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暁のホザンナ  作者: 青柳ジュウゴ
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86 真誠に微睡む残響 - 10 -

よろしくお願いいたします。

 ヨシュアはこちらが投げつけた日傘を丁寧な動作で開くと、再びこちらへどうぞと差し出してくる。覚えるのは絶望的なまでの居た堪れなさ、けれど差し出されたそれを受け取るまで男は微動だにしないだろうことも、いやというほど知っていた。強情な天使相手に軽率な行動をした、でもあれは仕方がなかった。自己嫌悪と弁明。唇を噛んで、引ったくるようにしてその柄を取ればそれはそれは男は満足そうに笑う。一体何が嬉しいのやら。

 

 溜息混じりに肩へと預けた日傘の細い柄、嫌みなくらいに白いそれは朱色に染まる空からの光を柔らかく遮っていく。落ちる影は濃く、そろそろ日も沈むだろう。本来の用途としてはもう必要ないのかもしれないがしかし、顔を隠すには丁度いい。気まずさに耐えられず、わざとらしく己の長い髪を掻き上げればまたもやふわ、と。薄くではあるが先程の香水が香ってもう駄目だった。頬が再び熱を帯びる、この程度のことでかき乱されるなど、一体どこまでも腑抜けたのだろう。湧き上がる感情は羞恥、困惑、そして見逃せない程度の歓喜である。馬鹿が、自分自身が向ける罵倒すら他に形容しようがない、事体が事体のお陰で男を詰ることも出来ない。

 

 どこかへと逃げ出してしまいたいのに動けなくなってしまった。単なるお使いであったはずの店で酷い目にあった、それだけは確かである。それもこれも全部クソ馬鹿天使のせいであるのだが、一番の大馬鹿者が自分なのだから本当に目も当てられない。店の前で立ち尽くした所で何の解決にもならない、下手すれば追撃さえ追ってきそうだと言うのにしかし動けないでいた。どこかへと駆け出してしまいたい、のに。ではどこに行けばいいのか皆目わからない。どこにも行けない、行く場所がない、帰る所もないというのに。

 周囲のエルフたちの、恋仲だろうか、仲睦まじい二人組がさらなる追い打ちをかける。満ち満ちる祝福。なんで、どうして、胸中で浮かんでは消える問いかけはしかし一体何に向けられたものなのか理解には及ばない。迫りくる日没、形容し難い感情、言葉は出口を失って永遠に宙に舞ったまま。


「少し歩きませんか」

 

 双方無言の中、再度先に口を開いたのはヨシュアの方だった。

 告げられるのは柔らかくも端的な言葉。香水とは違い風に舞うような甘やかな声での提案を、蹴ってしまうには何だか惜しく感じた。感じてしまった、けれど。気まずさは変わらないまま。好きにすればいいとなるべくそっけなく告げれば、男はまたゆっくりと足取りで踏み出したのだった。やはり、先程と同じくこちらを気遣うように。


 夕闇迫る中、日傘が手放せないでいる。意味などないとわかっているのに、それなのに畳んでしまう気にはどうしてもなれずにいた。男が先導してどこぞへと向かう、会話はやはりない。横たわる無言、舞い散る花弁、周囲の喧騒は賑やかながらも幸福が滲んでいる。

 

 男が向かうのはどうやら里の中心部のようだった。

 祭りの本会場だからだろうか、そこへと向かうエルフたちの数は多かった。何をしているのだろう、冷えた思考は己の立ち位置を改めて突きつける。異国の文化、異人種の祭り、紛れ込んだ自分達は単なる異形である。前を行く男は一体何を考えているのだろう、何を考えているわけでもないのかもしれないが、でも、それでも。無意味なことに意味を見出そうとしたとて、なんら建設的な思考でないことは理解した上でそれでも考えられずにはいられないでいた。不毛。無意味。ざわつく胸の奥、不快感。甘やかな痛みはそれでも苦く苦しく熱を帯びる。

