第41章 他人の世界で、神様を気取るな
空が、裂けていた。
青空の中央に走った黒い亀裂が、まるで巨大な傷口のようにゆっくりと広がっている。
その向こうには何もない。
雲も。
星も。
光さえない。
ただ、真っ黒な空間だけが広がっていた。
そして。
そこから伸びた無数の黒い線が、《WORLD SYSTEM》の残骸へと繋がっている。
《緊急クエスト》
《外部接続を切断せよ》
《対象数――1》
《制限時間――00:02:31》
「二分半か」
俺は表示を見上げた。
「ずいぶん余裕あるな」
「お前の時間感覚、絶対おかしくなってるからな?」
隣でカイルが剣を構えながら言う。
「さっきまで七分だったろ」
「七分で世界を救おうとしてた奴の言う台詞じゃないよ、それ」
エリシアまで呆れていた。
だが。
冗談を言っている余裕があるうちに、やるしかない。
黒い亀裂の奥。
そこに。
人影があった。
顔は見えない。
身体も輪郭しか分からない。
それなのに、確かにこちらを見ている。
《PLAYER:UNKNOWN》
「お前が」
俺は剣を向けた。
「ずっと外から弄ってた奴か」
返事はなかった。
代わりに。
声だけが、世界全体に響いた。
『弄っていた?』
男とも女とも判別できない声。
『違う』
亀裂の向こうの影が動く。
『管理していた』
「同じだろ」
『違う』
声には感情がない。
『世界は管理されなければ維持できない』
《WORLD SYSTEM》の残骸が震える。
黒い線が脈打つたび、地面まで揺れた。
『七度の失敗』
『七度の崩壊』
『七度の初期化』
『そのすべてを観測した』
俺の横で、最後のプレイヤーが息を呑んだ。
「……こいつ」
その顔から血の気が引いている。
「知ってるのか?」
「いや」
首を振る。
「声は知らない。姿も知らない」
それから。
亀裂を睨んだ。
「でも……この権限は知ってる」
《解析》
俺の視界にはもう、以前のようなゲームUIはほとんど残っていない。
それでも。
世界そのものに残っている情報だけは、微かに読み取れる。
――外部観測権限。
――干渉権限。
――初期化要求権限。
そして。
《接続方式:観測者権限を経由》
「観測者……?」
カイルが呟いた。
次の瞬間。
全員の視線が。
カイルへ向いた。
「待て」
カイルが一歩退く。
「なんで俺を見る」
「いや」
俺は表示を見たまま答える。
「お前の権限を通ってる」
「は?」
カイルの顔が固まった。
そういうことか。
三つの権限。
侵入者。
管理者。
観測者。
第八世界を作るために必要だったそれらは。
同時に。
外からこの世界へ干渉するための入口にもなっていた。
『観測とは』
声が響く。
『外部から世界を定義する行為だ』
黒い線が。
一斉にカイルへ向かった。
「カイル!」
「分かってる!」
カイルが剣を振るう。
一本。
二本。
三本。
黒い線が切断される。
だが。
切った端から再接続されていく。
《外部接続率――82%》
《83%》
《84%》
上がってる。
「切るだけじゃ駄目か」
エリシアが杖を構えた。
「接続先そのものを閉じる必要がある」
「どうやって?」
「観測者権限を破棄する」
カイルが即答した。
俺は振り返る。
「できるのか?」
「知らん」
「おい」
「でも俺が持ってる権限なら、俺が捨てるのが一番早いだろ」
そう言って。
カイルは笑った。
いつもの。
ちょっと腹の立つ笑い方だった。
「お前ばっかり格好つけさせると思うなよ、レオン」
「……死亡フラグみたいな言い方やめろ」
「死なねえよ」
カイルが剣を地面に突き立てる。
「たぶんな」
「たぶんを付けるな!」
エリシアが怒鳴った。
だが。
カイルはもう動いていた。
右手を前へ。
「観測者権限」
空間に光の文字列が浮かぶ。
《権限破棄を申請》
《警告》
《観測者権限を破棄した場合、外部世界情報へのアクセスが失われます》
《一部記憶補助機能が停止する可能性があります》
俺の眉が動いた。
「待て」
カイルの手首を掴む。
「記憶ってなんだ」
「俺にも分からん」
「じゃあ押すな」
「時間見ろ」
《00:01:19》
「……くそ」
『無意味だ』
声が響いた。
『観測者が一人である必要はない』
その言葉と同時に。
黒い亀裂の奥に。
新しい表示が浮かぶ。
《観測権限移行準備》
《候補個体を検索》
嫌な予感がした。
ものすごく。
嫌な予感が。
《候補個体――レオン・アルヴェイン》
「は?」
『お前は最初から』
声が。
わずかに笑った気がした。
『こちら側の存在だ』
頭の奥で。
何かが弾けた。
一瞬だけ。
見えた。
暗い部屋。
机。
光る画面。
キーボード。
そこに表示されている。
ゲームのタイトル。
俺が。
この世界へ来る前。
確かに見ていた景色。
「レオン?」
エリシアの声で我に返る。
《観測権限移行率――12%》
