第13話 金持ちだって喧嘩する
「やあ、奥様!すごいね、このインソール!!!」
「こんにちは、アントニオ。それは良かったわ!」
「俺もだよ、オスカーさんに言われて試してみたけど、一日の疲れが全然違う!」
「バサーニオも、荷物運びをいつも一生懸命しているものね!少しでも楽になったのなら嬉しい限りだわ!」
オスカーの商会を訪れたわたくしは、人に会うたびに声をかけられた。
なんて気持ちがいいんでしょう!
みんな、あのインソールを使ってくれているのね。
口元がにやけそうになるのを必死に堪えて、わたくしはオスカーのいる会長室へと向かう。
あれからミゲルと相談をして、元々靴だった製品をインソールだけにすることにしたのだ。
靴だと新しいものに買い換える必要があるけれど、インソールであれば今履いている靴をそのまま履き続けることができるもの。
それに用途とサイズに応じて、いくつか種類も設けることにした。
だって荷物運びをする人と、帳簿をつける人では脚への負担が違うもの。必要に応じていくつか種類を用意しておけば、より多くの人に使ってもらうことができるでしょう?
試しにオスカーの商会で働く人たちに使ってみてもらったのだけれど、これが正解だった。
みんなインソールのおかげで足の負担が軽減することがわかると、お願いしてもいないのに、どんどん周りへ広めてくれたのだ。
そのおかげで、インソールは少しずつ売り上げを伸ばしていた。
「ありがとう、オスカー。あなたのアドバイスのおかげで、インソールが売れる商品になったわ」
「……そうか。それは良かったね」
会長室でオスカーにお礼を伝える。けれどオスカーは書類に目線を落としたまま、わたくしを見ようとしない。
そっけないオスカーに、わたくしは少しだけ口を尖らせた。
「こほん。……それで、これが今のところの儲けですわ」
わざとらしく咳払いをしてから、わたくしはオスカーに収支報告書を渡した。
するとオスカーは、すぐに視線を書類から収支報告書へ移動させる。なによ、こっちには興味を持ってくれるのね。
オスカーは手に取った収支報告書の中身を、丁寧に確認していった。
「これは……君が?」
オスカーの視線が、紙面を追う。
なにかあるわけでもないのに、なぜか自然と背筋が伸びた。
「その収支報告書?もちろん、わたくしが作りましたわ。でも……わからないところは、ニコルにも手伝ってもらいました」
「なるほどね」
そう言うと、オスカーはようやくわたくしを見た。
うっすらと笑いを浮かべる薄い紫の瞳の奥は、なにを考えているのか……わたくしにはわからなかった。
……変ね。いつもと、同じ笑顔ですのに。
でも、今はそんなことを考えている場合ではないわ。
「ここで得た利益は、一部をあなたに返すのと同時に、貯金に回しますわ」
わたくしはキッパリと、オスカーに利益の使い方について伝えた。
だってここは、はっきりさせておかないといけませんもの。
「それは構わないよ。私としては、貸した金が返ってくればそれでいい」
なによ……それ。
「……寄付は、返ってきませんのに?」
「……ッ」
わたくしがぼそっと呟いた言葉に、オスカーは黙ってしまった。
代わりに、先ほどまでとは違う鋭く冷たい視線が、わたくしを射る。
その鋭さに、後退りしそうになる。
けれど、ずっと疑問に思っていた。
なぜオスカーは個人で得た資産を、寄付に使ってしまうの?
寄付をしたって、オスカーの財産には一切ならないのに。
「ねえ……オスカーは、なぜ寄付をするの?それも、資産のほとんどを……」
「……金は、あるところからないところへ流れるもの……だろう?」
少し考えてから、オスカーは同意を求めるように語尾を強めてわたくしに問う。
けれど、わたくしには……やっぱりわからなかった。
オスカーの言う通り、お金は流れるものよ。
でもそれは、経済という意味ではなくて?
お金は一方的に渡すのではなくて、使うものよ。
「そうですけれど。だったら、寄付でなくてもいいのではなくて?そんなわざわざ、お金を捨てるようなこと……」
そう、わたくしが言い終わる前だった。
「……撤回してくれ」
今までに聞いたことのない低い声で、オスカーがわたくしの言葉を遮ったのだ。
その瞳は、先ほど以上に冷ややかで、室内の空気が凍りついたようだった。
「いくら君でも、今のセリフは聞き捨てならない」
「ッ……!」
突然のことに、わたくしは声を失う。
怖い。
そう思った。
けれど、ここで怯んではいけないわ。
「だって……だってわたくしにはわからないんですもの。なぜあなたが、そんな簡単にお金を寄付してしまうのか。わたくしには、そんなお金の使い方できませんわ。だってそれだけのお金があれば、一生遊んで暮らすことができますもの……!」
一気に、わたくしはオスカーに伝える。
肩を上下するわたくしから、オスカーはそっと視線を逸らした。
「……君は、分かりやすくていいね」
そっと、オスカーは苦笑いを浮かべる。
なぜ?
なぜオスカーは、そんな顔をするの?
わからないことだらけだわ。
「でもそれは、僕にとっての幸せではないよ」
そう言うオスカーの声は、どこか悲しみが含まれていた。
「だったら、あなたの幸せって……なに?」
「……」
一瞬、オスカーはわたくしを見ずに目を見開いた。
けれどそれだけで、オスカーは黙ったまましばらくなにも言わなかった。
「……すまない。今日はもう、出ていってくれないか?」
オスカーは絞り出すようにそれだけ言って、わたくしを見ることはなかった。
わたくしは開きかけた口をすぐに噤んで、「失礼したわ」とだけ言い残して、会長室を後にした。
***
「お、オスカーさんがそんなことを?」
「えぇ……」
オスカーとの会話の後、わたくしは収支報告書のお礼も兼ねて、ニコルの元を訪れていた。
今日も変わらず、ニコルは会計室の真ん中の机で、書類に埋もれている。
わたくしは部屋の隅にあった丸いすを運ぶと、その近くに腰を下ろした。
「珍しい……ですね。オスカーさんが、そ、そんなに感情的になるのは……」
「そうなの?」
「……はい。常に、朗らかな方……なので」
「ふぅん……」
わたくしは頬杖をつきながら、ニコルがアバカスの珠を指で弾くのを見つめていた。
確かに、ニコルの言うとおりだわ。
オスカーはわたくしの前でも、常にとってつけたような笑いを浮かべている。
たまに大笑いすることもあるけれど……あれは本心かしら?
(結婚式では、疲れるって言っていたくせに……)
それなのに、オスカーはほとんど本心を見せない。
……なぜかしら。そのことが、妙に胸をざわつかせる。
「……」
「あ、あの……ふぇ、フェリシアさん?」
「あ……あぁ、ごめんなさい。つい考え込んでしまっていたわ」
じっと見つめていたつもりはなかったのだけれど、視線の先にはニコルがいて……今日も耳まで真っ赤に染まっていた。もう何度もあっているというのに、毎回この反応。それはそれで分かりやすくて、なんだかほっとする。
「忙しいところ、お邪魔してごめんなさいね」
「い、いえ……!そんなことないでふ!!!」
「ふふ……また伺うわ、またね、ニコル」
「は、はい!フェリシアさんでしたら、だ……大歓迎です!!!」
相変わらずかみかみのニコルに、つい笑ってしまう。
わたくしは自分が座っていたいすを元の場所に片付けると、自身の屋敷へ戻った。




