深淵を歩く者
第9章 深淵を歩く者
静かだった。
あれだけ激しかった戦闘が嘘みたいに。
地下墓地の最深部には、俺とリリアの荒い呼吸だけが響いている。
砕けた石床。
壁に刻まれた巨大な傷。
そして。
黒い祭壇の前で、霧のように消えていく敵の残骸。
俺はそれを見届ける余裕すらなかった。
「……レオン!」
膝から崩れた。
「っと……」
リリアが慌てて俺の身体を支える。
「大丈夫ですか!?」
「大丈夫……じゃないな」
全身が痛い。
HPは。
《HP:11/――》
「……ん?」
俺は目を細めた。
最大HPの数字が、一瞬。
文字化けしたように揺れた。
そして。
視界の中央に、見たことのないメッセージが現れる。
《特殊進化処理――完了》
《魂魄情報との同期を確認》
《職業情報を更新します》
《ノービス》
↓
《アビスウォーカー》
「……マジか」
出た。
本当に。
出た。
ECLIPSE ONLINEに存在していた。
たった一つの隠し職。
取得条件すら攻略サイトにはほとんど載っていなかった、幻の職業。
《アビスウォーカー》。
俺が前世で。
最後まで取れなかった職業だ。
「レオン?」
リリアが不安そうに顔を覗き込んでくる。
「いや」
俺は口元を押さえた。
笑うな。
ここで笑ったら完全に変な奴だ。
「……ちょっと、嬉しいことがあった」
「今ですか?」
「今だからだよ」
命懸けだったんだから。
これくらい喜ばせてくれ。
俺は震える手でステータスを開いた。
――――――――――
名前:レオン・アルヴェイン
Lv:20
職業:アビスウォーカー
HP:???
MP:???
STR:6
VIT:7
AGI:5
INT:4
DEX:6
LUK:2
未使用ステータスポイント:60
固有特性:《深淵適合》
職業特性:《境界歩行》
スキル:
《深淵解析》
《残響模倣》
《??????》
成長限界:UNKNOWN
――――――――――
「…………」
おい。
待て。
一個ずついこう。
ツッコミたいところが多すぎる。
まず。
HPとMP。
なんで消えた。
次。
固有特性。
俺の《未覚醒》はどこにいった。
そして。
「残響……模倣?」
知らない。
少なくとも。
俺の知っている《アビスウォーカー》には、こんなスキルはなかった。
前世で確認されていたアビスウォーカーの初期スキルは三つ。
《影渡り》。
《深淵耐性》。
《黒刃》。
そのどれも。
ない。
「……別物じゃねえか」
俺が呟いた瞬間。
《スキル詳細を表示しますか?》
「ああ」
思わず声に出してしまった。
リリアが首を傾げたが。
今は気にしている場合じゃない。
《深淵解析》
《対象の情報を解析します》
《観測時間・戦闘経験・対象とのレベル差により解析精度が変動します》
《解析対象:人物/魔物/技能/現象》
「……は?」
もう一度読む。
人物。
魔物。
技能。
現象。
鑑定系スキルじゃない。
対象そのものを。
解析する?
続いて。
《残響模倣》
《深淵解析によって一定以上解析した技能を、一時的に再現します》
《再現率は適合率に依存します》
《固有能力・血統能力・神性能力など、一部技能は再現できません》
《現在の模倣可能数:1》
俺は固まった。
「いやいやいやいや」
これはダメだろ。
明らかに。
ゲームバランスを壊すやつだ。
敵の技を。
覚える?
いや。
正確には。
解析して。
模倣する。
俺は反射的にリリアを見た。
「?」
蒼い髪を揺らして、リリアが首を傾げる。
そう。
こいつには。
あれがある。
ゴブリンキング戦で見せた。
蒼い炎。
「リリア」
「はい?」
「ちょっと魔法使える?」
「ここでですか?」
「小さいのでいい」
「は、はい」
リリアは戸惑いながら片手を上げた。
その指先に。
小さな蒼い火が灯る。
瞬間。
俺の視界が変わった。
《解析対象を確認》
《蒼炎》
《解析開始》
……。
……。
《解析率:3%》
「低っ」
「え?」
「あ、いや」
なるほど。
見るだけじゃダメか。
一度見ただけの能力を即コピーなんて。
さすがにそこまで都合よくはないらしい。
俺は少し安心した。
そして。
同時に。
寒気がした。
じゃあ。
何度も見れば?
戦えば?
仕組みを理解すれば?
解析率が。
百パーセントになったら?
《残響模倣》で。
リリアの蒼炎すら使えるのか?
