奴隷逆転
王都の地下深く、日の光が絶対に届かない暗闇に、その不気味な競売場は存在していた。
『犯罪奴隷地下オークション』。
国家への反逆、あるいは取り返しのつかない大罪を犯し、人権のすべてを剥奪された元権力者や犯罪者たちが、家畜以下の「商品」として富裕層に売り払われる絶望の終着駅。
ガラン、ガラン、と冷酷な鐘の音が響き渡る中、舞台の上へ、一人の男が引きずり出された。
「さあ、本日の目玉商品の登場だ! 皆様ご存知、元・聖騎士団長にして、その裏では闇奴隷売買と禁忌薬物の密輸に手を染めていた希代の大悪党――ロキだ!!」
司会者の下卑た声とともに、会場を埋め尽くす貴族や大商人たちから、容赦のない罵声と嘲笑が浴びせられる。
かつて白銀の甲冑を纏い、民衆の歓声を一身に浴びていた『輝ける英雄』の姿は、そこには微塵もなかった。
現在のロキは、ボロボロに引き裂かれた泥塗れの罪人服を纏い、両手両足を重い鉄枷で縛られている。魔力回路が完全に崩壊したその身体には、もはやかつての面影はなく、顔や腕にはおぞましい黒い血管の跡が醜く浮き出たままだった。
「う、あ……、くそ……! 離せ、私を誰だと思っている! 私はこの国を救った英雄だぞ……!」
ロキは血走った瞳で周囲を睨みつけ、声を枯らして叫ぶ。しかし、返ってくるのは冷酷な冷笑だけだった。
「おいおい、往期が悪いぞ元英雄様!」
「魔力を失ったお前など、ただの木偶の坊だ!」
「我が家の鉱山で、死ぬまで泥をすすりながら働かせてやろうか?」
かつて彼が足元で踏みにじり、見下していた「有象無象」の者たちが、今や自分を品定めし、嘲笑っている。その圧倒的な現実の格差に、ロキのプライドはズタズタに引き裂かれ、屈辱で全身が激しく震えた。
「さあ、競りを開始する! 開始価格は金貨50枚からだ!」
「金貨60枚!」
「私は金貨80枚出すぞ! あの傲慢な聖騎士を庭の犬にするんだ!」
貴族たちが競って声を上げる中、会場の最上階に位置する、最も豪奢なVIP用バルコニーの帳が、静かに上がった。
「――金貨、500枚」
鈴を転がすような、しかし芯の通った冷徹な少女の声が、騒がしい競売場全体に響き渡った。
一瞬にして、会場が静まり返る。相場の十倍を超える、あまりにも圧倒的な提示額。
全員の視線がバルコニーへと集まる中、そこからゆっくりと姿を現したのは、純黒の豪奢なドレスに身を包んだ、息を呑むほどに美しい少女だった。
絹のようなプラチナブロンドの髪に、冷たい知性を宿した青い瞳。元第二王女にして、ロキの失脚によってその地位を完全に回復し、第一皇子アルベールの最高の後援者となった少女――マーリンだった。
そして、彼女のすぐ後ろには、黒い霧のような気配を纏い、真紅の瞳を妖しく光らせる美女、レイナが不敵な笑みを浮かべて佇んでいた。
「ま、マーリン王女殿下……!?」
「なぜ殿下がこのような場所に……!」
ざわつく場内を完全に無視し、マーリンは冷酷な視線を、舞台の上で平伏するロキへと向けた。
「な……、お前……マーリン……っ!?」
ロキは信じられないものを見る目で、頭上の少女を見上げた。
ほんの数日前まで、自分の足元で怯え、涙を流し、心を失った人形のフリをしていた家畜。それが今、自分が見上げることしかできない遥か高みから、冷徹な「支配者」の目で自分を見下ろしている。
「他に入札者は? ……いないようね。司会者、さっさとハンマーを叩きなさい」
マーリンの冷淡な言葉に、司会者は慌てて木槌を振り下ろした。
「ご、500枚! 落札! 商品ロキは、マーリン殿下へと売却されました!!」
ロキの身柄が、合法的にマーリンのものとなった瞬間だった。
◇
オークション終了後、競売場の奥にある頑丈な鉄格子の牢獄。
ロキは壁に繋がれた鎖に繋がれ、床に無様に転がされていた。魔力が枯渇し、激しい虚脱感と屈辱の中で息を荒くしていると、コツン、コツンと、気高い靴音が近づいてきた。