《18%》
《27%》
「ふざけんな」
俺は剣を握り直した。
なるほど。
そういうことか。
俺が異物だから。
俺がプレイヤーだったから。
外側との接続先に使える。
だったら。
話は簡単だ。
「カイル」
「なんだ」
「権限は捨てるな」
「でも――」
「入口を閉じても、俺に移される」
カイルが表示を見る。
「……じゃあどうする」
「入口じゃない」
俺は。
黒い亀裂を見上げた。
「向こう側を壊す」
沈黙。
「レオン」
エリシアが静かに言った。
「また、とんでもないこと言ってる自覚ある?」
「ある」
「なら安心した」
ないと思われてたのか。
《残り――00:00:47》
四十七秒。
充分だ。
俺は走った。
崩れた《WORLD SYSTEM》の身体。
そこから伸びる黒い線。
その一本へ。
剣を突き立てる。
《接続経路を検出》
《外部接続経路への侵入は推奨されません》
「推奨されてない場所なんて」
俺は笑った。
「今さらだろ」
最初は《死者の森》。
推奨レベル四十。
あそこから。
ずっとそうだった。
行くなと言われた場所へ行って。
倒せないと言われた敵を倒して。
変えられないと言われた運命を変えた。
だったら。
最後まで同じでいい。
《侵入者権限を使用しますか?》
もちろん。
「使用」
世界が。
反転した。
足元が消える。
身体が落ちる。
いや。
引き上げられている。
黒い亀裂へ。
「レオン!」
エリシアの声。
「三十秒だぞ!」
カイルの声。
「知ってる!」
光のない空間。
その中心に。
《PLAYER:UNKNOWN》が立っていた。
今度は。
はっきり見える。
人間の形をしている。
なのに。
顔だけが黒く塗り潰されている。
『来たか』
「ああ」
俺は剣を肩に乗せた。
『ここは世界の外だ』
「だから?」
『お前の能力は使用できない』
表示を見る。
スキル。
使用不可。
ステータス補正。
停止。
世界法則。
適用外。
なるほど。
完全な。
ただの人間だ。
向こうも同じなら。
それでいい。
俺は剣を下ろした。
「なあ」
『何だ』
「一個だけ教えろ」
俺は目の前の存在を見た。
「この世界で暮らしてる奴らを」
一歩。
前へ。
「お前は何だと思ってる?」
わずかな沈黙。
そして。
答え。
『データだ』
――ああ。
駄目だ。
こいつとは。
絶対に分かり合えない。
「そうか」
剣を構える。
「じゃあ、お前には任せられねえな」
《残り――00:00:18》
『何をするつもりだ』
「決まってる」
この世界に来て。
ゲームの知識を使って。
好き勝手やって。
何度も死にかけて。
それでも。
気づいたことが一つある。
こいつらは。
NPCじゃない。
エリシアも。
カイルも。
リリアも。
アルバートも。
俺が出会った全員が。
自分で考えて。
自分で選んで。
自分で生きている。
だったら。
「他人の世界で」
踏み込む。
「神様を気取るな!」
剣を振り抜いた。
《侵入者権限――最終実行》
《外部接続経路を強制切断》
『――待て』
初めて。
その声に。
感情が混じった。
《00:00:05》
《00:00:04》
黒い世界に亀裂が走る。
《00:00:03》
《外部接続率――42%》
《21%》
《8%》
《00:00:02》
『レオン・アルヴェイン』
影が。
俺へ手を伸ばす。
『お前はまだ』
《00:00:01》
『完全には――』
《接続切断》
音が消えた。
黒い世界が。
砕け散る。
そして。
最後に。
一つだけ。
見えた。
消えていく《PLAYER:UNKNOWN》の胸元。
そこに浮かんでいた文字。
《観測者》
ではない。
《管理者》
でもない。
《PLAYER》
でもない。
《――USER》
「……は?」
次の瞬間。
俺の身体は第八世界へ叩き戻された。
「レオン!」
背中を地面に打ちつける。
痛い。
普通に痛い。
「っつ……」
エリシアが駆け寄ってくる。
カイルもいる。
空を見る。
黒い亀裂が。
閉じていく。
《外部接続――0%》
《完全初期化処理――停止》
そして。
新しい表示が現れた。
《第八世界独立処理を再開します》
《独立率――91.07%》
《92.44%》
《94.81%》
数字が上がる。
ようやく。
終わる。
そう思った。
だが。
俺の頭には。
さっき見た一語が引っかかっていた。
PLAYERじゃない。
《USER》。
この世界を遊んでいた人間より。
さらに上。
ゲームそのものを使う側。
「……まだ」
俺は呟いた。
エリシアが振り返る。
「え?」
独立率が。
止まる。
《99.12%》
《処理停止》
《未処理権限を検出》
俺は。
ゆっくり立ち上がった。
「まだ終わってない」
空中に。
最後の表示が現れる。
《未処理権限――1》
《所有者を検索中――》
そして。
何故か。
表示は。
俺の目の前で止まった。




