第38章 世界を消すなら、お前から消えろ
空が、割れた。
比喩じゃない。
第八世界を覆っていた白い空間に無数の黒い亀裂が走り、その向こうから赤い光が漏れ出している。
《WARNING》
《完全初期化処理を継続》
《対象世界:WORLD-08》
《残り時間――00:06:58》
数字が、一秒ずつ減っていく。
「……完成した世界まで消すとか、ほんと融通利かねえな」
俺は剣を握り直した。
目の前にいるのは、人間でも魔物でもない。
巨大な黒い球体。
その周囲を幾重もの光の輪が回転し、意味不明な文字列が絶え間なく流れている。
《WORLD SYSTEM》。
この世界そのものを管理してきた存在。
いや。
正確には――。
「こいつは、“存在”ですらない」
俺の言葉に、カイルが眉を寄せた。
「どういう意味だ」
「命令を実行してるだけだ」
さっきから何度攻撃しても反応がない。
剣で斬っても。
カイルの魔法を叩き込んでも。
エリシアが管理者権限をぶつけても。
表示されるのは同じだ。
《アクセス拒否》
《SYSTEM COREへの直接干渉は禁止されています》
つまり、こいつには。
敵意も。
怒りも。
殺意もない。
七つの世界を消したのだって、こいつ自身が望んだわけじゃない。
決められた条件に従って。
世界を作り。
監視して。
条件から外れれば消す。
ただ、それだけだ。
「だから厄介なんだけどな」
意思がない。
なら説得もできない。
脅すこともできない。
エリシアが黒い球体を見上げる。
「じゃあ……壊せないの?」
「普通ならな」
俺は視界に浮かぶウィンドウを見る。
《WORLD SYSTEM》
《管理権限:ROOT》
《侵入者権限:アクセス不可》
《観測者権限:アクセス不可》
《管理者権限:アクセス不可》
全部、拒否。
ゲームだった頃なら当然だ。
運営側のシステムにプレイヤーがアクセスできるわけがない。
だが。
今は違う。
ここはゲームじゃない。
俺たちは、もう決められたシナリオの中にいない。
そして何より。
「世界は、もう完成してる」
第八世界。
俺たちが三つの権限を使って作った新しい世界。
管理者一人に依存せず。
誰か一人を物語の主人公に固定せず。
未来を強制されない世界。
その完成率は百パーセント。
なら――。
おかしい。
「レオン?」
「エリシア。一個確認する」
「うん」
「完全初期化って、何を初期化する?」
「え?」
「対象だよ」
エリシアが首を傾げる。
カイルが先に答えた。
「世界……ではないのか?」
「そう思うよな」
俺もそう思っていた。
だからずっと。
完全初期化=世界の消滅。
そう考えていた。
だが画面を見て、引っかかった。
《対象世界:WORLD-08》
わざわざ。
対象を指定している。
「対象指定があるってことは――変更できる」
カイルの目が見開かれた。
「まさか」
「そういうこと」
俺は笑った。
壊せないなら。
別に壊す必要はない。
初期化処理そのものは止められない。
なら。
その処理を利用する。
「初期化対象を変える」
エリシアが息を呑んだ。
「そんなこと……できるの?」
「できるかじゃない」
残り時間。
00:05:41。
「やるんだよ」
俺は黒い球体へ歩き出した。
すると。
《警告》
《対象個体の接近を確認》
《異常個体:LEON ALVEIN》
赤い文字が視界を埋め尽くした。
《排除処理を開始》
「来るぞ!」
カイルが叫ぶ。
次の瞬間。
空中に数百本の黒い槍が現れた。
まずい。
速――
「お兄ちゃん!」
エリシアが手を伸ばす。
《管理者権限発動》
《空間固定》
槍が。
俺の顔の数センチ手前で停止した。
「っ……!」
エリシアが苦しそうに膝をつく。
「エリシア!」
「大丈夫……!」
大丈夫な顔じゃない。
鼻から血が流れている。
完成したとはいえ、この領域でWORLD SYSTEMに逆らう負荷は桁が違う。
「三秒……!」
エリシアが叫ぶ。
「三秒しか、止められない!」
十分だ。
俺は走った。
一秒。
黒い球体まで二十メートル。
二秒。
十メートル。
三秒。
手を伸ばす。
《空間固定解除》
背後で無数の槍が動き出した。
だが。
先に俺の手が。
黒い球体に触れた。
《接触を確認》
《侵入者権限――認証》
《ERROR》
《ERROR》
《異常な接続要求を検出》
「見つけた」
視界が変わる。
世界が消え。
無数の文字列が流れる黒い空間へ落ちた。
システム内部。
前世で何度も見た。
いや。
正確には。
ゲーム画面では絶対に見ることができなかった場所。
だが構造はわかる。
なぜなら。
「UIは同じなんだよ」
メニュー。
クエスト。
イベントフラグ。
アイテムID。
モンスターID。
俺が十年以上触り続けたゲーム。
《Eternal Story Online》。
その根っこにあるデータ構造。
全部がここにある。
そして。
見つけた。
《INITIALIZATION PROCESS》
《TARGET:WORLD-08》
《AUTHORITY:WORLD SYSTEM》
《EXECUTION:ACTIVE》
対象指定欄。
俺が手を伸ばす。
《編集権限がありません》
「だろうな」
一回目。
想定通り。
なら。
二回目。
《侵入者権限を使用》
《権限不足》
三回目。
《観測者権限を要求》
《権限不足》
四回目。
《管理者権限を要求》
《権限不足》
