第36章 俺の知ってるゲームは、本当に存在したのか
《シナリオ同期率――99%》
その数字は、さっきから一度も動いていない。
止まっている。
いや。
俺たちが、どうにか止めている。
「……カイル!」
「分かってる!」
背後から返事が飛ぶ。
カイルの剣が地面へ突き刺さると、青白い光が床を走った。
《観測者権限による同期処理への干渉を確認》
《進行速度低下》
《現在同期率――99.003%》
「減ってねえじゃねえか!」
「止まってるだけでも奇跡だと思え!」
「それはそう!」
俺は前方へ視線を戻す。
黒い空間の中心。
仮面をつけた《管理代行体》は、もう動かない。
さっきまで俺たちを圧倒していたそいつは膝をつき、その身体の半分以上が光の粒子となって崩れていた。
だが。
問題は、あいつじゃない。
《管理代行体の機能停止を確認》
《代替処理を開始します》
「ほら来た!」
空間全体が震える。
天井も壁もないはずなのに、どこかから低い轟音が響いた。
次の瞬間。
俺の目の前に、無数のウィンドウが開く。
《第七世界》
《シナリオ同期処理》
《基幹記録照合中》
《異常個体検索》
《検索対象――レオン・ヴァルハルト》
「……また俺かよ」
もう驚くのも疲れてきた。
横でリリアが剣を構えたまま顔をしかめる。
「レオンって、本当にどこに行っても面倒事の中心にいるわね」
「好きでやってねえよ」
「知ってる」
即答だった。
エリシアは少し離れたところで、宙に浮かぶ光へ両手を伸ばしている。
その周囲には、俺たちには触れられない透明な文字列が何重にも回っていた。
《新規管理者候補》
エリシアだけが持つ権限。
それを使って、同期処理そのものを止めようとしている。
「お兄様」
「どうした?」
「これ……変です」
「今さら?」
「そういう意味じゃありません!」
怒られた。
エリシアはすぐ真剣な表情へ戻る。
「同期させようとしている記録が……ありません」
「……は?」
カイルが振り返った。
「どういうことだ?」
「第七世界を何かに合わせようとしているのは分かります。でも、その比較元になる記録が……ないんです」
一瞬。
誰も言葉を発しなかった。
俺は眉を寄せる。
「待て。シナリオ同期ってのは、元のゲームのシナリオに世界を合わせるって話じゃなかったのか?」
「俺もそう理解していた」
カイルが答える。
「俺たちが知っているゲーム。それぞれ内容に差異はあったが、少なくとも基準となる何かが存在していると」
「でも、ないんです」
エリシアが首を振った。
「同期先がありません」
嫌な感じがした。
最近そればっかりだ。
常識だと思っていたものが一つひっくり返るたび、その下からさらに面倒なものが出てくる。
俺は崩れかけた管理代行体を見る。
「おい」
反応はない。
「まだ喋れるか?」
沈黙。
「聞こえてるんだろ」
数秒後。
仮面の奥から声がした。
『……質問を確認』
「同期先はどこだ?」
『回答不能』
「権限不足?」
『否』
声が少し乱れる。
『該当情報が……存在しません』
やっぱり。
「じゃあ、何に同期してる?」
『…………』
仮面に亀裂が入った。
『第七世界は――』
ノイズ。
『――記録に従い――』
またノイズ。
『――再現され――』
「だから何の記録だ!」
俺が叫んだ瞬間。
目の前の表示が全部消えた。
そして。
一つだけ。
真っ白なウィンドウが現れる。
《管理者権限による質問を検出》
俺は固まった。
「……管理者?」
カイルも表示を見ている。
「レオン。お前、何もしてないよな?」
「してねえ」
《質問内容を解析》
《同期先についての閲覧要求》
《権限を照合します》
エリシア。
《新規管理者候補》
カイル。
《外部観測者》
俺。
一瞬だけ表示が乱れた。
そして。
《レオン・ヴァルハルト》
《権限――未定義》
《例外処理》
《閲覧を許可します》
「未定義って便利だな、おい」
「便利で済ませていいのかしら……」
リリアの呟きに答える余裕はなかった。
空間が暗転する。
景色が変わった。
そこに映ったのは――
街だった。
見覚えがある。
王都。
だが、今の王都じゃない。
建物の形が少し違う。
道幅も違う。
人の服装も違う。
映像が高速で切り替わっていく。
王都。
エルム村。
死者の森。
アストレア学院。
そして。
見たことのない場所。
次々と映し出される景色の端に、数字が表示される。
《第一世界》
滅びる。
《第二世界》
また滅びる。
《第三世界》
崩壊。
《第四世界》
消滅。
《第五世界》
初期化。
《第六世界》
停止。
そして。
《第七世界》
今の世界。
「七回……」
リリアが呟く。
それ自体は知っている。
問題は。
その先だった。
映像が停止する。
《基幹記録の生成過程を表示します》
「生成……?」
胸の奥がざわついた。
《第一世界の観測記録を取得》
《第二世界へ反映》
《第二世界の観測記録を取得》
《第三世界へ反映》
次々と文字が流れていく。
そして。
《反復により基幹シナリオを形成》
俺は口を開いたまま動けなくなった。
カイルが先に理解する。
「……逆だ」
「え?」
「俺たちが考えていた順番が逆なんだ」
カイルの顔から血の気が引いている。
「ゲームを再現して、この世界が作られたんじゃない」
俺も。
ようやく意味を理解した。
「この世界の記録から……ゲームが作られた?」
《肯定》
システムが答えた。
背筋に冷たいものが走る。
「待てよ」
声が震えた。
「じゃあ俺が元の世界でやってたゲームは……」
《第六世界までの観測記録を変換》
《外部観測用媒体として出力》
「外部観測用……媒体」
ゲーム。
俺たちがゲームだと思っていたもの。
キャラクター。
イベント。
攻略情報。
隠しダンジョン。
レベル。
スキル。
死亡イベント。
全部。
誰かが作った設定じゃなかった。
「……実際に起きたことだったのか」
《一部肯定》
一部?