 

 問いただしたいことなど山のようにある。


 どうして追いかけてきた。

 どうしてそうまでして私に構う。手を伸ばす。笑いかけてくる、香水を選ぶ。

 ――返ってくる返答など型通りのものだとわかりきっているのに、違うなにかがあるのではと考えてしまう。期待してしまう。億が一あり得ることなどないのに、あまりにも声が、表情が、柔らかいから。優しいから。穢したくないのに。だから拒絶したのに。大罪人が清らかなものに触れたとて、手に入れられる筈もない。男がこちらへと手を伸ばす理由、不必要なまでに悪魔へと心を砕く理由、何一つ説明がない。永劫交わらぬ存在、光の化身、熾天使というその強さを、強烈なまでの聖性を疑うべくもない、けれど。だからこそ。白は容易く黒に染まる。一点の曇りなき光に一欠片でも汚点を残したくない。変質していくさまが恐ろしい。

 

 男は振り返らない。

 見上げるほどの上背、自分とは頭一つは違う男のその恵まれた体躯は羨ましくもあり、存在の違いを見せつけてくるかのようだった。性差、立場、向けられる感情、信頼、その肩に如何ほどのものを乗せられているのだろう。

 真実清らかな天界ならば、憂えるものなど何も無いのであれば。あんなふうに苦しげに顔を曇らせるようなこともないのではないだろうかとも思う。時折溢れ出したかのように零される言葉は相変わらず不明瞭で、真意などわかろうはずもない。でもきっとそこにこの男の本質があるのだろうとも思う。……知り得ぬこと。憶測は不穏を呼ぶ。

 

 思考が疲れ果てた頃、辿り着いた祭り会場。

 命を燃やし尽くさんばかりに咲き誇る淡い花弁の大輪の花をつけた巨木、ぶら下がる枝葉にくくりつけられた色とりどりのリボン。魔力で作られた光球が花を照らすように煌々と光り輝いていて、まるで燃え盛る炎のようだった。満ちる音楽、歌声、踊るエルフ達。揺れる金の髪と緑の瞳、真白いワンピースの裾が揺れてどこまでも非現実。萌える木々。香る花々。息苦しいほどに生命に満ちあふれている。


 その輪に混ざる気もならず、会場の隅の方に備え付けられていたベンチへと腰を下ろした。疲れたと言わんばかりに大きく息をつく。消耗は激しかった、主に精神面に。光、笑い声、木々の多い里。落ちる影は色濃く輪郭をぼんやりとさせる。

 先を歩いていた男も立ち止まってこちらへと振り返る。まるで寄り添うように近付いてはくるものの、傍らに腰を落とすようなことはなかった。未だ差したままの日傘、見上げた先、酷く高いところに男の顔がある。その金色の髪が夜風に煽られて小さく揺れ、光を反射してきらきらと煌めいていた。光の洪水。エルフどもも同じ色だというのに、この男の長いそれは上等な金糸のようだと思う。

 

「あの、」


 どこか気落ちしたかのような声。

 あれほど嬉しそうにはしゃいでいた天使が、どこかしょぼくれたように視線を落としていた。ぎゅうと右手で自身の左腕を掴んでいて、どこかぎこちない。うろうろと彷徨う視線、見えないはずの犬の耳が、だらん、と力なく垂れ下がっているかのような印象だった。振られていた尻尾さえなくなったようだ、いや、実際に見えるわけでも犬と接した事があるわけではないのだけれども。幸せそうに微笑んでいた男が、無邪気な犬としか表現できなかった男が。……少し身構える。

 

