第3話 レベル0のバード
ギルド「白銀の天秤」の巨大な両開き扉を押し開けると、濃密な熱気と喧騒、そしてどこか澱んだ鉄と安酒の臭いが一行の肌を撫でた。
吹き抜けになった広大な石造りのホールには、魔物の返り血で鎧を黒ずませた冒険者たちが群がっている。一方、その頭上を取り囲む回廊や奥の特別席には、豪奢な絹の外套を羽織り、金糸の刺繍で着飾った役人や代官たちが陣取り、眼下の冒険者たちへ傲慢な視線を投げかけていた。
先王亡き後、王都の実権を握った有力貴族の中でも、とりわけ強い影響力を持つオルガン伯爵。
その配下たちは、前線で命を削る冒険者たちが持ち帰った魔石や討伐報奨から利益を吸い上げるため、こうしてギルドにまで人員を送り込み、絶えず目を光らせている。
そして広間の中央には、絶対神「童子」の神聖術式が深く刻まれた巨大な鑑定水晶柱がそびえ、天井の闇へ向かって青白い燐光を静かに立ち上らせていた。
「次だ。討伐報告の者は前へ出ろ」
報告窓口の革張り椅子へ深く腰掛けた代官が、高価な香水を染み込ませた絹のハンカチで露骨に鼻を覆いながら『暁の刃』を迎えた。
伯爵の権威を盾にするその小太りの男は、冒険者たちが運び込んできたキマイラ・ジェネラルの角を一瞥すると、値踏みするように細めた目をパラシュの右肩へ向ける。
「やれやれ、相変わらず生臭い……童子様だか何だか知らんが、お告げを盲信する狂信者どもが這い回るのは、目障りで仕方ないね」
代官は吐き捨てるように言いながら、手元の羊皮紙へ羽ペンを走らせ、口元へ嘲笑を浮かべた。
「どれだけ奇跡を並べ立てたところで、現実の飯を食わせているのは領主様の銀貨だ。せいぜい身の程を弁えて稼ぐことだな」
周囲に控える私兵たちから、下卑た忍び笑いが漏れる。
神託すら利用価値だけで測り、持たざる者を踏み台にして肥え太る特権層の歪みを前にしても、パラシュは一言も発しなかった。
ただ、その双眸の奥へ氷点下の殺気を宿し、代官の眉間を射抜くように冷たく見据えている。
身の丈ほどもある大戦斧の柄に添えられた拳からは、威圧するように微かな蒼雷の火花が、バチ、と爆ぜた。
その無言の圧力に代官が息を呑んだ瞬間、パラシュの背後から仲間たちが冷徹に踏み出す。
「神を冒涜するその腐った舌を、永久に動かなくして差し上げましょうか」
プリーストのカクスが、感情の抜け落ちた澄んだ声で告げる。
手にした聖印からは、凛とした神聖気が静かに滲み出していた。
「……その薄っぺらい頭蓋ごと、この大盾で挽き肉にしてやってもいいんだぞ」
ガーディアンのバクが重装甲の足で床石を踏み鳴らし、低く唸るような地声で続ける。
「魔力の消費計算書も添えてあります。数字に誤魔化しがあれば、貴方の執務室ごと絶対零度で凍結させますからねぇ……」
ウィザードのドミニクも冷ややかに眼鏡のブリッジを押し上げ、指先で小さな氷の結晶を弄んだ。
「……っ、ひ、ひぃ……ッ!」
実力派パーティから向けられる剥き出しの敵意と威圧感に気圧され、代官の顔から一瞬で血の気が引いた。
ハンカチを握る手をカタカタと震わせ、逃れるように机を叩く。
「わ、分かっている! 査定だ! Sランク昇格試験を受ける資格があるか、最終審査を行う! 鑑定水晶にギルドカードをかざせ!」
代官の悲鳴じみた叫び声を受け、ホールにいた荒くれ者たちの視線が一斉に中央の水晶柱へ集まった。
パラシュを先頭に、仲間たちが次々と銀色のプレートを青白い燐光の中へ翳していく。
澄んだ鐘の音が堂内へ反響し、鑑定水晶の上空に眩い文字が浮かび上がった。
【パーティ『暁の刃』査定結果】
・パラシュ:Lv.52[選ばれし勇者]
【筋力:610/魔力:340】
主要スキル:【神紋解放・蒼雷】【轟雷斬】【覇者の剛力】
特記事項:『童子』の神紋保有・勇者転生体
・バク:Lv.46[ガーディアン]
【筋力:420/魔力:180】
主要スキル:【絶対防壁】【ヘイトコレクト】【不屈の肉体】
特記事項:物理/魔法完全耐性域
・ドミニク:Lv.47[ウィザード]
【筋力:95/魔力:520】
主要スキル:【極大詠唱】【魔力収束】【属性支配】
特記事項:極大属性術式展開数・特級
・カクス:Lv.45[プリースト]
【筋力:140/魔力:460】
主要スキル:【神聖治癒】【全体加護】【破邪結界】
特記事項:全体完全神聖障壁保持
・リクト:Lv.46[シーフ]
【筋力:280/魔力:210】
主要スキル:【気配遮断】【急所見切り】【連撃の極み】
表示された結果を見て、広間全体が大きく息を呑んだ。
それから間もなく、感嘆と畏怖の入り交じったざわめきが波のように広がっていく。
歴戦のベテラン冒険者たちですら容易には到達し得ない、圧倒的なステータス。
この世界に生きる者たちにとって、それは神の加護と本人たちの才覚を何より雄弁に証明する、眩いばかりの数字だった。
だが最後に、ネロがおずおずと自分のカードを翳した瞬間、水晶の放つ光が不吉なほど弱々しく明滅した。
・ネロ:Lv.0[バード]
【筋力:―/魔力:―】
主要スキル:【笛の演奏】【息吹の調律】
特記事項:全能力値・測定不能(極小)
僅かな静寂がホールを支配した。
次の瞬間、堰を切ったような哄笑が一斉に爆発する。
「ははっ、見ろよ! レベル0だと!?」
「測定不能って……能力値が一桁すら出てねえぞ!」
「おいおい、あそこで雑用させられてる無能ジョブの奴隷どもですらレベル5はあるぞ!」
「神託の勇者様のパーティに、奴隷以下のゴミが紛れ込んでるじゃねえか!」
「寄生虫め、恥を知れよ!」
窓口の受付嬢までもが蔑むような笑みを浮かべ、無数の冷酷な視線がネロへ容赦なく突き刺さった。
能力とステータスこそが絶対的な価値を持つこの世界において、レベル0という数字は、戦力として無価値だと嘲笑されるだけでは済まない。それだけを理由に、一人の人間としての尊厳すら軽んじられる。
四方から浴びせられる嘲笑の嵐の中、ネロは何一つ言い返すことができず、ただ使い込んだ木製の笛を胸元で強く握り締めていた。