「……やばいな」
「レオン。先ほどから何が……?」
「いや」
俺はステータス画面を閉じた。
「帰ったら説明する」
「またそれですか」
「今回は本当に説明する」
「……約束ですよ?」
「ああ」
たぶん。
説明できる範囲で。
だけど。
もう一つ。
確かめなきゃいけない。
俺は再び画面を開いた。
未使用ステータスポイント。
六十。
ずっと。
このために我慢してきた。
Lv7から。
一ポイントも振らず。
推奨レベル四十の森を抜け。
ゴブリンの襲撃を生き延び。
Lv20まで。
ようやく。
使える。
「さて」
どう振る。
ゲーム時代なら迷わない。
アビスウォーカーはAGIとDEXを中心に伸ばす高速型。
そこへSTR。
最低限のVIT。
それが定石だった。
ただし。
それは。
俺が知っているアビスウォーカーの話だ。
今のこれは。
違う。
《深淵解析》。
《残響模倣》。
そして。
未確認の三つ目のスキル。
ここで全部使うのは――
「……いや」
違うな。
俺は首を振った。
温存して死んだら意味がない。
これはゲームじゃない。
死んでも攻略wikiは開けない。
コンティニューもない。
なら。
生き残れるだけの力は。
今。
取る。
STR。
+15。
VIT。
+15。
AGI。
+20。
DEX。
+10。
合計。
六十。
《ステータスポイントを使用しますか?》
YES。
押した。
次の瞬間。
「――っ!?」
身体が跳ねた。
熱い。
いや。
違う。
身体の内側から。
何かが。
一気に書き換わっていく。
心臓。
筋肉。
骨。
神経。
全部。
「レオン!?」
リリアが俺の肩を掴んだ。
「だい、じょうぶ……!」
声を絞り出す。
痛みは。
数秒だった。
やがて。
身体が軽くなる。
いや。
軽いなんてもんじゃない。
俺はゆっくり立ち上がった。
拳を握る。
「……これが」
今までと。
全然違う。
足に力を込めただけで分かる。
踏み込める。
走れる。
反応できる。
何より。
身体が。
俺の思考に遅れない。
ステータスを開く。
――――――――――
STR:21
VIT:22
AGI:25
INT:4
DEX:16
LUK:2
――――――――――
「すげえ……」
レベル二十。
それなのに。
数値だけなら。
同レベル帯の前衛職を完全に上回っている。
いや。
待て。
俺は画面の下を見る。
《職業補正を算出中》
「……まだあんの?」
《アビスウォーカー職業特性》
《境界歩行》
《レベルアップ時、全基礎能力値に追加成長補正》
《補正値は深淵接続率に応じて変動します》
俺の顔から。
笑みが消えた。
追加成長。
つまり。
これからレベルが上がるほど。
普通の職業との差が。
広がる。
「強い」
思わず呟く。
強すぎる。
前世。
こんな仕様じゃなかった。
明らかに。
俺の知っているECLIPSE ONLINEから逸脱している。
その時だった。
祭壇が。
震えた。
ゴゴゴゴゴ――。
「レオン!」
「分かってる!」
俺とリリアが同時に振り返る。
黒い祭壇の中心。
さっきまで何もなかった場所に。
文字が。
浮かび上がっていた。
日本語。
まただ。
この世界には。
存在するはずのない文字。
《第七世界》
《観測対象の第一段階覚醒を確認》
《深淵接続率――3%》
一パーセントだったはずだ。
上がってる。
《適合率――規定値を突破》
《観測レベルを更新します》
《次回接触条件を――》
文字が。
乱れた。
《警告》
《外部干渉を確認》
「……外部?」
嫌な予感がした。
その直後。
地下墓地全体が。
大きく揺れた。
天井から石片が落ちる。
「きゃっ!」
「リリア!」
俺は反射的に彼女の腕を引いた。
その瞬間。
頭上から落ちてきた岩を。
避ける。
いや。
違う。
見えた。
落ちてくる場所が。
分かった。
身体が。
勝手に動いた。
AGI二十五。
さっきまでの俺なら。
間に合っていない。
「走るぞ!」
「はい!」
俺たちは来た道へ向かって駆け出した。
その背後で。
黒い祭壇に。
一本の亀裂が走る。
バキッ。
二本。
三本。
そして。
砕けた。
その奥に。
空間があった。
いや。
穴。
どこまでも続く。
真っ黒な。
底の見えない穴。
そこから。
声がした。
『――見つけた』
俺の足が。
止まりかける。
知っている。
この言葉。
エルム村で。
ゴブリンキングも。
確かに。
言った。
見つけた。
「……まさか」
偶然じゃない。
あいつは。
俺を探していた。
そして。
地下墓地の奥にいる何かも。
俺を。
知っている。
《緊急システム通知》
《メインシナリオに重大な変動が発生しました》
《本来存在しないイベントを検出》
《修正不能》
《世界補正――失敗》
俺は。
走りながら。
最後の一文を見た。
《観測者が、あなたを認識しました》
「…………」
最悪だ。
隠し職を手に入れた。
強くなった。
これで。
死亡予定までの半年を。
生き延びられる可能性が上がった。
そのはずなのに。
どうしてだろう。
俺には。
自分の死亡フラグが減ったんじゃなく。
もっとデカい何かに。
上書きされたようにしか思えなかった。
そして。
俺たちが地下墓地を脱出した。
その数分後。
誰もいなくなった最深部。
砕けた祭壇の奥。
深い闇の中で。
ゆっくりと。
二つの赤い眼が。
開いた。
『レオン・アルヴェイン』
声が。
闇に響く。
『ようやく――』
『こちらを見たな』
――第9章・了




