第45章 プレイヤーを止める日
《最終クエスト》
《第八世界を完成させよ》
《プレイヤー権限を剥奪はくだつしてください》
《対象――レオン・ヴァルハルト》
しばらく、誰も口を開かなかった。
学院の中庭には風が吹いている。
さっきまでなら、こんなものに気を留める余裕なんてなかった。WORLD SYSTEMの停止、外部からの侵入、完全初期化。目の前にある問題を潰すだけで精一杯だったからだ。
けれど今は違う。
木々が揺れ、少し離れた場所では学院の生徒たちが何事もなかったように歩いている。
世界は、もう動いている。
俺一人を除いて。
「……プレイヤー権限を剥奪?」
カイルが表示を睨んだ。
「それってつまり、お前からあっち側の権限を全部取り上げろってことか?」
「たぶんな」
俺は答えながら、自分のステータスを開く。
見慣れた半透明の画面。
名前。
レベル。
職業。
スキル。
そして、その一番下。
今まで存在しなかった項目が追加されていた。
《存在区分》
《WORLD-08所属個体:仮登録》
《PLAYER:ACTIVE》
《最上位権限:LOGOUT》
……やっぱり残ってる。
WORLD SYSTEMが止まっても。
外部接続を切っても。
俺だけはまだ完全には、この世界の住人になっていない。
「レオン」
エリシアが俺を見る。
「その《LOGOUT》という権限は、何なのですか?」
その問いに、すぐには答えられなかった。
ゲームだった頃なら簡単だ。
ログアウト。
ゲームをやめる。
現実に戻る。
たったそれだけの機能。
でも今、その言葉が意味するものはまるで違う。
「……この世界から出るための権限だ」
エリシアの表情がわずかに変わる。
カイルも黙った。
「使えるのか?」
「いや」
俺は《LOGOUT》に触れる。
《現在、この機能は使用できません》
《世界独立処理が完了していません》
見慣れた警告文。
ただ、その下にもう一行ある。
《独立完了後、再判定されます》
「今は無理だ。でも第八世界が完成したら……使えるようになる可能性がある」
カイルが頭を掻いた。
「じゃあ、権限を捨てたら?」
俺は答えなかった。
答える必要もなかった。
《PLAYER権限剥奪後、外部帰還機能は永久に失われます》
表示された文字を、三人で読む。
静かだった。
不思議なくらいに。
「永久に……」
エリシアが呟く。
つまり、そういうことだ。
ここに残るか。
戻る可能性を残すか。
世界を完成させるためには、俺がプレイヤーであることをやめなければならない。
だがそうすれば、元の世界へ戻れる道は消える。
「……随分と最後らしい選択を出してきやがる」
カイルが吐き捨てるように言った。
「お前がここまでやったんだぞ。世界を救って、システム止めて、外から来た連中まで追い返して。それで最後に『はい、お前だけ帰る道捨てろ』って?」
「カイル」
「納得できるかよ」
「俺もまだ納得してない」
そう言うと、カイルは口を閉じた。
俺はもう一度ステータスを見る。
PLAYER。
この一行だけが、ずっと俺とこの世界の間に残り続けていた。
最初は武器だった。
ゲーム知識がある。
イベントを知っている。
敵のレベルを知っている。
隠し職も、ダンジョンも、攻略法も知っている。
だから勝てた。
俺はずっと、それを自分の強みだと思っていた。
けれど。
途中から何度も感じていた。
知っているはずなのに違う。
いるはずの敵がいない。
起きるはずのイベントが起こらない。
NPCだったはずの連中が、自分の意思で動いている。
エリシアも。
カイルも。
リリアも。
もうとっくに、攻略対象でもイベントキャラクターでもなかった。
それなのに俺だけが、最後まで「プレイヤー」のまま残っている。
『――だから完成しない』
声がした。
俺たちは同時に振り返った。
銀髪の観測者が、校舎の壁にもたれていた。
「いつからいた」
『少し前から』
「気配消すなよ……」
カイルが露骨に嫌そうな顔をする。
観測者は気にした様子もなく、俺を見る。
『第八世界の独立率は現在99.12%。残り0.88%が何か、分かった?』
「俺だろ」
『正確には違う』
銀髪の少女が指を一本立てる。
『あなたではなく、あなたに付属している“所有権”』
「所有権?」
『プレイヤーは、この世界を世界として見ていない』
俺の眉が動く。
『ステータスを見る。数値を見る。アイテムを収納する。システムに命令する。死ねばやり直せると思う。必要ならログアウトする』
「……」
『それは、この世界に生きる者の権利じゃない』
言われてみれば、当然だった。
俺にとって当たり前すぎただけで。
