第10話 千里の道も一足から
「こんにちは。ミゲル、いるかい?」
「あら、こんにちはオスカーさん。ミゲルでしたら奥の工房にいますよ。呼んできますか?」
「いや、こちらから伺おう。入っても?」
「えぇ、構いませんよ。どうぞ」
そう言って、靴屋の奥さんらしい女性は、工房があるという店の奥へわたくしとオスカーを通してくれた。
タラセイアに帰ってきた翌日、オスカーは約束通り、わたくしを知り合いの靴屋のもとへ連れて来てくれたのだ。
迷うことなく、オスカーはどんどん店の奥へと進んでいく。その後ろを、わたくしはそっとついて歩いた。店の中は、ずらりと靴が並べられていて、革の香りで満ちている。奥へいくにしたがって、その香りは一層濃くなっていった。
薄暗い通路の先には、小さな部屋があった。中ではさまざまな道具に囲まれながら、男性が一人、机で丁寧に靴底を縫い付けている。
(これが、靴職人の仕事なのね……)
あまりに真剣な様子に、わたくしは自然と息を押し殺した。
「やあ、ミゲル。作業中にすまないね、少しいいかな?」
けれどオスカーは気にすることなく、男性に声をかけた。名前を呼ばれ、男性が顔を上げる。そしてオスカーを見るなり、先ほどまでとは一転、男性は顔を綻ばせた。
「あ、オスカーさん!お久しぶりです。新しい靴の注文ですか?」
ハキハキと、ミゲルはオスカーに問う。靴職人というだけで、オスカーと同年代くらいの男性を想像していたけれど、目の前の男性はずいぶん若い。以前、商会で会ったニコルと同じくらいかしら?
「いや、今日はちょっと別の要件でね。フェリシア、靴職人のミゲルだ。若いが、タラセイアでは腕利の職人だよ」
「初めまして、わたくしフェリシア・ソロと申します」
オスカーに促され、わたくしはミゲルの前に出る。驚くミゲルをよそに、わたくしは自己紹介をすると、ミゲルに手を差し出した。
「ソロ……あぁ!じゃああなたが、オスカーさんの新しい奥さんか!靴屋のミゲルです。オスカーさんには、昔からとてもよくしてもらっています」
ミゲルはそう言いながら、わたくしの手を強く握った。
その手は若いのにとても皮が厚くて、ゴツゴツしている。オスカーの商会でも、何人もの男性と握手をしたけれど、それとはまた違った素敵な手だった。
そう思っていると、ミゲルは不意にオスカーの方を見た。
「ってことは、今日は奥さんの靴を新調しに?」
「いや、そうではなくて……」
そうよ。今日は靴を買いに来たわけでも、ましてやあいさつをしに来たわけでもないわ。
わたくしはそっと、胸を張った。
「ミゲル、あなたに折り入って、ご相談したいことがありますの」
「俺に、相談?」
突然のわたくしからの申し出に、ミゲルは小さく首を傾げた。
「単刀直入に申し上げますわ。わたくしと、靴の開発をして下さらないかしら?」
「靴の開発?」
「えぇ。ダンスの時に足が痛くならない、女性用の靴を作りたいの」
前のめりになりながら、わたくしはミゲルに作って欲しい靴について伝える。けれどミゲルはその話を聞いた瞬間、呆れた表情を浮かべた。
「ダンスの時に足が痛くならないって……そりゃあ無理だろう?貴族のご婦人がダンスで履いてるヒールは、立ち姿を綺麗に見せるために、無理やり爪先立ちの姿勢になるようにできてるんだ。長時間履いていたり、動き回れば足が痛くなるに決まってる」
「それを、なんとかしたいのですわ!」
一歩、わたくしはミゲルに近づいてその両手を取る。
わたくしに言い寄られたミゲルは、すぐに目線を外して、助けを求めるようにオスカーを見た。そんなオスカーは、微笑みながら「頼むよ」とだけ、ミゲルに伝える。
その一言で、ミゲルは小さくため息をつくと、わたくしの手を振り払ってそっと手を差し出した。
「……なんですの?」
わたくしはわからず首を傾げる。
「何って、前金だよ。タダでやれない」
前金?