《外部観測用媒体への変換時、情報の簡略化・再構築・娯楽化処理が実行されています》
カイルが乾いた笑いを漏らした。
「だから俺とお前の知っている内容が違ったのか」
俺のプレイしたゲーム。
カイルのプレイしたゲーム。
微妙に違うイベント。
違う死亡時期。
違う人物関係。
全部バージョン違いなんかじゃない。
違う世界の記録だった。
「じゃあ……」
リリアが小さく言った。
「私たちの人生が、あなたたちの世界ではゲームだったってこと?」
答えられなかった。
「……そうなる」
俺がそう言うと、リリアは少し黙った。
けれど。
怒らなかった。
「なら、レオンが知ってた私も、本当の私じゃないのね」
「たぶん」
「ならいいわ」
「いいのか?」
「今ここにいる私が本物。それだけで十分よ」
強いな、こいつ。
俺だったらもうちょい引きずる。
だが。
そこで俺は、一つのことに気づいた。
「……待て」
俺の知っているゲームは、第六世界までの記録。
そして今は第七世界。
なら。
「ゲーム内のレオン・ヴァルハルトは?」
空気が止まる。
「第六世界までに存在してたんだよな」
正規個体。
俺と同じ顔をした、もう一人のレオン。
そして俺は。
その身体に入った。
墓守に最初に言われた言葉が蘇る。
――その身体は確かにアルヴェインの血を引いている。
――だが、中にいる貴様は誰だ?
「俺が転生したんじゃない」
無意識に声が出た。
「少なくとも、ただの転生じゃない」
《照合要求を確認》
「俺は……誰だ?」
初めて。
真正面から聞いた。
今まで避けていた問い。
転生者。
プレイヤー。
そう思っていれば楽だった。
前世でゲームを知っている俺が、悪役キャラのレオンになった。
それだけの話だと。
でも。
システムはすぐには答えなかった。
《対象情報は最上位機密に指定されています》
「またそれか」
《ただし》
文字が続く。
《現在、第七世界は最終同期段階にあります》
《例外措置として部分開示を実行》
俺は息を止める。
《個体名:レオン・ヴァルハルト》
《肉体情報:第七世界正規個体》
《魂情報:照合中》
長い。
数秒。
十秒。
やがて。
表示が切り替わる。
《一致記録を検出》
俺の心臓が跳ねた。
「……どこと?」
《第一世界》
「は?」
《第二世界》
《第三世界》
《第四世界》
《第五世界》
《第六世界》
文字が次々に増えていく。
「いや……待て待て」
《全世界に同一魂情報を確認》
カイルが息を呑む。
エリシアが俺を見る。
リリアも。
誰も何も言えない。
そして最後に。
《結論》
《あなたは外部世界から侵入した魂ではありません》
頭が真っ白になった。
「……は?」
《あなたは》
文字が一度消える。
《七つの世界すべてに存在した》
《レオン・ヴァルハルト本人です》
音が消えた気がした。
「…………」
意味が分からない。
俺は。
前世の記憶を持っている。
日本で暮らして。
ゲームをして。
死んで。
ここに来た。
それなのに。
「じゃあ……俺が覚えてる人生は何なんだよ」
《回答には上位権限が必要です》
「ふざけんな!」
床を殴る。
「ここまで言ってそこだけ隠すな!」
その瞬間だった。
《警告》
《警告》
《警告》
止まっていた数字が動く。
《シナリオ同期率――99.100%》
「エリシア!」
「抑えています! でも……!」
《99.237%》
《99.401%》
加速している。
カイルが剣を引き抜く。
「情報開示で干渉が弱まった!」
「どれくらい持つ!」
「分からん!」
《99.583%》
《99.721%》
まずい。
百になったら終わる。
何が起こるか完全には分からない。
だが。
あの管理代行体は言った。
最終同期完了後、第七世界は不可逆フェーズへ移行する。
戻せない。
「エリシア!」
「はい!」
「管理者権限で同期を切れ!」
「できません! 同期処理は私より上位の権限です!」
「じゃあ上は誰だ!」
「それを今――!」
エリシアの言葉が止まった。
彼女の目の前に。
新しい表示が出ていた。
《最上位権限を検出》
《接続を開始》
「……お兄様」
「何だ?」
エリシアの顔が青ざめる。
「これ……私じゃありません」
《99.892%》
空間の奥。
何もなかった場所に。
一人の人影が現れた。
銀色の髪。
何度も俺たちの前に現れた女。
八周目。
七回の巻き戻し。
ずっと俺を探していた存在。
だが。
今までと違う。
彼女の頭上には、初めて名前が表示されていた。
《原初管理者》
その下。
《個体名――》
文字が乱れる。
そして。
俺は息を止めた。
そこに表示された名前を見て。
何も考えられなくなった。
《エリシア・ヴァルハルト》
「…………え?」
隣にいるエリシアを見る。
銀髪の女を見る。
もう一度。
表示を見る。
同じ名前。
妹が二人。
銀髪の女がゆっくりとこちらを見た。
そして。
悲しそうに笑う。
「やっと」
その声は。
驚くほどエリシアに似ていた。
「思い出すところまで来たね、お兄ちゃん」
《シナリオ同期率――99.999%》
世界が。
白く染まった。




