第37章 ゲームじゃなくなっても、俺はここにいる
視界の中央に浮かんだ文字を、俺はしばらく見つめていた。
《最終処理を開始します》
《対象:レオン・アルヴェイン》
《プレイヤー権限を剥奪します》
ここまで来て、確認画面すら出ないらしい。
ずいぶん不親切なゲームだ。
いや。
もう――ゲームですらないのかもしれない。
「レオン」
隣から、エリシアの声がした。
俺はそちらを見ないまま答える。
「大丈夫」
「まだ何も聞いてないんだけど」
「顔に書いてある」
「……どんな顔よ」
「今にも俺の腕を掴んで止めそうな顔」
沈黙。
数秒後、本当に袖を掴まれた。
「ほらな」
「うるさい」
エリシアの指に力が入る。
反対側ではカイルが腕を組み、珍しく何も言わずに俺を見ていた。
リリアもいる。
世界との接続維持を終えた彼女は、少し前にようやくこちらへ戻ってきた。
四人。
結局、ずいぶん遠くまで来たもんだ。
死者の森に足を踏み入れた頃は、こんなことになるなんて思ってもいなかった。
レベルを上げて。
隠しイベントを回収して。
ゲーム知識で先回りして。
適当に強くなって。
できれば面倒事には巻き込まれず、それなりに楽しく生きる。
その程度だったはずなのに。
気づけば世界一個の存続を背負わされている。
運営に問い合わせたい。
できるものなら。
《剥奪処理――開始》
文字が変わった。
その瞬間。
頭の奥で、何かが切れた。
「……っ!」
思わず膝をつく。
「レオン!」
エリシアが俺の身体を支えた。
痛い。
いや。
痛いというより――抜けていく。
今まで当たり前のようにそこにあったものが、一つずつ俺の中から消えていく。
《ステータス表示機能を停止》
半透明の画面が、一瞬だけ明滅した。
レベル。
HP。
MP。
STR。
AGI。
INT。
見慣れた数字が崩れていく。
「……マジか」
《スキル情報表示機能を停止》
覚えたスキル一覧が消える。
《アイテム詳細情報を停止》
《マップ補助機能を停止》
《クエスト表示機能を停止》
「おいおい」
これは、思ったよりきつい。
能力そのものが消えているわけじゃない。
身体の感覚はある。
魔力も感じる。
剣の握り方だって忘れていない。
だけど。
今まで俺を支えてきた「答え」が、全部なくなっていく。
敵を見ても名前が出ない。
レベルも出ない。
弱点も出ない。
アイテムを手に取っても説明文は現れない。
次にどこへ行けばいいのか、クエストも教えてくれない。
この世界に来てから。
いや。
ゲームをしていた頃から。
俺はずっと、画面の向こうにある情報を見ながら戦ってきた。
それが。
消える。
《プレイヤー固有機能の停止を確認》
視界が暗くなった。
そして――。
何もなくなった。
「……」
俺はゆっくり顔を上げる。
目の前にいるエリシアを見た。
名前は表示されない。
体力ゲージもない。
《管理者バックアップ個体》なんて文字も出ない。
ただ。
銀色の髪を揺らしながら、心配そうに俺を見ている少女がいる。
「レオン……?」
「……ああ」
思わず笑ってしまった。
「なんかさ」
「何よ」
「普通になった」
エリシアが眉を寄せる。
「意味分かんない」
「俺にもよく分からん」
立ち上がる。
少しふらついたが、足は動いた。
カイルが俺の前まで来る。
「俺が誰か分かるか?」
「カイル」
「よし」
「お前、俺を馬鹿にしてる?」
「念のためだ」
今度はリリアが一歩前へ出る。
「では私は?」
「リリア」
「安心しました」
「だから記憶喪失になったわけじゃないって」
三人を見る。
何も表示されない。
数字も。
属性も。
好感度も。
イベントフラグも。
そんなものは、最初から必要なかったのかもしれない。
「……そういうことか」
俺は小さく呟いた。
最後まで残っていた違和感。
この世界がゲームだったから俺たちは出会ったのか。
シナリオがあったから、一緒にいるのか。
違う。
今なら分かる。
少なくとも今ここにいる三人は、攻略対象でもNPCでもない。