「……」
その言葉に、わたくしは黙ってしまった。
……そうですわ。
何かお願いをするのでしたら、それ相応の対価が必要になる。
人は、タダでは動いてくれない。
(ど、どうしましょう……)
今は、何も持ち合わせがない。
後でこちらに持ってくる?けれど、それでは遅い。
これから円滑にことを進めるには、今ここで、話をまとめなければいけないわ。
どうしたものかとわたくしが悩んでいると、すぐ後ろから突然、革の小さな袋が出てきた。
「これで足りるかい?」
振り返ると、オスカーがミゲルに袋を差し出していた。ミゲルは黙って、袋を受け取ると、中身を確認する。袋が動くたびに、金属が重なる高い音がした。
「……多いくらいだ」
「よかった。フェリシアを頼むよ、ミゲル」
「……はぁ……。仕方ない。他でもない、オスカーさんの頼みだからなぁ……」
ミゲルは机の引き出しに硬貨の入った袋をそっとしまうと、横目でわたくしを見た。
「オスカーさんの頼みだから、一旦は引き受けるよ。けど……どうしようもなかったら、やめますからね?」
「構いませんわ。必要なものがあったら、なんでもおっしゃって!」
わたくしは堂々と胸に手を当てる。
その様子を、ミゲルは不審に見つめていた。
「じゃあ、私はこれから商会へ戻るよ。あとはよろしく頼む」
よろしく……というのは、わたくしになのか、それともミゲルになのか。
わたくしと目があったオスカーは、目尻のシワを濃くして笑うだけで、そのまま靴屋を出て行ってしまった。
***
「やっぱり、まだつま先が窮屈ですわ」
「はぁ?!クレアはこれでいいって……」
「ダンスの際に、前にずれてくる感覚がありますもの。もう少し滑らないようにはできませんの?」
「んなこと言われても、これ以上足の甲に布をつけたら、今度はそこが擦れて痛くなるぞ?」
あの日から、わたくしは毎日ミゲルの元を訪ねた。
仕事の合間にミゲルが作ってくれた試作品をわたくしが実際に履いて踊り、痛みの出方を確かめる。
時にはミゲルの奥様であるクレアにもお願いして履いてもらった。
何回も何回も、試作を繰り返す。
けれど、なかなか納得のいく靴ができあがらない。
「足の甲に布をつける他に、ずれにくくする方法はありませんの?」
「足のどこかに何かを引っかけられれば、それがストッパーにはなるだろうけど……そんな場所なんて……」
「ひっかける……」
ぐるぐると、その言葉がわたくしの中で回る。
「ねえ、ニコル……どうすればいいと思う?」
「そ、そう言われましても……靴は、僕……専門外です!」
「そうよね……」
アイディアを求めるために、わたくしは商会の会計室を訪れていた。
今日もニコルは、変わらずに書類に埋もれている。
「でも、そんな魔法の靴があったら……じょ、女性は嬉しいと思いま……すぅ!!!ててて!!!」
「ど、どうしたのニコル?!」
急に変な声を上げるニコルに、わたくしは慌てて駆け寄った。
「あ、い……いえ、違うんです!フェリシアさん!!!大丈夫です!!!」
そう言ってニコルは急に机の下へ潜ると、凹凸のついた板を取り出した。
これは……なにかしら?
わたくしは首を傾げる。
「インドラよりもさらに東にある国の医術で、足の裏を刺激する健康法があるんです。ほら、ぼ……僕、デスクワークばかり……じゃないですか?オスカーさんがそれを心配して、これをプレゼントしてくれたんです」
「足の裏を……?」
この凹凸で?
にわかには信じ難いわ。
わたくしはニコルの持つ板をまじまじと見つめた。
「ねえニコル、これ……わたくしが試してみてもいいかしら?」
「あ、はい……どうぞ。よかったら」
ニコルから板を受け取って、わたくしは靴を脱いで足を板に乗せる。
ゴリゴリと足裏を押される感覚は、確かに気持ちが良かった。
「すごいわね……これ……」
「で、ですよね!一度やってみたらハマってしまって!!!」
ニコルが言う通り、これはずっとやっていたくなる。
特にこの普段床につかないところが気持ち良くって……。
……ん?
床に、つかない部分?
ハッとして、わたくしは慌てて自身の足を見つめる。
そして踵を踵を曲げて、伸ばしてみた。
そうよ。
もしかしてここなら、滑り止めになるんじゃないかしら?
「ニコル!!!!」
「ふぁ、ふぁい!!!?」
「ありがとう!おかげでいいアイディアが浮かんだわ!!!」
「……へ?あ、は……はい」
ニコルが返事を終える前に、わたくしはもう会計室を後にしていた。
早く。
早くミゲルにこのことを話さなくては!
