも面白かったようで、より笑い声が大きくなるだけだった。