「私は、……貴女に、差し出がましいことをしてしまったのでしょうか」

「はあ?」


 静かな声で、男はまたわけのわからないことを言い出した。

 無言のまま歩む男が、なんだろう、少しずつ気落ちしていったのはなんとなく察していたことではある。差し出がましい、必要以上に他人へ関与しようとする出過ぎた行為。無邪気な犬のように振られていた尻尾が少しずつ揺れることを止め、ぴんと立った耳が力をなくしていくかのような空気は確かにあったが。これまた随分と落ち込んだものである。勝手に喜んで勝手に気落ちしているのだ、わけがわからない。放置されたままのこちらは置いてけぼりだ、どこまでも自分勝手な男のその態度が癇に障る。善であると見せかけておいてあまりにも自己本位の天使。どうしてそこで、己の存在価値を下げるような物言いをするのだ。


「いつもの事だろうが」


 は、と。吐き捨てるように口にすれば、しょぼくれた犬は驚いたように顔を上げた。ぱちくりとその透き通った空色の目をしたばたかせている、こちらの言葉など全く想定外なのだろう。なんだ、優しい言葉でも返すとでも思ったのか私が。考えなしの木偶の坊め、否定でもして欲しかったのか。敵対者である私に、貴様は一体何を望むのか。じろりと睨みつける。


「お前がこちらの都合を気にしたことがあったか? いつもいつだって好き勝手しやがって、何が差し出がましいだ。今更にもほどがある」

 

 男の本意などわかろうはずもない。

 それでも湧き上がるのは苛立ちだった、随分と自己中心的な物言いをする男に腹が立ったのだ。男にとっての最善、良いと判断したからこその行動。お前は良かれと思ったのだろう、けれどそれは今までだって単なる善意の押しつけでしかなかった。それを何を急に物わかりの良い態度を取る、今まで散々こちらの意見など聞かずにいたくせに。掻き乱してきたくせに。善である、清廉である。善は善であるがゆえに他の口を塞ぐ。正しさは時に暴力でしかない、それなのに何故今になって急に差し出がましいだなどと言い出すのだ。


「今度は何だ、小娘にうつつを抜かしたことか。記憶を飛ばしたことか。突然の攻撃か。私を、…………追ってきた事か。いきなり腕をつかんだ事か。お前が決めた香水の事か」

 

 つらつらと思い出せるだけの、しかも直近の出来事に限ったこの男のやらかしを述べるのだが。犬は完全に言葉を失っていた。こちらとしては、よくもまあここまでやりたい放題やってくれたなというのが率直な感想である。これ全て善意なのだから手に負えない。

 ヨシュアは目を白黒させながら、弁明のようなものを始める。


「あの、香水が、」

「ふん?」

「……気に、入らなかったのかと、」


 語尾が掻き消えていくかのように、男の声は小さくなっていった。それと同時に視線が落ちる、見えないはずの犬耳が完全に頭へと張り付いている。叱られた犬か本当に。その姿はあの光り輝く空に君臨する強大な天使にはとてもじゃないが見えなかった。

 はあ、と。息をつく。

 これだけこちらが並べ立てたというのに、男の口から出てきたのはこちらとしても斜め上の言葉であった。購入者特典として男が選んだ練り香水を、私が気に入らなかったと判断したわけだ。それがどうして、差し出がましい事をしたという越権行為の認識になるのか。


「……お前の、私のイメージというこれか」


 捨てることも出来ずにいた小さな陶器。どこか涼やかで甘さのないその香りは、好きか嫌いかと言えば好きな方だとは思う。似合うかどうかはわからない、けれどこの男は満足そうにしていた。ヨシュアが私に対するイメージ、印象、甘やかに胸に満ちる形容しがたい感情。


「私が喜ぶとでも?」


 男は視線を落としたまま答えない。

 無言は肯定か。喜ぶと思ったんだろうな、善意には善意を返すことを疑いもしないのだから。だが私は悪魔で、天使の意図を汲んでやる必要など最初からないのだ。だいたい、どうして、香水を渡す相手に私を選んだのだ。感謝という見返りを求めるなら他に適任がいる。敵対するこちらへと、わざわざ寄越す理由がない。


