第31章 この世界は、誰のものだ
世界基幹領域。
そう呼ばれた場所には、空も地面もなかった。
白でも黒でもない曖昧な空間に、無数の光の線が走っている。その一本一本が絡まり、ほどけ、また別の線へと繋がっていく。
たぶん、これがこの世界そのものなのだ。
人間。
魔物。
魔法。
国。
歴史。
ゲームではただの「設定」だったものが、ここではすべて実在する情報として流れている。
「……気持ち悪いな」
隣でカイルが呟いた。
「同感」
俺も答える。
エリシアだけは何も言わず、目の前に浮かぶ巨大な光の球を見つめていた。
世界基幹。
俺にはそう見えた。
直径なんて分からない。
十メートルにも見えるし、何百キロもあるようにも感じる。
その表面を、見覚えのある文字列が高速で流れていた。
《第八世界確立処理》
《進行率:3.8%》
《世界法則再定義権限:未取得》
《新規管理者:未確立》
《残存猶予:29日》
「結局、まだ何も始まってないってことか」
俺が言うと、カイルが肩をすくめた。
「ここまで来るだけで十分始まってるだろ。普通なら入った瞬間、消されてもおかしくない場所だぞ」
「普通ってなんだよ。この世界で」
「それは俺も知らん」
軽口を交わす。
けれど。
誰も笑わなかった。
俺たちは分かっている。
本番はここからだ。
俺が光の球へ近づいた瞬間。
視界いっぱいに文字が広がった。
《世界法則再定義プロセスを開始します》
《適合個体を確認》
《個体名:レオン・アルヴェイン》
《分類:外部魂侵入個体》
《基幹接続適合率:87.4%》
またその数字か。
魂の不一致率と同じ。
「嫌な一致だな」
呟いた直後。
《補助個体を確認》
《カイル・アストレア》
《条件付き接続を許可》
《管理者バックアップ個体を確認》
《エリシア・アルヴェイン》
《権限継承可能》
そして。
一拍。
《必要条件を提示します》
三人の前に、それぞれ一つずつ光が灯った。
俺の前には黒。
カイルの前には青。
エリシアの前には白。
《世界法則再定義には三権限が必要です》
《侵入者権限》
《観測者権限》
《管理者権限》
「……三人必要ってことか」
カイルが言った。
《肯定》
返事が来た。
「返事するのかよ」
カイルの顔が引きつる。
俺も少し驚いた。
今までのシステムは、基本的に表示するだけだった。
質問に答えることはない。
「なら聞く」
俺は光の球を見上げた。
「第八世界を確立すれば、初期化は止まるのか?」
《肯定》
「エリシアは?」
一瞬。
間が空いた。
《新規管理者への昇格は必須ではありません》
俺は目を細めた。
「……必須じゃない?」
《世界法則再定義に成功した場合、管理者という役割そのものを変更できます》
カイルが息を呑んだ。
エリシアも俺を見る。
「それって」
俺は続けた。
「エリシアが人間のままでも、この世界を維持できるってことか?」
《理論上、可能です》
よし。
初めて。
本当に初めてだ。
俺たちが欲しかった答えが返ってきた。
「じゃあ決まりだ」
「早いな」
カイルが苦笑する。
「他に選択肢あるか?」
「ない」
「だろ」
エリシアが小さく息を吐いた。
その表情から、ほんの少しだけ力が抜ける。
管理者になる。
人格を失う。
世界を守るために自分を捨てる。
そんな馬鹿な結末は必要ない。
俺たちは世界のルールそのものを書き換える。
「兄様」
「ん?」
「ありがとうございます」
「まだ何も終わってない」
「それでも、です」
俺は答えず、エリシアの頭を軽く撫でた。
その瞬間だった。
《警告》
空間全体が赤く染まった。
「来たか」
カイルが剣へ手を伸ばす。
《未登録権限による世界基幹領域への接続を検出》
《接続元:不明》
《アクセス権限――》