鉄格子の扉が開き、ドレスの裾を揺らしながらマーリンが入ってくる。その後ろには、やはりレイナが影のように付き従っている。
「……連れてきて」
マーリンの短い命令により、護衛の兵士たちがロキの身体を乱暴に引き起こし、床へ膝を突かせた。ロキは乱れた髪の隙間から、目の前に立つマーリンを激しく睨みつける。
「マーリン……! お前、私をハメたな……! あのハーブ酒に、一体何を混ぜていた……!」
「あら、今更気づいたの? 遅かったわね、ロキ」
マーリンは冷たく言い放ち、ロキの前にゆっくりとしゃがみ込んだ。
彼女の手には、一本の頑丈な、黒鉄の首輪が握られていた。内側には、皮膚を削り取るような無数の鋭い金属の突起が並んでいる。それは、かつてロキがマーリンの首へと嵌め込み、彼女の尊厳を徹底的に破壊するために使っていた『奴隷の首輪』そのものだった。
「ヒッ……!?」
その首輪を見た瞬間、ロキの脳裏に、かつて自分が他人に与えていた「恐怖」が、今度は自分を襲う恐怖となって鮮烈に蘇った。
「や、やめろ……! 私にそんな汚らしいものを嵌めるな! 私は聖騎士だ! 英雄なんだぞ……!」
「往期が悪いわよ、ロキ。お前が英雄だった時代は、もう二度と戻らない。今の貴方は、私の資産で買い取られた、ただの私の『玩具』なのよ」
マーリンは冷酷に微笑むと、抵抗するロキの髪を乱暴に掴み、その端正だった顔を強引に上向かせた。かつてロキが彼女に何度も行った行為を、寸分違わぬ形でやり返す。
「レイナ、お願い」
「喜んで、私の可愛い主」
背後に控えていたレイナが妖しく微笑み、その細い指先からどす黒い魔力を放った。レイナの魔力が首輪に流れ込むと、黒鉄の首輪が怪しく発光し始める。
マーリンは一切の躊躇なく、その首輪をロキの首へと押し当て、力任せに閉じ合わせた。
ガシャァン!!!
「あ、があああああああっっっ !?!?!?」
牢獄の内に、ロキの引き裂かれるような絶叫が響き渡った。
内側の鋭い突起が、ロキの柔肌へと容赦なく突き刺さり、生々しい鮮血がドクドクと溢れ出て彼の胸元を赤く染めていく。首輪に込められた強力な『禁忌の呪印』が彼の肉体へと刻み込まれ、ただでさえボロボロだった彼の魔力回路を完全に封印し、激しい痛みを脳髄へと直接送り込む。
「はぁ、が、はっ……! あ、熱い、痛い……! 外せ、外してくれ、マーリン……っ!」
ロキは首をかきむしりながら、床に転がって悶絶した。
その無様な姿を、マーリンは冷徹な、しかし心の底からのカタルシスを感じる瞳で見下ろしていた。
「外すわけがないでしょう? これは、貴方が私に与えた痛みの、ほんの始まりに過ぎないわ」
マーリンは首輪から伸びる長い鉄の鎖を、その細い手で力強く掴み取った。グイ、と鎖を引っ張ると、ロキの身体が床をずるずると引きずられ、マーリンの足元へと強制的に引き寄せられる。
「ロキ。これからお前には、私が味わった地獄を、その何倍、何十倍にして味わってもらうわ。私の部屋の床を這い回り、私の靴を舐め、私が命じれば犬のように吠えるのよ。貴方のその傲慢なプライドが、完全に塵となって消え去るまで……徹底的に調教してあげる」
鎖を握るマーリンの姿は、神聖な王女の輝きと、底知れない復讐の魔性を同時に宿しており、その姿はあまりにも残酷で、圧倒的に美しかった。
背後でその様子を見ていた魔女レイナは、狂おしいほどの愉悦に身を震わせ、マーリンの肩を抱きしめた。
「あはは! 素晴らしいよ、マーリン! 立場の完全な逆転、これこそが最高の復讐劇だ。さあ、この哀れな元英雄を、私たちの新しい『玩具』として、存分に可愛がってあげようじゃないか」
床に這いつくばり、血と涙に塗れながら許しを請うロキ。
その鎖を冷酷に引き絞り、完全な『主』として君臨するマーリン。
二人の立場は、ここに完全に逆転した。




