039 無事の帰還
半日ほど歩き続けたがしかし、未だに視界の両端には鬱蒼とした森林が広がっており、正面には坂道が果てしなく続いている。この光景がリーベにどんな印象を抱かせたか。それは語るまでもないだろう。
「うへえ……」
緩やかな勾配にいじめ抜かれた彼女だが、それでも健気に脚を動かし続けている。
だが心の中では『馬車が通りかかれば乗せてもらえるのにな~』と、情けない事を考えているのだった。
「ぜえ……」
喘いでいると、前方で振り返った振り向いたヴァールと目が合った。
「休むか?」
「も、もうちょっとだけ歩かせて……」
(疲れたけど……いつまでも疲れていられないんだ。体力を付けないと……!)
ヴァールが「そうか」と呟く傍らで、フロイデは心配そうに彼女を一瞥した。
やがて2人が視線を前に戻すと、替わってフェアが手が差し伸べてくる。
「杖はご入り用ですか?」
「お願い、します……」
彼の手を借りると多少楽になった。そうして歩き続ける内、前方に広場が現れる。
広場と言ってもここは自然界。出店やベンチなどはなく、街道の幅が広がっていただけのものであるが、何者かが野営した痕跡があるため、そう感じたのは彼らだけではないようだ。
「ちょうどいい。ここらで休憩にするぞ」
その言葉を聞いた途端、リーベの脚の力が抜け、膝から崩れ落ちた。
「ああ~! もう動けない……!」
「じゃあ置いてくか」
「えー、酷い!」
(なんて残酷な!)
「だはは! そんだけ声が出せりゃ、大丈夫だ。それよか、今のうち飯食っちゃえ」
ヴァールがそう口にしたとき、フェアが待ったを掛ける。同時にリーベの背筋にぞわりと、冷たいものが這い上る。
「食前に回復薬をどうぞ」
「うげっ!」
「以前のものは魔力回復用ですが、こちらは体力を回復させるものです。さ、飲んでください」
説明台詞と共に小瓶を押しつけられたリーベは、救いを求めてヴァールとフロイデを見やる。しかし2人は非情にも彼女から目を背け、黙々と食事を取っていたのだ。
「そんな~……」
胃の中から立ち上る青臭さに噎せながらも、リーベは一所懸命、歩みを進めていた。
「ふう……ふう……」
体力の消耗を低減するべく規則正しい呼吸を心掛けているものの、果たしてどれくらい効果があるものか。今にも底を突きそうな現状から推察するに、恐らく気休め程度の効果しか持たないのだろう。
そうこうする内、空は赤くなり始めていた。
(急がないと……!)
「ふっふっふっ……」
「ペースを乱すな」
彼女の呼吸が変わったのに気付いたヴァールが直ぐさま言う。
「で、でも……このまま、じゃ、日が暮れちゃう、よ?」
声を発するだけでも大変で、フロイデみたいなしゃべり方になってしまった。
「俺が急かしたワケじゃねえんだから、急ぐ必要はねえだろ?」
会話がかみ合ってない気もしたが、確かにその通りだ。
「う、うん……ごめんなさい」
ヴァールは小さく溜め息をつくと幾分明るい声で言う。
「ちゃんと間に合うから気にすんな。ほら見ろ」
「ん? ……あ、訓練場だ……!」
赤焼けた空の下、訓練場の柵と小屋と的が哀愁を漂わせて佇んでいた。それを見た途端、リーベは『帰ってきたんだ』という感慨にひたった。
「や、やっとここまで来たんだ」
「そうだ。だからあとちょっと、気張ってけよ」
「頑張って……!」
ヴァールの激励に、フロイデが言葉を添える。
2人の応援を受け、彼女の足と、フェアの手を握る手に力が籠もる。
「その意気です」
「はい!」
ふくらはぎが腫れ上がってしまったかのような苦痛に苛まれつつも、リーベは懸命に歩き続けた。
その間、無情にも空は黒くなり始めており、それに伴って周囲に広がる森も暗黒に沈んでいく。このままでは彼女らもが闇に呑み込まれてしまいそうに想われた。
しかしその時、リーベはその瞳に、見慣れた隔壁を捕らえる。
「あ……」
それは木々と同様に黒く染まっていたが、リーベの目には灯火のように輝いて見えた。
「テルドルだ……!」
「ああ、そうだ――」
ヴァールが彼女へ向けて言うが、生まれ育った故郷に無事に帰り着いた感動で胸がいっぱいで彼女はうまく聞き取れなかった。
門まで近寄ると、東門の外側を警備していたアランが笑顔で一行を出迎えてくれた。
「おや、ヴァールさん。それにリーベちゃんたちも、おかえりなさい」
「た、ただいま、です……」
力なく返すと、彼は笑って「今門を開けるからね」と、全身を使い、門扉を外側に引っ張った。
そうして見えた街並は、もはや目を閉じても思い描けるものだった。
街路の両脇に並び立つ街灯。それが照らし出す街道の上には無数の人影がある。
(帰ってきたんだ……!)
中に入ると靴裏から砂を噛む感触が消え、代わりに硬質で均一的な石畳の感触が足に響く。
「やあ、リーベちゃん。おかえりなさい」
門番のサイラスが親しげに手を上げる。
「ただいま、です……ぜえ」
それから彼と同様にリーベに「おかえりなさい」を言ってくれる人が何人もいた。しかし彼女は体力底を突いており、元気に返せなかったのが心苦しい限りであった。
そんな思いを胸に、リーベは実家であり、以前の職場でもある食堂エーアステに帰り着いた。ヴァールに先頭を譲られ、彼女はドアノブを握り、捻り、開放する。
「ただいま……!」
今はディナーでありホールは客でいっぱいだった。そんな中、誰よりも早く反応したのは彼女の父であるエルガーだった。
「おかえり! リーベ!」
彼はオーダーの途中であったにも関わらず、彼女の元まで飛んで来ると、怪我が無いか、舐め回すように観察した。そんな父の姿に娘は嬉しいやら可笑しいやらで胸がいっぱいだった。
そんな中、彼女の背後でヴァールが言う。
「約束通り、擦り傷一つ付けてねえよ」
「ああ。ありがとうな、ヴァール」
「良いってことよ。そんじゃ、俺たちはこれで」
「え、帰っちゃうの?」
「こんな格好じゃ、中に入れねえからな」
ヴァールは背負った大剣を示しながら言う。
「あ、そっか」
「そう言うこった。んじゃ、後で迎えに来るから、それまでに支度しとけよ」
「うん、待ってるね」
そう言い残すと彼はフェアとフロイデを連れて宿へと引き返していった。リーベは親しく手を振って見送ると、ホールに入る。すると常連客たちからも「おかえり」と言われる。
それは誕生日を祝われる時のような、若干の気恥ずかしさをもたらすも、それ以上に嬉しかった。
そうして厨房前にやって来ると、調理をしながらホールの様子を伺っていた母シェーンと目が合う。不安の色を登らせていた彼女だが、その顔色は次第に良くなり、「はあ」と尾を引く安堵のため息を漏らす。
「おかえりなさい、リーベ」
「ただいま、お母さん」
「今は手が離せないけど、後でいろいろ聞かせてね?」
「うん!」
リーベは両親とたくさんの客に見送られながらホールを後にする。
痛む脚に鞭を打って階段を上がり、自室にやって来ると、薄闇の中、寂しそうに彼女を見上げる愛犬の姿があった。
「ただいま、ダンク」




