第39章 世界を止めるな、システムを止めろ
白かった世界に、色が戻った。
最初に見えたのは、俺の右手だった。
握って、開く。
ちゃんと動く。
次に足元。
白一色だった空間は消え、俺たちは再び《世界基幹領域》に立っていた。
無数の光の線が虚空を走り、その中心では巨大な球体が脈打っている。
第八世界の核。
いや。
正確には――生まれたばかりの世界を、今なお縛ろうとしているもの。
《WORLD SYSTEM》。
その表面を、赤い文字列が覆っていた。
《完全初期化シーケンス進行中》
《残り時間――00:05:18》
「……五分か」
思っていたより減っている。
だが、不思議と焦りはなかった。
さっきまでの俺なら違ったかもしれない。
この世界がゲームではなかったこと。
七つの世界すべてに俺自身が存在していたこと。
俺が何者なのか。
エリシアが何者なのか。
知りたかった答えは、一気に押し寄せてきた。
それでも。
今はもう、考える順番が分かる。
「兄様」
声に振り返る。
エリシアが立っていた。
俺の知っているエリシア。
銀色の髪。
少し不安そうな顔。
そして、その隣にはカイルがいる。
「戻ったか」
「ああ」
「なら説明は後だ」
「奇遇だな。俺も同じこと考えてた」
カイルが口元をわずかに上げる。
その直後。
空間全体が震えた。
《警告》
《未承認個体による基幹領域への侵入を確認》
《対象――レオン・アルヴェイン》
《対象――カイル》
《対象――エリシア・アルヴェイン》
《排除処理を開始します》
「来るぞ!」
カイルが叫ぶ。
床から、黒い柱が一斉に突き出した。
俺はエリシアの腕を掴み、横へ跳ぶ。
一瞬遅れて、さっきまで立っていた場所が消滅した。
壊れたんじゃない。
消えた。
床も。
光も。
そこに存在していたという情報そのものが削除されている。
「触れたら終わりだな」
「たぶんね」
カイルが剣を抜く。
だが、俺は首を振った。
「斬るな」
「は?」
「相手はモンスターじゃない。攻撃判定そのものがシステム処理だ。下手に干渉したら、お前の情報まで削除対象にされる」
「じゃあどうする」
分かってる。
俺の視界には、ずっと表示されていた。
《特殊技能――境界簒奪きょうかいさんだつ》
他者の領域へ入り込み。
境界を奪う。
これまで何度も使ってきた。
敵の力。
世界の境界。
そして今。
相手が《WORLD SYSTEM》だろうと――境界が存在するなら。
奪える。
「俺がシステムに入る」
エリシアの顔色が変わった。
「兄様、それは……!」
「分かってる」
通常の侵入とは違う。
システムの中心へ直接触れれば、俺の魂情報そのものが逆流する可能性がある。
最悪。
俺という存在が《WORLD SYSTEM》側に取り込まれる。
だが。
「他に五分で終わらせる方法あるか?」
誰も答えない。
「じゃあ決まりだ」
俺は球体へ向かって歩き出した。
そのとき。
エリシアが俺の服を掴んだ。
「……帰ってきますか?」
足が止まる。
その言葉を。
俺は前にも聞いた気がした。
一度じゃない。
もっと昔。
ずっと昔に。
世界がまだ一度目だった頃にも。
誰かに。
いや。
エリシアに。
「帰るよ」
俺は振り返らなかった。
「何回やり直しても、そこだけは同じらしいからな」
服を掴んでいた手が、ゆっくり離れる。
「……はい」
俺は走った。
黒い柱が次々と出現する。
右。
左。
正面。
避ける。
跳ぶ。
さらに前へ。
《排除優先度を変更》
《レオン・アルヴェインを最優先対象へ設定》
「知ってるよ!」
俺は床を蹴った。
球体まで、あと十メートル。
五メートル。
二メートル。
手を伸ばす。
「――《境界簒奪》!」
触れた瞬間。
世界が反転した。
***
情報。
情報。
情報。
膨大な文字列が頭の中へ流れ込んでくる。
第一世界。
崩壊。
第二世界。
崩壊。
第三世界。
第四。
第五。
第六。
第七。
そして。
《第八世界――独立処理中》
脳が焼ける。
「ぐっ……!」
