第4話 嫁いだ先で皮算用
「タラセイアまでは、あとどれくらいかかりますの?」
「そうだね……順調にいけば、あと四日ほどかな。しかしそれにしても、まさかあそこで、君からキスしてくれるなんてね」
「……」
荷馬車が、石を踏むたびに左右に揺れる。その中でオスカーは、わたくしを見てニヤニヤと笑った。
王都を出てからというもの、この話を聞くのはもう何度目かしら?
いい加減、嫌になるわ。わたくしはオスカーを睨みつけながら、口を尖らせた。
「……もう、その話はやめにしませんこと?あまりしつこいと嫌われますわよ?」
「嫌われるもなにも、君は私のことを好きでもなんでもないだろう?それに、それだけあの結婚式は、おじさんには刺激が強すぎたんだよ」
自分で言っておきながら、また結婚式のことを思い出したらしい。オスカーは口元に手を当てながら、くつくつと笑った。
まったく、歳をとるとこうなるのかしら?
わたくしは言い返すのをやめる代わりに、大きくため息をついた。
結婚式が終わってすぐ、わたくしたちはちょうどタラセイアへ帰るというソロ商会の荷馬車に乗せてもらうことにした。
来た道に目を向ければ、お城はおろか城壁も見えない。広がっているのは、のどかな緑の平原だけだった。心地よい風が、わたくしのブロンドをいたずらに揺らす。
オスカーから縁談の話をもらってから、結婚式を挙げて……あれよあれよとここまできてしまった。こんなにゆったりとした時間を過ごすのは、いつぶりかしら。
わたくしは耳に髪をかけながら、ぼんやりと雲がながれていくのを見つめた。
屋敷にいた時も、時間だけはあった。けれどどうしてもお金のことが気になってしまって、いつも胸がざわめいていた。
それなのに、今はあの時のような気持ちは微塵もない。
やっぱり、お金の力は偉大だわ!
それに……あの結婚式!
お金に糸目をつけなくていいだなんて!
こんなに素晴らしいことはないわ!!!
(でも、そういえば……)
はたと結婚式のことを思い返して、わたくしはオスカーを見た。
「ねえ、オスカー」
「なんだい?」
「あの結婚式……もっと人をお呼びになればよかったのに。オスカーでしたら、知り合いも多いのではなくて?」
そう。
結婚式の際、オスカー側の参列者がとても少なかったのだ。
「あぁ……。呼ぼうと思えば呼べたんだが……」
わたくしの質問に、オスカーは少しだけ視線を逸らした。けれどすぐにまた、わたくしへ視線を戻すと、オスカーは苦笑いを浮かべた。
「とって作った笑顔を張りつけるのは、疲れるだけだろう?せっかくの結婚式なんだ。気疲れしたくなかったんだよ」
「それは……確かにそうですわね」
わたくしは小さく首を縦に振った。
オスカーの言う通り、無駄に多いわたくしの家の参列者を思えば、その方が圧倒的に楽だ。
顔も知らないような血縁者に、いちいち丁寧に挨拶をする。
わたくしも、そんなつまらないことに時間を使うくらいなら、出立準備にもっと時間をかけたかったわ。慌てて支度をしたものだから、忘れたものがないといいのだけれど……。そんなことを、ぼんやりと思う。
「さあ、そんな話よりも、君はできるだけ休んでくれよ?慣れない馬車旅に、これから向かう先も、君には初めての土地だ。今のうちにゆっくりしておかないと、持たないぞ」
そう言って、オスカーはわたくしに休むように言うと、どこから取り出したのか、ブランケットを手渡してくれた。
意地悪なのか、優しいのか……よくわからない人ね。
(そもそも、なぜオスカーはわたくしと結婚しようと思ったのかしら?)