『PLAYER権限が一つでも残っている限り、WORLD-08は外部から“所有可能な世界”として認識され続ける』
「じゃあ俺の権限を消せば、完全に切れる?」
『理論上は』
カイルが間髪入れずに聞く。
「デメリットは?」
『多いよ』
「言え」
観測者は俺を見る。
確認するような間を置いてから、答えた。
『ステータス閲覧機能の消失』
《警告》
『インベントリ補助の消失』
《警告》
『クエスト通知の消失』
《警告》
『システム補正の消失』
《警告》
一つずつ表示が浮かぶ。
そして最後。
『外部世界への帰還権限の永久消失』
《最終警告》
カイルが舌打ちした。
エリシアは何も言わない。
俺も、しばらく表示を眺めていた。
「……レベルも消えるのか?」
『レベルそのものが消えるわけじゃない』
「どういう意味だ?」
『レベルは、あなたたちの成長をWORLD SYSTEMが数値化したもの。システムがなくなっても、鍛えた身体や覚えた技術までは消えない。ただし――』
「もう数字では見えなくなる」
『そう』
なるほど。
ゲームじゃなくなる、か。
敵の頭上にレベルは出ない。
HPも見えない。
危険度も、推奨レベルも教えてくれない。
クエストも来ない。
正解も表示されない。
初めてこの世界に来た時の俺なら、絶対に嫌だっただろう。
ゲーム知識こそが、唯一の支えだったから。
「レオン」
エリシアが俺の名前を呼んだ。
「……どうするおつもりですか?」
俺は彼女を見る。
いつものエリシアだった。
管理者としてではなく。
物語の中核個体でもなく。
ただのエリシアとして、そこにいる。
「エリシアはどうしてほしい?」
一瞬だけ、彼女は困った顔をした。
「それを私に決めさせるのですか?」
「聞くだけだ」
「では答えません」
即答だった。
思わず笑いそうになる。
「あなたが元の世界へ戻りたいのであれば、私は止めません」
「……」
「残ると言うのであれば、それも止めません」
そこでエリシアは少しだけ視線を逸らした。
「ただ――」
「ただ?」
「どちらを選ぶとしても、私たちのために選んだ、などとは言わないでください」
胸の奥を突かれた気がした。
「自分で選んでください」
その言葉を聞いて、ようやく分かった。
これが最後のクエストである理由を。
今まで俺は選んできたつもりだった。
死者の森へ行く。
地下墓地に入る。
村を助ける。
シナリオから外れる。
WORLD SYSTEMに逆らう。
けれど、その全部に目的があった。
生き残るため。
誰かを助けるため。
世界を消させないため。
正解が分からなくても、選ぶ理由はあった。
今回は違う。
どちらを選んでも、間違いではない。
帰りたいと思うことも。
ここに残りたいと思うことも。
誰にも責められない。
だからこそ――俺自身が決めるしかない。
俺は《PLAYER権限》に指を伸ばした。
その瞬間。
画面が切り替わった。
《PLAYER権限剥奪申請を検知》
《本人確認を開始します》
「……本人確認?」
嫌な言い回しだった。
《権限保有者の人格データを照合》
《照合中》
《一致率:51.03%》
俺の手が止まる。
「低くないか?」
カイルが眉をひそめる。
51%。
半分しか一致していない。
《不一致領域を検出》
《旧PLAYER人格を復元します》
「待て」
俺は画面に触れた。
反応しない。
《権限剥奪には、権限所有者双方の同意が必要です》
「双方?」
次の瞬間。
目の前に、見覚えのあるステータス画面が開いた。
名前は同じ。
レオン・ヴァルハルト。
だが所属欄が違う。
《WORLD-08:未所属》
《PLAYER:ORIGINAL》
その表示の前に、人影が立っていた。
俺と同じ顔。
同じ身長。
同じ声。
ただし装備は、この世界に来たばかりの頃のものだった。
そいつは周囲を見渡し、カイルを見て、エリシアを見て――最後に俺を見る。
そして、心底理解できないという顔をした。
「お前……何してんの?」
俺は答えなかった。
もう一人の俺は、自分の前に表示された《PLAYER権限剥奪》の項目を読む。
数秒後。
鼻で笑った。
「却下に決まってるだろ」
《PLAYER:ORIGINAL》
《権限剥奪――拒否》
独立率が動く。
《WORLD-08独立率:99.12%》
《最終処理停止》
もう一人の俺が言った。
「帰れるのに、なんで帰らない?」
その言葉に。
俺はすぐ答えることができなかった。
第八世界を完成させるための最後の障害。
それは強い敵でも、システムでも、外部のプレイヤーでもなかった。
この世界を――
最後まで“ゲーム”だと思っている俺自身だった。




