040 揺るがぬ意思
ちゅんちゅんと雀が鳴く声にリーベは目を覚ます。
「…………」
疲れて重たい体を起こし、さらに重たい頭で辺りを見回す。
室内は明るかった。
鎧戸の隙間からは明かりが差して枕元を照らしていた。
そこにはダンクが眠っている。
そして彼女は風呂屋から帰ってきた格好のままだった。
これらの情報を彼女の鈍い頭が整理する……が、答えはまとまらなかった。
「ぼけーっ……」
寝癖を部屋の淀んだ空気に晒しているとゴンゴンとドアが鳴った。
「リーベ、起きてるか?」
父の声だ。
「どうぞお~……」
ガチャリとノブが回り、ドアが内側に向けて開く。するとドア陰からエルガーが現われる。その逞しい顔は娘を見るや、ほろりと綻んだ。
「どうやらぐっすり眠れた見たいだな」
「うん……あれ? わたし、いつ寝たんだっけ?」
思い出そうにも、記憶が無く、妙に落ち着かない。飲酒を習慣としていない彼女にはわからないが、その気分はさながら酩酊した翌朝のようだ。
「風呂屋から帰ってきて、晩飯を待ってる内に寝ちまったんだよ」
「なるほど……」
(道理でパジャマを着ていないわけだ)
「それより、朝飯できてるから、さっさと下りてきな」
「うん……」
「冒険のことも、いろいろ聞きたいからよ」
そう言い残してエルガーは退室した。1人私室に残されたリーベは、父がいなくなったドアをボーッと眺めた後、ダンクを抱き抱える。
アプリコットのもふもふヘアーは寝癖になっていた。リーベはそんな彼を笑いつつ、その額にキスをする。
「おはよ。ダンク」
リーベが自分の寝癖の酷さに気付くまで、あと1分14秒。
母特製のラタトゥイユを頬張りながら、リーベは冒険中にあった出来事を語っていた。
「――でさ。ミルク缶が道の真ん中に転がってて、しかもあちこちが溶けてたんだよ!」
興奮気味に言葉を発した彼女は、牛乳で喉を潤した。
「え? ミルク缶って鉄なんでしょ?」
シェーンが驚く一方、元冒険者であるエルガーは実感を持って頷く。
「ラソラナは消化能力が高い魔物だからな」
「あ、フェアさんも同じこと言ってた。お腹の中で獲物に反撃されるかもしれないからって」
自分の言葉に思い出し、リーベは短い声を上げる。
「あ、そうだ。ねえお父さん。魔物の図鑑とか持ってない?」
「あるが――なんだ、勉強か?」
「うん。魔法だけじゃなくて、知識も付けないといけないなって」
するとシェーンがくすりと笑った。
「ふふ、良い刺激を受けられたみたいね」
「ああ。勉強熱心なのは良いことだ」
ところで、と母は心配そうな面持ちで娘を見る。
「その魔物と戦ってどう? 危なくなかった?」
「それは――」
『大丈夫だったよ』
嘘でもそう言いたかったが、出来なかった。
「…………」
口籠もっていると、シェーンは静かに、しかし悲愴な響きを持つ声で問うてくる。
「どうしたの? まさか、危ない目に遭ったんじゃ――」
「シェーン」
エルガーが言葉で制すと食卓は静寂に包まれた。
しかし二人の視線は『何があったのか言って見なさい』とばかりに娘に向けられていて、リーベはこの重苦しい沈黙を破ることを強いられたのだった。
「あのね……その、ラソラナのベロに捕まっちゃって――」
ラソラナの生態を知らないシェーンは夫を見やるが、夫は続きを促すように娘を見ていた。
「で、でもね! おじさんがベロを掴んでくれたから食べられないで済んだの! だから、その……大丈夫、だよ」
胸が苦しくなって言葉尻が霞む。
項垂れつつ、上目遣いに父を見やると、彼は腕を組み、傷跡の目立つ唇を開く。
「それで、どう思った?」
「……怖かった」
「やっぱりやめたいと思ったか?」
その問い掛けにリーベは首を横に振る。
「確かに怖かったし、もうあんな目に遭いたくないとも思う……でも、それでもわたしは戦いたい。魔物を倒して、お父さんみたいな英雄になりたい。みんなの希望を担えるような、そんな英雄に」
「……そうか」
エルガーは娘の成長に感慨深いものを抱きつつも、その思考が孕む危険性を感じないではいられなかった。
「冒険に出る以上、そういう事もあり得る。だからこれからは、今まで以上に気を付けて行動することだ。いいな?」
「……うん、わかった」
神妙に頷くと、エルガーの目の色が変わった。
「ああほら、あんま話に夢中になってると、飯が冷めちまうぞ」
「そ、そうね。せっかくのお料理なんですもの。美味しい内に頂きましょ?」
何処か気まずいものを残しながらも、食卓には思いやりに溢れた明るい雰囲気が漂っていた。
リーベが温もりに包まれていると、『もしもあの時、おじさんが助けてくれなかったら……』と、恐ろしい想像が過る。
「…………」
今回のような危険を避けるためには、注意するだけでは足りない。ターゲットと、それが出現した地域に生息する他の魔物の性質をよく理解しないといけないのだ。父に図鑑を借りたらそこにある情報を漏れ無く頭に叩き込もう。彼女はそう心に決めると、食べる手を早めるのだった。