ブランケットを受け取りながら、そんな疑問が過ぎる。
年齢のことはあれど、選ぼうと思えばある程度選べる立場でしょうに……。
けれど――
「……わかりましたわ」
けれどそんなこと、今更ですわね。
オスカーの妻は、もうわたくしなのだから。考えるだけ、時間の無駄だわ。
それよりも、オスカーの言うように体を休めておきましょう。
わたくしは荷物の一つを枕代わりにして、ブランケットを羽織るとそっと体を横に倒した。
かたごとと、馬車は揺れながらタラセイアに向かって進む。
その揺れに身を任せて、わたくしはゆっくりと目を閉じた。
***
あれから数日。道には目に見えてわかるほど、人が増えてきた。
頬を撫でる風が心地いい。その風に乗って、嗅いだことのない香りも漂ってくる。
「もうすぐだよ、フェリシア」
外の様子を確認して、オスカーはわたくしに声をかける。
もうすぐ、タラセイアに到着するらしい。
期待と不安で、心臓の音が次第に早くなっていくのがわかる。
早く……早く着かないかしら。
そう思っていた時だった。荷馬車が、ゆっくりと止まった。
何かと思ってオスカーを見れば、オスカーはまるでプレゼントを手渡す前の子どものように、わたくしを見て笑った。
「さあ、着いたよ。ここが港街タラセイアだ」
「っ……!」
オスカーに言われて、荷馬車の外へ目を向ける。その瞬間、わたくしは思わず身を乗り出した。
目の前では、王都でも見たことのないほど、多くの人が行き交っていた。市場が近いのか、あちらこちらから威勢のいい声が聞こえてくる。中には聞いたことのない国の言葉も混じっていた。
港までは、緩やかな下り坂になっているらしい。遠くの方には、大きな帆船が何隻も停泊しているのが見えた。
あの船のいくつかは、オスカーのものなのかしら?あの船を使って、どれだけの品をやり取りして、どれだけのお金が動いているのか……。考えただけで、胸がときめいてしまう。
これが、港街タラセイア――
「すごい……」
わたくしが言葉にできたのは、それだけだった。
「驚いたかい?街を見て回りたいだろうけれど……疲れているだろうし、見物は明日以降にでもしよう。今日はこのまま、屋敷に向かうよ」
「え、えぇ……」
オスカーはそう言うと、御者に向かって行き先を告げる。すると再び、荷馬車が動き出した。これまでの道中とは違って、タラセイアの道は綺麗に舗装されていて、ほとんど馬車が揺れない。これも運送のためなのかしら?とても合理的ね。
そんなことを考えながら、わたくしは荷馬車に乗ったままキョロキョロと辺りを見渡す。はしたないとは思いつつも、やめることができなかった。
まるで田舎娘のようなわたくしを、オスカーは目を細めて面白そうに見つめている。
その視線さえどうでもよくなってしまうほど、わたくしの頭の中は初めて見る街のことでいっぱいだった。だって何を見ても、眩しくってたまらないんですもの。
門からまっすぐに大通りを進んだ後、途中で曲がって街の端へと荷馬車は向かう。しばらくしてたどり着いたのは、大きな屋敷の前だった。
「ようこそ、フェリシア。ここが、今日から君の家だよ」
「ありがとう、オスカー」
ここが、お屋敷!
オスカーに続いて、荷馬車を降りる。その先にあった建物を見上げて、ついうっとりとため息が出そうになった。だってそこにあったのは、街の建物の中でも、一際立派な屋敷なんですもの。
さすが、タラセイアの豪商!屋敷さえも、他とは全然違いますわ!
「おいで、案内しよう。荷物をお願いできるかい?」
「かしこまりかした」
御者にそう告げて、オスカーは屋敷の敷地内へ入っていく。その後ろを、わたくしは黙ってついて歩いた。
すると玄関の前で、モノクルをつけた白髪混じりの男性が立っているのが見えた。歳はオスカーよりも上かしら?男性はわたくしと目が合うと、深々と頭を下げた。
「おかえりなさいませ、旦那様」
「ただいま、セバスチャン。彼女が新しい妻だ。フェリシア、彼はセバスチャン。この家のことを任せている」
「はじめまして、フェリシアですわ。これからよろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。奥様」
いきなり、背筋がこそばゆくなる。
お、奥様だなんて!
なんて良い響きなのかしら!口元が緩みそうになるのを抑えて、わたくしはセバスチャンに会釈をした。
「セバスチャン、カロルに彼女の荷物を任せているんだ。手伝ってやってくれるかい?」
「かしこまりました」
セバスチャンは一礼すると、オスカーに言われた通りカロルの待つ入り口の方へと向かった。
「さあ、こっちだよ」
「はい」
そう促されて、わたくしは再びオスカーの後ろをついて歩く。
ついに、お屋敷の中だ。
豪商の家というのは、いったいどれほど豪勢なのだろう!
うるさいほど心臓の音が鳴っていて、これではオスカーに気づかれてしまうわ。
そう、思っていたのだけれど……。
(あら……?)