「白い小娘なら喜んだだろう、梓でも、オリビアでも、……ルアード達だって、貴様に感謝するだろう。その中で何故私を選んだ。私が、」


 声が震える。


「……私が、天使の施しを、感謝すると何故思えた」


 普通の関係であれば問題なかっただろう、だが、我々は普通ではない。

 天使とはそういうものだ、わかっている。聞いてはならない、わかっているのに。意味なんかないのに。男は特段何を考えているでもない、特別などない。平等に向けられる博愛。慈悲。なのに、気に入ったか、などと。何故そんなことを聞く。期待をしてしまう、もしかしたらなんて。


「くだらない贖罪の為か」

「それも……あるとは思います。でも、ですが、」


 言い淀む。

 男は言葉を探すように僅かに唇を震わせて、一つ瞬きをした。儚い吐息が落ちて、こちらを見る。柔らかな眼差しはどこか憂いを帯びていて、美しい空色の瞳はそれでもこちらを見つめたまま逸らされない。


「貴女に、差し上げたいと思ったのです。何故と言われても、…………どうしてでしょう。貴女といると、……なんだか、許される気がしてならないのです」


 そう言って、どこか悲しげに男は微笑んだ。

 理由はわからないけれど私にやりたいと思った、言葉だけなら甘やかな物言い。かぁ、と肌が粟立つように熱を持って、続いた言葉になにか、そう。胸の内がひやりとした。感じる不穏さ。


「許される……?」


 思わず口にすると、ヨシュアは少しだけ口元を押さえて視線を揺らした。そうしてにこりと笑う。まるでこちらの問いをそのまま切り捨てるかのような、取り繕った笑みだ。笑みを浮かべたまま、そのまま口を噤む。それ以上触れるなと言わんばかりに。

 男の言葉は相も変わらず要領を得ず、質問の答えにもなっていない。何故私なのかわからないと言う、まだ贖罪の為であると言う方が理解できる。はっきりと物事を言わないのはいつものやり口だ。きちんと説明しないのは、触れられたくないものがあるからだなのだろう。抽象的で的を得ない。

 

「……何故そんな事を言う。貴様は天使で、私は悪魔だ。天使が悪魔に許しを請うなど一体どういう了見だ、お前、立場というものをわかって、」


 喉の奥で言葉が詰まる。


「贖罪もそうだ、お前、お前本当にいい加減にしろ、私が何者か忘れたわけではあるまい。私は悪魔で、魔王で、貴様の同胞を星の数ほど殺して、この身は、血と汚濁で、穢れ果てていて、」

 

 それなのに――何故。

 紡がれることのなかった言葉は飲み込まれたまま出口を失う。胸の内で冷えた何かが身体の中を巡る。震えるような寒気、考えたとてわかるはずもない。すっかり日の落ちた中で差したままの日傘の白が酷く目に痛い。ぎゅうと柄を握りしめる。

 

「……わけがわからない……なんなんだ、なんなんだ貴様は。なんで、そうまでして、」


 どうしてお前は私に手を伸ばす、私に構う。突き放したのに。手酷く拒絶したのに。傍にいてはならない、生きる世界が違いすぎるのに。交わらない。なのに、どうして。悪魔である私にこぼさねばならないほど、この男は追い詰められているのだろうか。光の園の住人が。清らかで穏やかで優しい男が。

 

 約束とは祈り。

 幸福はその祈りの外に。

 どんな思いでそれらを口にしたのか。

 許されないこと。

 許されたいと願うこと。


 何もわからない、男は何一つ説明しない。謎かけのような物言い、意味なんか最初からないのかもしれない。こちらをからかっているだけなのかもしれない。でもそうだと断定するには、あまりにも、……あまりにも。きりりと唇を噛み締める。

