第33章 世界が俺たちを選ぶ
――音が、消えた。
轟音も。
世界が軋む音も。
耳の奥を叩いていたシステム音も。
全部、消えた。
「……終わった、のか?」
自分の声だけが、妙に大きく聞こえる。
俺はゆっくりと顔を上げた。
そこにあったのは、見慣れた空だった。
青い空。
白い雲。
そして、少し離れたところに見える王立アストレア学院の尖塔。
世界基幹領域に入る前と、何も変わっていないように見える。
けれど。
俺には分かる。
違う。
ここはもう――以前の《第七世界》じゃない。
視界の端に、淡い文字が浮かび上がった。
《世界構築処理――完了》
《旧世界との接続を切断》
《独立世界として再定義します》
《世界識別番号――08》
《第八世界:仮確立》
「……仮?」
思わず眉をひそめる。
直後。
《世界独立率――99.12%》
《未処理権限を検出しました》
やっぱりか。
そんな簡単に全部終わるとは思ってなかった。
「レオン!」
声に振り返る。
リリアが走ってきていた。
「お、おい――」
止める暇もなく、真正面から抱きつかれる。
「ぐっ……!」
思ったより勢いがある。
そのまま二歩ほど後ろへよろけた。
「帰ってきた……!」
リリアの声が震えていた。
「ちゃんと……帰ってきた……!」
「……ああ」
俺は少しだけ迷ってから、その頭に手を置いた。
「ただいま」
リリアの肩が小さく震える。
世界基幹領域に入ってから、こっちではどれだけ時間が経ったのか。
俺たちにとっては数時間程度だった。
けれど、あの場所は時間の流れそのものが曖昧だった。
外側から待っていたリリアにとっては、もっと長く感じたはずだ。
「……俺もいるんだけどな」
横から声がした。
カイルだ。
「あ」
リリアが顔を上げる。
「カイルもおかえり」
「扱いの差がひどくないか?」
「気のせい」
「絶対気のせいじゃないだろ」
いつものやり取り。
そのくだらなさに。
俺は少しだけ笑った。
帰ってきた。
本当に。
――だが。
「エリシアは?」
その一言で、空気が止まった。
リリアが俺の腕から離れる。
カイルも表情を消した。
俺は振り返った。
そこに。
少女が立っている。
白銀の髪。
小さな身体。
青白い光の粒を纏いながら、まるで世界そのものから吐き出されたように。
「……エリシア」
呼びかける。
反応がない。
一歩。
近づく。
「エリシア?」
もう一歩。
その瞬間。
ぱちり。
瞳が開いた。
「……レオン?」
「!」
俺は息を吐いた。
「お前……」
「……?」
エリシアは不思議そうに俺を見る。
それから周囲を見回し、首を傾げた。
「ここ……学院?」
「ああ」
「わたし……帰ってきたの?」
俺は答えようとして。
止まった。
帰ってきた。
本来なら。
そのはずがない。
世界基幹領域で選択した法則。
管理者を世界に固定し、個人としての帰還を不可能にする――あの仕組み。
俺たちはそれを正面から受け入れなかった。
カイルの世界補正。
俺の外部記憶。
エリシアの管理者権限。
そして。
外側から世界を繋ぎ止めていたリリア。
四つを使って。
システムが提示した「誰か一人を犠牲にする」という前提そのものを壊した。
その結果。
第八世界は生まれた。
そしてエリシアも帰ってきた。
……はずだった。
「エリシア」
「なに?」
「名前は?」
「……エリシア・アルヴェイン」
「俺は?」
一瞬。
エリシアがきょとんとする。
「レオン」
「カイルは?」
「カイル」
「そこのうるさい女は?」
「ちょっと」
リリアが睨んでくる。
エリシアは少し考えてから。
「……リリア」
「よし」
記憶はある。
人格も残っている。
管理者化による欠損は――見た限りない。
カイルも同じことを考えたらしい。
エリシアをじっと観察してから、小さく息を吐いた。
「成功したってことか」
「たぶんな」
「たぶん?」
「表示が消えない」
俺は空中を見る。
《第八世界:仮確立》
《世界独立率――99.12%》
そして。
さっきからずっと残っている。
最後の一行。
《未処理権限:1》
カイルの顔が険しくなった。
「何の権限だ?」
「分からない」
「管理者権限じゃないのか?」
「それならエリシアに統合されてるはずだ」
俺たちの視線がエリシアに集まる。
エリシアは胸元に手を当てた。
目を閉じる。
しばらくして。
「……いる」
「何が?」
「誰か」
俺の背筋に冷たいものが走る。
「どこに?」
エリシアが目を開けた。
そして。
空を見上げた。
「上」
同時だった。
《警告》
赤い文字が視界を埋める。
《外部観測を確認》
《世界08に対する上位接続》
《接続元――識別不能》
《管理者権限ではありません》
《観測者権限を検出》
「……来たか」
俺は呟いた。
リリアが俺を見る。
「何が?」
