第16話 旦那より金
「……」
「大丈夫ですか、奥様?」
「……えぇ」
大丈夫なわけがないわ。
気持ちの良い朝だというのに、スープをすくおうとした手が止まった。
あれから、オスカーはよほど忙しいようで、一緒に食事を摂っていない。
オスカーと話をつけて、質素な食事内容がまともなものに変わって、なおかつ品数が一品増えたことは嬉しいのだけれど、ここ最近はまったく味を感じない。
「ねえ、セバスチャン……」
「なんでしょう?」
わたくしは目の前のスープをぼんやりと見つめたまま、横に立つセバスチャンに声をかけた。
「オスカーは、ちゃんと食事を摂っている?そもそも、屋敷には帰ってきているかしら?」
「……」
「……そう」
オスカーらしいわ。
まったく、すぐに自分のことを蔑ろにするんだから。
あなたが倒れたら、いったいどれだけの人間が困るのかわかっているのかしら?
わたくしは小さくため息をついた。
「すぐに、オスカー用の食事を準備してもらえる?持っていくわ」
「しかしながら奥様、オスカー様からは商会にはこないようにと仰せつかっております」
「でも、あなたも心配でしょう?」
セバスチャンの顔を見ながら、わたくしはたずねた。
セバスチャンは目を見開いたかと思えば、ゆっくりとつぶる。
そして絞り出すように「……かしこまりました」と、静かに答えた。
「ごめんなさい。ありがとう、セバスチャン」
一礼して、セバスチャンは厨房へと向かう。
わたくしも、急いで食事を終えないといけないわね。
早く身支度をして、オスカーのところへ行かなければならないもの。
わたくしはそっとスープをすくって、口に運んだ。
***
「その鉢植えは、向こうのブロックに置いてくれ!」
「おい、そっち今いくつおいてある?!」
「……わかりました。十二鉢ですね。ありがとうございます」
王宮から受注変更があって以降、商会の中はとても慌ただしかった。
みんな忙しなく動き回っていて、誰しも、余裕がない。
その中を通り過ぎて、わたくしは真っ直ぐオスカーのいるであろう会長室へ向かった。
扉の前で、深呼吸をする。
きっと邪険にされるに違いないわ。でも、食事くらいはちゃんと摂ってもらわないと。
意を決して、わたくしは扉をノックする。
……けれど、いくら待っても返事がない。
出ているのかしら?
「……失礼するわ」
小声でそう言いながら、わたくしはゆっくりと扉を開いた。
「……」
「……ッ」
中に入ると、そこにはソファで横になるオスカーがいた。
目をつぶって、胸がゆっくり上下に動いている。
(……寝ている?)
音を立てないように、わたくしは書類まみれのローテーブルにスペースを作って、持ってきたバスケットをそっと置いた。
すると一枚の書類が、はらりと床に落ちた。慌てて拾い上げると、そこには集まった白バラの数が記載されていた。花の産地コゼリトはもちろん、そうではない北部のスノレアの名前もある。けれど、まだまだ発注数には程遠い。
書類を戻して、わたくしはオスカーの顔を覗き込む。
久々に見た夫の目元には、くっきりとクマが刻まれていた。頬に触れてみると、指先に何か刺さるような感覚がある。きっと、髭も剃っていないのね。
そのせいかしら、年齢以上に老けて見えるわ。
「もう……若くはないというのに、無理をなさるんですから」
そっと、触れた頬を撫でる。
――その時だった。
「んっ……」
「ッ……!」
オスカーが大きく体を動かして、わたくしの手に自身の手を添えたのだ。
も、もしかして、起こしてしまったかしら?!