すぐに、心臓の音は静かになった。
ぐるっと、屋敷の中全体に視線を巡らせる。エントランスには花が飾ってあるだけで、ほとんど調度品がない。それは、エントランスだけではなかった。廊下も階段も……目につくところには、なんの装飾もされていない。
(王宮……とまではいかないにしても、豪商の屋敷なのだから、もっとあちこちに調度品を置いているものとばかり思っていたのだけれど……)
けれど、想像以上に屋敷の中は質素だった。
でも……よくよく考えれば、オスカーは貴族ではない。商人だ。
きっと無駄なものには、お金を使わない主義なのよ。商人は合理的でないといけないもの。
そう自分に言い聞かせて、わたくしは屋敷の中を進んだ。そして、二階の扉の前でオスカーが立ち止まる。
「ここが、君の部屋だよ」
そう言って、オスカーは扉を開いた。
「っ……?!」
きっとこの部屋の中も、屋敷内と一緒で質素なのだろう。そう思っていたのに、案内された部屋は、必要な家具はもちろん、テーブルの上には豪華な花が生けられていた。それだけではない。他にはなかった彫刻や絵画も、この部屋には飾られている。
あまりのギャップに、わたくしは何回も瞬きをした。
「今日は疲れただろう?部屋でゆっくりしてくれ。荷物は後でも大丈夫かい?」
「え、えぇ……ありがとう」
驚きのあまり、わたくしはそれしか言う事ができなかった。そのせいで、オスカーはそのまま部屋を出て行ってしまう。一人残されたわたくしは、改めてぐるりと部屋の中を見渡した。
「これが……わたくしの部屋?」
クラウディア家の屋敷とは、大違いだ。
こんな豪華な部屋で、今後過ごして良いだなんて……!
やっぱり、オスカーと結婚して正解だった!
はしたなく、ベッドにダイブする。そのベッドさえも、羽毛でふかふかだった。
(あぁ、本当に夢のよう!)
願わくば、この夢から覚めませんように。
もう一度、わたくしは自身の手の甲をつねってみる。
けれど、やっぱり痛い。
これは現実なんだわ!
幸せに浸りながら、わたくしは瞳を閉じた。
……のだけれど。
「……」
これは、どういうことなのかしら?
あれから少し寝てしまって、気がつけば夕食の時間になっていた。オスカーに呼ばれてダイニングへ向かうと、わたくしはすぐに席につく。
そこにはすでに、料理が並べられていた。
スープにサラダ、メインは魚のムニエルかしら。
それにパンが添えられている。
「……」
わたくしの部屋の様子とは打って変わって、そこにあったのはとても、とても質素な夕食だった。
決して、まずそうというわけではない。丁寧に作られているのは、見た目でわかる。
けれど、これが夕食?
タラセイアの豪商の?
あのオスカー・ソロの?
思わず、わたくしはオスカーの顔を見た。
けれどオスカーは何も気にしていないようで、手を組んで祈りを捧げている。
(……もしかして)
胸の奥に、ほんの少しだけ不安が湧いた。
(わたくし、あまり歓迎されていないのかしら……?)
もう一度、夕食が並べられたテーブルを見る。
でもあの部屋を準備してくれていて、歓迎されていないとは思えない。
けれど、これは……。
あまりのギャップに、わたくしは手をつけることができずにいた。
「フェリシア、大丈夫かい?」
「え、えぇ……大丈夫よ」
食事を前に動かないわたくしを見て、オスカーは心配してくれたらしい。
慌てて、わたくしは指を組んで祈りを捧げる。そしてスプーンを手に取って、すぐに口へ運んだ。
「……美味しい」
優しい、野菜の風味が口の中に広がる。それに、これは香辛料……かしら?食べたことのない不思議な味だけれど、とても美味しい。
「口にあったのなら良かった」
そう言って、オスカーも再び食事を始める。
美味しい。
そう、確かに美味しいのよ。
でも、そうではない。
わたくしは今日初めてこの屋敷へ来たのよ?
もっとこう……豪勢な晩餐なのではなくて???
そう思いつつも、わたくしは黙って食事を口へ運んだ。
「……」
その様子を、オスカーは目元にシワを寄せながら見つめていた。けれどわたくしは、頭の中がぐちゃぐちゃで……それに気がつくことができなかった。