***
そんなやりとりを繰り返して、ようやく靴が完成したのはそれから半つきほど経ってからだった。
「どうだい?」
「えぇ、すごい……すごいわ、ミゲル!これならいくら踊っても痛くないわ!」
実際に履いて、ステップを踏む。
ニコルのヒントから土踏まずに出っ張りを作ったのだ。そこに足裏がしっかりと当たって、前にずれていかない。そのおかげで、つま先が痛くならなかった。
「まるで魔法のよう!職人ってすごいのね!!!」
「何、フェリシアさんのアイディアと、熱があってこそだよ」
目を逸らしながら、ミゲルは頭を掻く。
その様を見て、わたくしはさらに口角をあげた。
さあ、あとはこれを売り出すだけよ!
わたくしは意気揚々と、できあがった靴をオスカーの元へ持って行った。
「オスカー、頼みがあるのだけれど」
「なんだい?」
「この靴を売り出したいの」
商会の会長室で書類を眺めるオスカーの机に、わたくしはミゲルと一緒に作った靴を乗せた。
「……これは?」
「ダンスをしても、足が痛くならない靴よ。絶対に貴族の令嬢に需要があるわ」
「それはすごいな。確かに……貴族の令嬢には需要があるだろうね」
そう言いながら、オスカーは書類を置くと、靴を手に取って眺めた。
「それで……約束通り、わたくしに投資して欲しいの。これが、この靴の生産費用よ」
これまでかかった分のお金も含めて、わたくしは投資して欲しい額を、オスカーに提示した。
「……これだと、一足がずいぶん高くならないかい?」
「貴族相手ですもの。これくらいは安いものでしょう?」
「……そうか」
短く、オスカーは返事をする。
まさか、今更出し渋るだなんて、そんなわけありませんわよね?
少しだけ不安になっていると、オスカーは笑ってわたくしを見た。
「……わかった。この額を君に投資しよう」
「ありがとう、オスカー!それと……」
「まだあるのかい?」
頼みついでに、わたくしはもう一つ、オスカーにお願いすることにした。
「この靴を、オスカーの顧客……特に貴族の方に紹介していただきたいの」
「なぜ私が?」
「使えるものは、なんでも使わないとでしょう?」
やれることなら、なんでもやるわ。
だって、お金のためですもの。
わたくしは胸を張った。
「……まったく、わかったよ」
口元を手で覆いながら、オスカーはいつものようにクツクツと笑った。
「だが、その分の報酬は、ちゃんと払ってくれるんだろうね?」
「報酬?」
なぜ、わたくしがオスカーに?
不思議に思っていると、オスカーは困った顔でため息をついた。
「紹介料というものがあるんだよ。商売はボランティアじゃない。行為に対しては、それにあった対価を支払うべきだ。ミゲルの時のようね」
なるほど。
そうですわね。
オスカーの言う通り、紹介してもらうのですから、それ相応のものはきちんと支払うのが道理ですわ。
「別に、対価は金でなくてもいいけれど」
「冗談になっていませんわよ?いいですわ。売れたら必ず支払います」
「手厳しいな。でも……約束だよ」
そう言って、オスカーは一枚の紙を取り出した。
「契約書だ。よく読んでから、サインしてくれ」
「……わかりましたわ」
わたくしは契約書を受け取ると、しっかり中身を確認する。
けれどそこには、オスカーがわたくしに投資してくださること、投資した資金は返すこと。ただし、期限は設けないこと。別途、オスカーに協力依頼をした際には、それにあった報酬を支払うことなど、必要最低限の内容しか書かれていなかった。
のだけれど……。
「……これは?」
最後の一文だけ、よくわからない記載がされていた。
「オスカー。この最後に書かれている内容は、どういうことですの?」
「あぁ、ちゃんと気づいたね?」
「ちゃんと読むようにと言ったのは、あなたでしょう?」
「なに。君が今後、変な契約書にサインしないためにだよ」
「もう、試さないでくださいませ。あなたへの返済が済むまで、離婚ができないだなんて。もとより、わたくしはあなたと離婚するつもりはありませんわ」
そう言いながら、わたくしは契約書にサインする。
「君はまだ、商人じゃないからね。でも……」
わたくしから手渡された契約書を、オスカーは笑いながら受け取った。
「これで君も、商人だ」
「……そうですわね」
わたくしも、オスカーに笑顔で返す。
みてらっしゃい、オスカー。
わたくしはこの靴でがっぽり稼いで、しっかり資産を増やしてみせますわ!