「全部ダメか」
当然だ。
SYSTEM COREの権限は、その全てより上。
ROOT。
最上位権限。
なら正攻法じゃ届かない。
だが。
ゲームには。
昔から一つだけ。
管理者でも無視できない処理がある。
俺は視界の端に浮かぶ項目を開いた。
《エラー処理》
「……あった」
思わず笑う。
どんなシステムにも存在する。
矛盾した命令。
存在しないデータ。
処理不能。
それらが発生したとき。
システムは必ず。
安全な状態へ戻ろうとする。
いわゆる――。
例外処理れいがいしょり。
「権限がないなら」
俺は指を動かす。
《WORLD-08:存在》
《WORLD-08:独立世界として確立》
《WORLD-08:管理対象》
ここまでは正常。
その下。
《WORLD-08:初期化対象》
これも命令としては成立している。
だから。
一つ。
情報を追加する。
《WORLD-08:WORLD SYSTEM非依存》
カイルたちと作った新しい法則。
管理者がいなくても存在できる世界。
つまり。
WORLD SYSTEMから独立した世界。
その情報を。
初期化処理へ突っ込む。
《WARNING》
《矛盾を検出》
来た。
《管理対象ではない世界が初期化対象に指定されています》
《処理を継続できません》
「よし」
だが。
次の瞬間。
《上位命令を確認》
《完全初期化を優先》
「……チッ」
やっぱりそう簡単じゃない。
WORLD SYSTEMは矛盾を無視して処理を続けようとする。
なら。
もう一段。
深く潜る。
俺は初期化処理の参照先を追った。
そして。
見つけた。
《完全初期化対象条件》
一。
世界維持不能。
二。
管理者喪失。
三。
世界法則破綻。
四。
外部干渉による修復不能状態。
五。
――。
「……は?」
俺の手が止まった。
最後の一行。
《管理システムそのものが世界存続を阻害した場合》
その下。
処理。
《管理システムを異常要因として隔離》
心臓が跳ねた。
「あるじゃねえか」
ちゃんと。
用意されている。
世界を守るための最後の安全装置。
WORLD SYSTEMが暴走したとき。
WORLD SYSTEM自身を切り離す処理。
おそらく。
これまで一度も発動しなかった。
なぜなら。
過去七回。
世界のほうが先に壊れたから。
だが今回は違う。
第八世界は完成している。
正常だ。
壊れていない。
なのに。
WORLD SYSTEMが消そうとしている。
つまり。
今この瞬間。
条件は成立している。
俺は項目へ触れた。
《条件照合を開始》
《WORLD-08:正常》
《世界法則:正常》
《自己維持機能:正常》
《管理者依存:なし》
《シナリオ破綻:なし》
《存続可能性:99.98%》
そして。
最後。
《WORLD SYSTEMによる完全初期化処理:実行中》
一瞬。
全ての文字が止まった。
《判定》
《管理システムが世界存続を阻害しています》
「ビンゴ」
《緊急隔離条件を満たしました》
《WORLD SYSTEM隔離処理を――》
そこで。
文字が。
消えた。
「……え?」
真っ黒な空間。
何も表示されない。
次の瞬間。
声がした。
『その処理は、許可されていない』
俺は振り返った。
誰もいない。
なのに。
声だけが響く。
さっきまでの機械音声じゃない。
明らかに。
人間の声。
『第八世界は存在してはならない』
「……誰だ」
答えはない。
代わりに。
黒い空間の奥。
一本の鎖が現れた。
その先。
銀色の髪。
ずっと。
黒い鎖に縛られていた女。
観測者。
彼女が顔を上げる。
「レオン……」
弱々しい声。
だが。
はっきりと。
俺を見ている。
「それは、WORLD SYSTEMじゃない」
「何?」
「WORLD SYSTEMは……ただの器」
銀髪の女の身体を拘束していた黒い鎖が。
ゆっくりと。
上へ伸びていく。
暗闇の向こうへ。
その先には。
何かがいる。
「本当に命令してるのは――」
バキン。
鎖が。
一斉に引かれた。
女の姿が闇へ消える。
「待て!」
手を伸ばす。
届かない。
代わりに。
新しい表示が目の前へ現れた。
《外部接続を確認》
《接続数:3》
俺は固まった。
「……三?」
俺。
カイル。
それだけじゃない。
もう一人。
《外部接続個体を検索》
《PLAYER:LEON》
《PLAYER:KYLE》
そして。
三つ目。
名前が表示される。
《PLAYER:UNKNOWN》
背筋が冷えた。
さらに。
《WORLD SYSTEM緊急隔離処理――外部権限により拒否》
外部権限。
つまり。
この世界の外。
俺たちより。
WORLD SYSTEMより。
さらに上。
暗闇の中で。
声が笑った。
『やっと、ここまで来た』
知らない声。
なのに。
なぜか。
俺はその声を聞いたことがあるような気がした。
『八回目のプレイヤー』
視界いっぱいに。
真紅の文字が広がる。
《緊急クエスト発生》
《外部接続を切断せよ》
《対象数:1》
《制限時間――00:04:12》
俺は剣を握った。
なるほど。
WORLD SYSTEMがラスボスだと思った。
違ったらしい。
「まだ上がいるってことかよ」
面倒くさい。
本当に。
面倒くさいゲームだ。
だけど。
口元が勝手に笑った。
攻略対象がわかったなら。
話は早い。
「だったら――」
俺は暗闇の奥を睨んだ。
「そいつを引きずり出すだけだ」