慌てて、オスカーの顔を覗き込む。けれど、オスカーはまだ目を閉じたままだった。
よかった……。と、ほっと胸を撫で下ろした。
けれど――
「……アリア」
オスカーが、女性の名前を呼んだ。
そして、わたくしの手を握りしめる。
とても……とても、優しく。
「……ッ、フェリ……シア?!」
握りしめた手の感覚に驚いたようで、オスカーは目を開きわたくしの顔を確認するなり慌てて体を起こした。
「お疲れですのね、オスカー」
「……あぁ。その、私は……何か言っていたかい?」
「……いいえ」
何も言っていないわ。
と、わたくしは口元を隠すオスカーに、笑顔を作って答えた。
アリア……というのは、きっと前の奥様ね。
薄々感じてはいたけれど、オスカーはとても前の奥様を大事にしていらっしゃるのね。
(……羨ましい限りだわ)
だってわたくしには、そんな愛……わかりませんもの。
神の前で、オスカーと永遠の愛を誓いはした。
けれど、あれはそういうものだから言っただけ。
わたくしたちに必要だったのは、婚姻という契約だけですもの。
(それだけで、わたくしには十分だったはず……なのだけれど)
……だめね。
ないものは、どんどん欲しくなってしまうわ。
わたくしって、こんなにも強欲だったかしら。
そっと、目を閉じる。
らしくないのではなくって?
永遠の愛が、欲しいだなんて。
って、……ちょっと待って。
「……永遠の、愛?」
わたくしは目を開けて、立ち上がるオスカーに聞こえないほどの声で、ぼそっと呟いた。
「しかし、ここにはこないようにと、言っただろう?セバスチャンもセバスチャンだ。君に加担して……」
「……ねえ、オスカー」
「何だい?」
少しイラついているのか、オスカーの語気が強い。
けれど、そんなことどうでもいいわ。
「白バラって、生花でなければダメなの?」
「どうしたんだい、急に……」
「ねえ、どうなの?」
しつこくきくわたくしに、オスカーはわけがわからないという表情を浮かべる。
けれどこうなったわたくしが、一歩も引かないのはオスカーもわかっているようで、嫌そうな顔を浮かべながらも教えてくれた。
「基本は生花だ。造花は偽物だと嫌厭される」
「……だとしたら、別のイメージをつければいいってことね?」
「さっきから、どうしたんだ?」
苛立ちを露わにするオスカーに、わたくしは先ほど見つけた白バラの個数が記載された書類を突きつけた。
「白バラ、足りていないのでしょう?それって、造花にできないかと思ったの」
「造花に……?そんなこと、できるわけがないだろう?さっきも言ったが、偽りの花を結婚式で使うだなんて……」
「その逆よ」
書類をどかして、わたくしはオスカーに顔を近づけた。
「生花はいつか枯れてしまうわ。でも造花だったら?いつまでも変わらずに残り続けるでしょう。永遠の愛を誓う二人には、申し分ないのではなくて?」
「それは……まあ確かに一理あるが……」
「でしょう?それに、全部を造花に変える必要はないわ。例えば参列者のコサージュだけ、造花にしてみてはどうかしら?王子の結婚式が、ずっと記憶にも物にも残る物になるはずよ」
「……それで、王家は説き伏せられたとして、何でバラを作るつもりだい?」
「シルクよ」
自信満々に、わたくしは言い放った。
「結婚式の時に思ったの。あの時に着たドレス、一度使っただけでもう着ることがなくてもったいないって。さすがに、着古しのドレスの布を王子様に使うわけにはいかないけれど、新品のシルクなら手に入るでしょう?それで作れないかしら?」
「……造花を、結婚式に……か」
そう言うと、オスカーは黙ってしまった。
考え込むオスカーを、わたくしはじっと見つめる。
「あとは……生花と比べて、いくらかかるか……だな」
「オスカー!」
「それにくわえて、王宮への確認と、腕ききの仕立て屋が何人も必要だが……。まずはニコルに計算させよう」
うんうんと、オスカーは何度か頷いた。
ニコルに計算をお願いするということは、一考の余地はあるってことよね。
「ありがとう、オスカー!そうと決まれば、急いでニコルのとこへ行きましょう!」
「ちょっ、フェリシア!!!」
わたくしはフラフラなオスカーの手を引いて、急いで会計室へと向かった。
すっかり、オスカーへの差し入れのことなんて忘れて。