声を出したつもりだった。
だが、自分の声が聞こえない。
肉体の感覚すらない。
それでも意識だけは残っている。
目の前に、巨大な扉があった。
黒い扉。
その中央に一つだけ文字が浮かんでいる。
《ROOT》
「……最上位権限」
あれだ。
完全初期化機構は、この先にある。
近づこうとした瞬間。
《アクセス拒否》
体が弾かれた。
《権限不足》
「俺でも駄目か」
《レオン・アルヴェイン》
声がした。
人間の声ではない。
男女の区別すらない。
《あなたは管理者ではありません》
「知ってる」
《観測者でもありません》
「それも知ってる」
《正規プレイヤーでもありません》
俺は少し笑った。
「今さらそれで傷つくと思うか?」
沈黙。
そして。
《あなたは定義できません》
その言葉に、俺は足を止めた。
定義できない。
それが。
この世界にとっての俺。
プレイヤーであり。
レオン・アルヴェインであり。
七つの世界に存在し。
同時に、どの正規シナリオにも存在しない。
矛盾した存在。
だから。
俺は気づいた。
「そうか」
管理者じゃないから入れない。
観測者でもない。
プレイヤーですらない。
だったら。
「扉から入る必要ないじゃん」
《――》
俺は扉ではなく。
その横。
何も存在しない空間へ手を伸ばした。
境界。
システムと世界を分ける線。
見えない。
だが。
俺には分かる。
ずっとそうだった。
決められた攻略法じゃない。
推奨レベルなんて無視した。
本来倒せない敵を倒した。
存在しない妹を守った。
用意された選択肢を何度も踏み越えた。
だったら最後も同じだ。
「奪うぞ」
手を握る。
《境界簒奪――対象指定》
《対象:WORLD SYSTEM/ROOT境界》
警告音が鳴り響いた。
《実行不能》
「実行」
《権限が不足しています》
「実行」
《対象は最上位保護領域です》
「実行」
《警告》
「うるさい」
指を食い込ませる。
何もないはずの空間に。
亀裂が入った。
《エラー》
亀裂が広がる。
《エラー》
さらに。
《存在しないアクセス経路を検出》
「ああ」
俺は笑った。
「今作った」
亀裂を、両手でこじ開ける。
黒い空間が裂けた。
その向こう側。
巨大な赤い光。
《完全初期化機構》
見つけた。
同時に。
外側から声が響いた。
『兄様!』
エリシア。
『レオン! 残り三分だ!』
カイル。
「十分だ」
俺は一歩踏み出した。
すると。
完全初期化機構の前に、人影が現れた。
黒い影。
顔は見えない。
ただ。
輪郭だけは。
見覚えがあった。
俺と同じ身長。
俺と同じ体格。
そして。
同じ顔。
《最終防衛個体を生成》
《基礎データ――レオン・アルヴェイン》
「……また俺かよ」
これで何人目だ。
正規個体。
過去世界の残滓。
そして最後はシステムが作った俺。
影が剣を抜く。
俺も構えた。
だが。
次に表示された文字を見て。
俺は動きを止めた。
《最終防衛処理を開始》
《防衛対象:完全初期化機構》
《排除対象:レオン・アルヴェイン》
その下。
さらに小さな文字が現れた。
《排除理由を表示します》
《対象個体が存続する限り――》
《WORLD SYSTEMによる未来予測成功率:0%》
一瞬。
意味が分からなかった。
そして。
思わず笑った。
「……なるほど」
だからか。
七回。
どれだけ世界を作り直しても。
システムは俺を消し切れなかった。
未来が読めないから。
決められないから。
俺が。
何をするか分からないから。
世界は。
シナリオ通りにならない。
俺は剣を構えた。
目の前の“俺”も、まったく同じ構えを取る。
残り時間。
《00:02:41》
「いいじゃん」
最後の敵が。
世界を滅ぼす魔王でも。
神でもなく。
決められた未来を守るための――俺自身。
だったら。
やることは一つだ。
「そこどけ」
一歩。
前へ出る。
「俺はもう――」
剣を握る手に力を込めた。
「誰かに決められた世界で生きるつもりはない」
俺と俺が。
同時に地面を蹴った。