俺が知っていた《ECLIPSE ONLINE》のデータとは、もう関係ない。
「レオン?」
「いや。なんでもない」
そのときだった。
世界が――震えた。
音はない。
なのに空間全体が大きく揺れたのが分かった。
白く広がっていた基幹領域に亀裂が走り、上空に巨大な文字列が浮かび上がる。
今までならウィンドウとして見えていたはずのもの。
だが。
今回は違う。
俺だけじゃない。
エリシアも。
カイルも。
リリアも。
全員が同じものを見上げている。
空そのものに文字が刻まれていた。
《第八世界・独立処理再開》
《独立率 99.12%》
数字が動く。
99.21。
99.36。
99.58。
99.71。
「上がってる……!」
リリアが声を上げる。
99.83。
99.91。
99.97。
そして。
《100.00%》
一瞬。
世界から音が消えた。
次の瞬間。
眩しい光が空間全体を包んだ。
白い基幹領域が崩れていく。
いや。
消えているんじゃない。
変わっている。
青い空。
風。
土の匂い。
遠くから聞こえる鳥の声。
視界が切り替わったとき。
俺たちは学院の中庭に立っていた。
「……戻った?」
エリシアが呟く。
見慣れた校舎。
石畳。
木々。
夕焼け。
何も変わっていない。
なのに。
何かが決定的に違う。
俺は空を見上げた。
いつもなら意識を向ければ、システムメニューを呼び出せた。
今は。
何も起きない。
「……本当に終わったのか」
カイルが言った。
「たぶんな」
「たぶん?」
「もう確認する方法がない」
「お前が言うと妙に不安になるな」
「俺だって不安だよ」
だけど。
悪くない。
むしろ。
初めて、この世界の地面にちゃんと立っている気がする。
ゲーム知識という足場も。
プレイヤーという特権もない。
ここから先。
俺は未来を知らない。
次に起きるイベントも。
どこに強い装備があるのかも。
誰が敵になるのかも。
全部。
分からない。
「レオン」
エリシアが隣に立つ。
「怖い?」
少し考える。
「……ちょっとな」
素直に答えると、彼女は驚いた顔をした。
「あなたでも怖いって言うのね」
「俺をなんだと思ってる」
「何でも知ってる変な人」
「ひどくない?」
「だいたい合ってるだろ」
カイルが口を挟む。
リリアまで小さく頷いた。
味方がいない。
まあいい。
俺はもう一度空を見上げた。
知らない未来。
攻略サイトもない。
セーブもロードもない。
死んでもやり直せない。
それでも。
「悪くないな」
そう言った瞬間だった。
――ピシッ。
空に。
黒い亀裂が走った。
「……は?」
全員が固まる。
夕焼け空を真っ二つに裂くように、細い黒線が伸びていく。
嫌な予感しかしない。
いや。
プレイヤー権限を失った今、これはもうシステム警告ですらない。
ただ純粋に。
見たことのない異常だ。
亀裂の向こう。
真っ暗な空間から。
誰かがこちらを覗いていた。
人影。
その輪郭だけで、背筋が冷える。
そして声が落ちてきた。
「――接続成功」
知らない声。
いや。
どこかで。
聞いたことがある。
「独立世界の生成を確認」
エリシアが息を呑む。
カイルが剣に手を掛けた。
リリアも魔力を展開する。
俺も反射的に手を伸ばし――そこで止まった。
敵の名前が出ない。
レベルも出ない。
危険度も分からない。
本当に。
何一つ分からない。
それでも。
俺は剣を抜いた。
「やることは変わらないか」
「レオン?」
「知らない敵が出てきた」
剣先を黒い亀裂へ向ける。
「だったら――倒せるか試す」
カイルが笑った。
「結局それかよ」
「それしか知らない」
「十分だ」
亀裂の中で、人影がゆっくりこちらへ近づいてくる。
そして。
俺の耳にだけ届くような声で。
そいつは言った。
「ようやく会えたな」
「――元プレイヤー」
俺は目を細めた。
ゲームは終わった。
世界も独立した。
なのに。
どうやら。
最後の攻略だけは――まだ終わっていないらしい。