文字が乱れた。
《ERROR》
《ERROR》
《権限判定不能》
そして。
俺たちの前にあった光の球へ。
一本の亀裂が走った。
「っ!」
轟音。
足場すら存在しないはずの空間が大きく揺れる。
エリシアを抱えて後ろへ跳ぶ。
カイルも同時に距離を取った。
亀裂。
いや。
違う。
何かが。
向こう側から。
無理やり世界をこじ開けている。
《侵入を確認》
《対象識別――》
《正規個体》
俺の背筋が冷たくなった。
「レオン……」
カイルが低く呟く。
「ああ」
忘れるはずがない。
俺と同じ顔。
俺と同じ身体。
この世界が、本来のレオン・アルヴェインとして認めた存在。
六つの世界で死んだレオンの情報。
その集合体。
正規個体。
だが。
「おかしい」
「何が?」
「あいつは前に俺たちと接触した。だったら今さら『未登録権限』になるのおかしくないか?」
カイルの顔色が変わった。
「じゃあ……」
亀裂が広がった。
そこから。
手が出てくる。
見覚えのある手。
見覚えのある服。
そして。
見覚えのある顔。
正規個体が、ゆっくりとこちら側へ降り立った。
間違いない。
俺と同じ顔だ。
けれど。
「……違う」
俺は無意識に呟いていた。
以前会ったあいつとは。
何かが違う。
目。
正規個体の瞳の奥。
黒い。
深淵よりもさらに暗い何かが、蠢いている。
《解析》
反射的に《簒奪解析》を発動する。
だが。
《解析不能》
《対象情報が存在しません》
「存在しない?」
あり得ない。
正規個体の情報なら以前は見えた。
なのに今は――。
「レオン」
エリシアが俺の服を掴んだ。
「この人……」
「エリシア?」
「二人、います」
一瞬。
意味が分からなかった。
だが。
次の瞬間。
俺にも見えた。
正規個体の背後。
ほんの一瞬だけ。
もう一人。
誰かが立っていた。
輪郭だけ。
人間の形をしている。
けれど顔がない。
いや。
見えない。
認識できない。
視線を向けようとすると、そこだけ意識が滑る。
《警告》
《外部観測者を検出》
俺の呼吸が止まった。
ずっと前から。
何度も表示されていた言葉。
外部観測者。
「まさか」
カイルも気づいた。
「正規個体じゃない」
「ああ」
俺は剣を抜く。
「こいつを使ってる奴がいる」
正規個体が顔を上げた。
そして。
笑った。
『ようやく』
声が。
二重に聞こえた。
一つは俺と同じ声。
もう一つは――。
知らない声。
『ここまで来たね』
俺は剣を構える。
「誰だ」
相手は答えなかった。
代わりに。
世界基幹を見上げる。
『七回失敗した』
「……」
『でも八回目で、やっと条件が揃った』
七回。
八回。
俺の頭の中で、これまでの情報が繋がる。
七度の巻き戻し。
第八周回。
外部魂。
エリシア。
カイル。
そして俺。
「お前が」
俺は睨みつけた。
「世界を巻き戻してたのか?」
正規個体――その向こうにいる何かが。
初めて。
はっきりと笑った。
『違う』
『僕はただ』
黒い光が広がる。
『君がここまで来るのを待っていただけだ』
《緊急警告》
《世界基幹領域への強制介入を検出》
《第八世界確立処理――停止》
《進行率:3.8%》
《世界初期化まで――》
数字が乱れる。
29日。
28日。
20日。
10日。
「は?」
カイルが声を漏らした。
《残存猶予》
《23時間59分59秒》
俺たちは。
言葉を失った。
そして。
一秒。
数字が減る。
《23時間59分58秒》
正規個体の姿をした何かが、両腕を広げた。
『さあ、レオン』
『最後の攻略を始めよう』
《最終特殊クエストが発生しました》
《世界を奪い返せ》
制限時間:24時間
推奨レベル:存在しません
失敗条件:第七世界の消滅
――残り時間。
《23:59:57》




