第2話 王都グラン・アルカ
夕闇が濃紺へと沈みゆく中、王都「グラン・アルカ」の外郭を囲む白亜の城門が、街道へ重々しい影を落としていた。
長旅を終えた一行を迎えるのは、天を突くほど巨大な城壁のアーチだった。その表面には、人類の夜明けを象徴する英傑たちの姿が、遥かな過去からこの地を見守り続けるように刻まれている。
かつて魔界「クル国」より溢れ出した魔族を退け、世界を救ったと伝えられる十人の原初の勇者たち。
彼らは戦乱の終結後、それぞれの地に国を興し、人類の新たな時代を築いたとされていた。
ウォリアー、プリースト、バード、パラディン、シーフ、ウィザード、ベルセルク、ガーディアン、グラディエーター、ペガサスナイト。
後世に生まれた数多の戦闘職も、その源流を辿れば彼らの系譜へ行き着くとされている。
だが、城門へ刻まれたレリーフには、一箇所だけ不自然な空白が残されていた。
ペガサスナイト。
十人目の勇者でありながら、歴史上ただの一度もそのジョブを継ぐ転生者が現れなかった存在である。そのため彼の名を戴く王国も建国されず、他の勇者たちが荘厳な姿を刻まれている中で、そこだけは何も彫られていない石面が長い年月を風雨に晒していた。
さらに、かつてプリースト、バード、パラディンの勇者たちが治めていた三つの王国も、いつの頃からか勇者の転生者が途絶え、やがて歴史の闇へと呑み込まれるように滅亡した。
今やこの大陸に残されているのは、六つの大国と、世界の北端に口を開ける魔界「クル国」のみ。
魔王が統べ、冥王が創り出したと伝えられる漆黒の領域を前に、人類が支配する土地は少しずつ狭まり続けていた。
(……だけど、パラシュは違う)
ネロの視線が、少し前を歩いているリーダーの広い背中へ向けられる。
パラシュは生まれながらに[ウォリアー]のジョブを持ち、七歳の時に行われた「神託の儀」で、世界の絶対神「童子」から選ばれた証となる神紋をその身へ宿した。
それによって彼は、原初の勇者ウォリアーの魂を継ぐ[選ばれし勇者]として認められたのだ。
そして、このグラン・アルカ王国において、その称号には単なる名誉以上の意味があった。
代々この国では、[選ばれし勇者]として認められた者がLv.99へ到達した時、初めて正式に王位へ就くことが許される。
かつてこの国を治めていた先王もまた、同じ条件を満たして玉座へ就いた[選ばれし勇者]だった。
しかし、その先王はある時突然この世を去った。
その後しばらくの間、次代となる[選ばれし勇者]は現れず、王座は長く空席のままとなった。そこでオルガン伯爵をはじめとする有力貴族たちが国政を代行し、王都の行政や徴税、軍の運用を取り仕切る体制が続いている。
そんな中、七歳だったパラシュに神紋が現れた。
長く不在だった、次代の王となる資格を持つ勇者。
その誕生は王国中を沸かせたものの、王位へ就く条件そのものが変わったわけではない。現在のパラシュはまだLv.52であり、Lv.99へ到達するその日までは、引き続き貴族たちが国政を代行することになっていた。
つまりパラシュは、この国の玉座へ最も近い場所にいながら、未だ何の政治的実権も持たない存在でもあった。
その右肩では、「童子」に選ばれた証である神紋が、夕暮れの中で淡い光を帯びている。
だが、そんな神話と王権の象徴たる城門を潜った先に広がっていたのは、神話よりも数値を信奉する者たちの、あまりにも無機質な現実だった。
「――『ステータス・オープン』」
石畳の目抜き通りを行き交う人々が、日常の挨拶でも交わすかのようにその言葉を口にしている。
空中へ淡い光の板が展開され、筋力や魔力、保有スキル、そして生まれ持ったジョブが数値や文字となって容赦なく可視化される。
すれ違う商人や衛兵たちは、相手の顔を見るよりも先に表示された数字へ視線を走らせ、その人物にどれほどの価値があるのかを値踏みするような態度を隠そうともしなかった。
その徹底した能力至上主義の底辺では、首に重い鉄の戒具を嵌められた者たちが、泥にまみれながら石畳の上で働かされている。
それはエルフや獣人といった異種族だけではない。
【農夫】や【荷担ぎ】、【道化師】といった戦闘能力を持たないジョブを授かった人間たちもまた、「無能者」として市民権すらまともに認められず、重い荷車を引く奴隷へと落とされていた。
露店で声を張り上げる売り子や、路地を慌ただしく走り回る給仕の中にも、身なりのよい市民より、使い潰されるように働かされる幼い少女たちの姿が妙に目につく。
ガタガタとけたたましい車輪の音が響き、豪奢な装飾を施された四頭立ての馬車が通りを横切った。
「どけ、下民どもが!」
御者の怒声とともに、人々が慌てて左右へ退く。
王都の実権を握る有力貴族の一人、オルガン伯爵の家紋を掲げた馬車が砂塵を巻き上げながらネロたちの前で速度を落とした。
窓のカーテンが僅かに引かれ、絹の衣装に身を包んだオルガン伯爵本人が、脂ぎった顔で窓枠へ肘をつく。
「おお、これは『暁の刃』の諸君ではないか。街道の掃除は片付いたのかね? ……ふん、相変わらず血生臭い」
伯爵の冷ややかな視線が、パラシュの右肩に刻まれた神紋を掠める。
本来ならば、パラシュがLv.99へ到達した時点で、オルガン伯爵たちによる統治は終わる。
それを知っているにもかかわらず、伯爵の態度に未来の王への敬意など微塵もなかった。
「神話の勇者サマの転生体とやらも、今は所詮、街の壁を繕う便利な道具に過ぎん。せいぜい精を出してくれよ。貴様らが魔族を間引いてこそ、私のもとへ税と魔石が滞りなく集まるのだからな」
嘲笑を含んだその物言いに、パラシュの全身から微かな蒼雷が爆ぜた。
大戦斧の柄を握る革手袋が、ギリ、と軋んだ音を立てる。
「……オルガン伯爵。神を侮り、民の血で肥え太る貴様の首が、いつまでも繋がっていると思うなよ」
「口を慎みたまえ、野良犬が。貴様が玉座へ座るのはLv.99に達してからの話だ」
伯爵は鼻で笑った。
「今この都市を動かしているのは、お前の神紋でも勇者の肩書でもない。我ら貴族の黄金と法だ。己の立場くらい理解したまえ」
そう吐き捨てると、伯爵は退屈そうに手を振り、御者へ馬車を進めるよう命じた。
再び車輪が石畳を鳴らし、巻き上げられた砂塵がパラシュたちの足元を汚していく。
パラシュは去りゆく豪奢な馬車の後ろ姿を、昏い殺意を宿した瞳で見据えていた。
神を軽視し、自らの欲望のためだけに都市を牛耳る腐敗貴族への憎悪。その胸には、仲間と民を守り、いつか自らの力によってこの理不尽な搾取構造そのものを覆したいという、ストイックで苛烈な正義が確かに存在していた。
だが、その研ぎ澄まされた正義の刃は、外敵や腐敗した権力者だけへ向けられるものではなかった。
巨大な石造りの建物――王都中央冒険者ギルド「白銀の天秤」の重厚な両開き扉が、すぐ目の前へ迫っていた。