 真実清らかな天使の触れられたくないこと、永遠の楽園に座する果なき空の住人。それなのに赦しが必要なのか。これほどまでに清らかな者が、誰よりも幸福であるべき絶対の光の化身が。私という存在に向かって、それを口にするのか。わかりにくい物言い、笑って誤魔化して一切を受けつけない。はぐらかすように微笑んで、本音を口にすることを避けているようにしか思えなかった。どうしたいかなんて、一度だって言わない男。希望を持たない男。まるで、何もかも諦めたかのように。

 

「白いのも銀色のも、お前ほど感情を抑えないのに。お前はまるで心を持つこと事体が罰のように振る舞う……」

 

 そよぐ風、朱色の空は紫紺色に染まる。金の髪は暗い影のなかできらめいて、闇を溶かしたように黒々と染め上げていった。静かに凍りついた瞳、無色透明、凪いだまま仄暗い影が底に沈む。


 儚く美しい天使、穢れなき魂。聖性。善であり博愛、慈悲、魔王である自分にすら心を砕く。男の行動理念は常に善かどうかだ、正しいと思うことを遂行する。善悪でのみ動いて本人の意志はいつだってそこにはない。どうしたいと聞いた所で何一つ答えられない男。遠い眼差し、透き通った寂寞の色。抱える深淵、悲しい目をして、一切の救済を拒む男。許される気がする、それは、自身が許されないものであると理解している物言いだ。


「そう、見えますか」


 ぽつりと。独り言のように男は呟いた。

 穏やかな表情で、不思議そうにこちらを見下ろしてくる。いつもの微笑みはしかし陰りを見せていた。いつかのように深淵が覗いていて、形容しがたい不穏が漂っている。低い声はけれど無感動に、ただただ柔らかな音をしている。

 

「……感情、心、私には必要のないものです。私が私である、その為には不必要なもの。ただ――そう――捨てきれないものというのは、あまりにも無用でありながら痂皮を残すものですね」


 そう言って、ゆるく笑った。


「お前はまたわけのわからないことを、」

「私は……嘘つきですから。私という存在は虚構に過ぎません」


 まるで歌うかのように。

 滑稽でしょうと滲む声色でまた、男は自身のことを嘘つきと言う。あまりにも柔らかな声、見上げて睨みつけてやるのだがヨシュアは微笑むばかりで動じもしない。拒絶、閉じられた扉の先、結局言うだけ言ってその内容を告げる気が最初からないのだろう。ならば黙っていればいいと思うのに、ヨシュアはぽろぽろと言葉の欠片をこぼしていく。か細い悲鳴のように。助けを求めるかのように。

 一体何のことを差しているのか皆目わからないと言うのに、ただそこにあって存在を主張する。感情、心、必要がないという。存在の虚構、嘘、断片的な単語。情報。何かあったのだろうことはわかってもそれ以上踏み込めない。無視してしまえばいい、戯言だと取り合う必要もない。なのに、どうしても、それが出来ないでいた。胸の奥が痛い。なんで、そんな事を言うんだ。


「言うだけ言っておいて拒絶か」

「貴女に、聞かせられるような事ではないので」


 意図して言葉を強くするも、ヨシュアの表情は変わらない。陰りを残してゆるく微笑んだまま。しなやかに風を受け流す木々のように、さざめくものの揺るぎはしない。強い意志。何一つ届かないのだと知る。

 ……変な所で強情だ。なにが聞かせられないだ、巻き込んでおいて、こちらを散々かき乱しておいて何たる言い草。


「随分と傲慢なことだ、悪魔にすがっておいて何を聞かせられないという。忘れたとは言わせないぞ、この状態の異常さを。私という悪を。感情も心もそう簡単に捨てられるものか、貴様がしているのは単なる欺瞞だ。思い上がりも甚だしい、その驕り高ぶった態度が気に入らないんだ」