答える前に。
空が割れた。
比喩じゃない。
青空の中央に。
一本の黒い線が走った。
それが。
ゆっくりと。
開いていく。
「嘘だろ……」
カイルが呻く。
裂け目の向こうにあるのは、暗闇じゃない。
無数の光。
世界。
一つ。
二つ。
三つ。
数え切れない。
その一つ一つが。
どこかで見た景色だった。
死者の森。
王都。
学院。
燃え落ちる街。
崩壊した城。
誰もいない荒野。
そして。
――俺が死んでいる世界。
「……っ」
七つ。
いや。
もっとある。
俺が知らない世界まで存在している。
《観測領域との接続率――3.1%》
《4.8%》
《7.2%》
「レオン!」
リリアの声。
分かってる。
これはまずい。
第八世界を作ったことで。
俺たちは第七世界から逃れた。
だが。
その行為そのものが。
外側にいる“何か”へ。
俺たちの存在を知らせた。
「切れるか、エリシア!」
「やってる……!」
エリシアの周囲に青白い文字列が走る。
《管理者権限――接続遮断》
《拒否》
「……え?」
エリシアの顔色が変わる。
《権限不足》
「管理者より上だと……?」
カイルが呟く。
その瞬間。
裂け目の向こう。
無数の世界の中心に。
人影が現れた。
銀色の髪。
細い身体。
見間違えるはずがない。
「……お前」
銀髪の女。
これまで何度も現れ。
俺たちを観測し。
時に導き。
時に、意味の分からない言葉だけを残して消えた存在。
《観測者》。
女は裂け目の向こうから、俺たちを見下ろしていた。
だが。
いつもと様子が違う。
笑っていない。
初めて見る。
苦しそうな表情だった。
『……間に合わなかった』
声が直接頭に響く。
「何がだ」
俺は問い返す。
銀髪の女が俺を見る。
『あなたたちは、成功した』
「ああ」
『第七世界から独立し、第八世界を作った』
「だったら何だ」
女は一度。
目を伏せた。
『だから――見つかった』
「誰に」
沈黙。
嫌な予感しかしない。
やがて。
銀髪の女が口を開いた。
『私たちを作った者に』
風が止まった。
誰も。
何も言えない。
カイルが最初に反応した。
「……私たち?」
『ええ』
「お前も……管理者じゃないのか?」
『違う』
銀髪の女が答える。
『管理者は、世界の中に存在する』
そして。
自分の胸に手を当てた。
『観測者は、世界の外から見る』
俺は拳を握る。
「じゃあ、その観測者を作った奴は何なんだ」
女が。
こちらを見る。
その目に。
明確な恐怖があった。
『プレイヤーよ』
俺の思考が止まった。
「…………は?」
リリアも。
カイルも。
意味が分からない顔をしている。
ただ一人。
俺だけが。
その言葉の意味を理解していた。
プレイヤー。
この世界を。
ゲームとして遊ぶ者。
俺が。
かつてそうだったように。
《ERROR》
《外部干渉急増》
《観測領域接続率――18.4%》
《23.9%》
《31.7%》
銀髪の女が叫ぶ。
『レオン!』
初めてだった。
彼女が俺の名前を。
こんなふうに呼んだのは。
『第八世界を完全に独立させなさい!』
「方法は!」
『残った権限を奪うの!』
《未処理権限:1》
その表示が。
真紅に染まった。
そして。
名称が開示される。
《最上位権限》
《――ログアウト》
「……は?」
俺はその文字を見つめた。
世界から退出するための機能。
ゲームなら。
あって当然のもの。
だが。
この世界の住人には。
絶対に必要のない権限。
いや。
存在してはいけない権限。
銀髪の女が言った。
『それが残っている限り、第八世界は“ゲーム”のままよ』
世界が揺れる。
《観測領域接続率――42.8%》
『奪いなさい、レオン』
裂け目の向こうで。
何か巨大な影が動いた。
人間じゃない。
魔物でもない。
輪郭すら存在しない。
ただ。
俺たちの世界を。
画面の向こうから覗き込むような。
圧倒的な視線。
そして。
俺の目の前に。
新しいクエストが表示された。
《最終クエスト更新》
《第八世界を完成させよ》
《最終目標》
《プレイヤー権限を剥奪してください》
《対象――レオン》
「…………」
カイルが。
ゆっくり俺を見る。
リリアも。
エリシアも。
俺を見ている。
そういうことか。
ずっとおかしいと思っていた。
なぜ俺だけが。
ゲームの知識を持っていたのか。
なぜ俺だけが。
システムの外側に触れられたのか。
なぜ俺だけが。
世界に拒絶されながら。
世界を壊せたのか。
俺は転生者だからじゃない。
――まだ。
完全には。
この世界の住人になっていなかったんだ。
《プレイヤー権限保有者》
《レオン》
俺は表示を見つめる。
そして。
小さく笑った。
「なるほどな」
最後に倒すべき相手は。
魔王でも。
管理者でも。
神でもなかった。
――俺自身だった。