 苛立ちのまま、一気にまくし立てる。

 さっきまで好き勝手して、馬鹿みたいにご機嫌だったくせに。情緒どうなっているんだ、何が男の琴線に触れたのかわからない。私に、泣き言めいたことを漏らす理由も。

 ふざけるなと言わんばかりにきりきりと睨みつける、ヨシュアが呆けたようにこちらを見ている。薄く開いた唇がはく、と。わなないて、男は目を細めた。凍りついた空がゆっくりとほどける。熱を取り戻して緩く溶けていく。


「己の立場を忘れたことはありません。貴女がどのような存在であるかということも……赦されたいわけでは、ないのです。それなのに貴女がそうやって、私にまっすぐに感情を向けてくるから。私はなんだか、悪くないと思えるのです」


 静かな透き通った声で、不思議ですね、と。

 まるで吐息のように落とされた言葉。どこか熱に浮かされるかのように、うれしそうに。

 許される気がするのに、許されたいわけではない。不可解な言動でありながらこちらを見つめるのは、どこまでも儚く優しい眼差だった。悪くはない、と紡がれた声色はあまりにも甘く、柔らかで、あれでは、あれではまるで――。


 瞬間、頭上から大きな音がしてびくりと身体が跳ねた。

 見上げた先には空に舞い散る光の粒。弾けて、ばらばらと音を立てて振り注ぐ。輝いて夜の闇に掻き消えていく。エルフどもの魔力で構成された花火だ。


「閉幕式でしょうか」


 同じように空を見上げた男が小さく呟いた。

 遠くからエルフ達の一際大きな歓声が上がって、なお一層賑やかな音楽が周囲に響き渡る。見やった先、祭りの主会場では陽気な曲調が鳴り響いている。思い思いに灯される魔力が会場全体に満ちていて、華やかに色づいていた。

 それと同時に男の気配が変わる。

 急速に存在を取り戻したかのように熱が息づく。元通り。空気がいつものようにただ穏やかなだけのものに変わる。……また置いてけぼりである。男の言葉が一体何であったのか定かではないまま、強制的に打ち切られてしまった。文句の一つでもと思うのにうまく言葉にならない、身体の熱ばかりが上がって煩わしい。そんなはずなどないと言うのに、あの声は、眼差しは、そう、あまりにも。

 

「あ! ヨシュアさんとルーシェルさん!」


 大きな声で呼ばれて弾かれるようにして顔を上げた。大きく手を振ってこちらへと駆けてくるのは短髪の黒髪少女。慌てたようにその後ろに、長い黒髪の仏頂面がさも当たり前のようにいる。

 

「ほらほら、こんな所にいたら駄目ですよ! 後夜祭です! みんな好き好きに踊るんです、ほら傘も畳んでください! ね、ヨシュアさんも!」

「あ、おい、こら離せ!」


 はしゃぐ梓に腕を引かれて無理やり立たされた。そのままの勢いで祭り会場の中心部へと連れて行かれる。鮮やかな光の中へと引っ張り出される。賑やかな祭り、降り注ぐ淡い花弁、広がる白いワンピース。揺れる金色。幸せそうに笑い合うエルフ達。その中でひときわ目立つ金の髪、淡い空色の瞳。いつもの態度で、いつものように柔らかくこちらを見る、くせに。何を言うでもない。熱が吹き上がる。

 歌声、聞き慣れない曲、一面に広がる星空、弾ける花火。楽しそうに嬉しそうに笑っている梓に、満面の笑みを向けられて困惑する。嫌そうにしながらも梓に付き合うアーネストの姿はしかし、この騒ぎの中では大して目立ってもいない。異世界の祭り、異世界から来た我ら、異端、元来交わらない者達が今ここにいる。あまりにも非現実。


 ――頬の熱が治まらない。

 いつも通りに微笑んでいる男の顔が見られない。

 ありえないのに。

 そんなこと、ありえるはずがないのに。


「……ばかだな、」


 呟きは喧騒に紛れ解けて消えた。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

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