第30章 世界を変えるなら、まずルールを壊せ
《最終メインクエストが発生しました》
《第八世界を確立せよ》
《成功条件》
・世界基幹領域への到達
・世界法則の再定義
・新規管理者の確立
《失敗条件》
・第七世界の完全初期化
《完全初期化まで――29日23時間12分》
《推奨レベル:測定不能》
視界の中央に並んだ文字を見ながら、俺はしばらく何も言えなかった。
推奨レベル測定不能。
ゲームだった頃なら、たぶん笑っていた。
「運営、設定ミスっただろ」くらいは言ったかもしれない。
でも今は笑えない。
失敗したら、この世界そのものが消える。
俺も。
カイルも。
リリアも。
アルバートも。
そして――エリシアも。
「……行くしかないな」
俺がそう言うと、隣でカイルが肩をすくめた。
「お前ならそう言うと思ったよ」
「他にまともな案があるなら聞くぞ」
「世界を初期化するか、エリシアを人間じゃなくすか、世界の仕組みそのものを書き換えるか。三択だっただろ?」
カイルは一度言葉を切り、学院長を見る。
「まともなのが一個もねえ」
まったくだ。
学院長――いや、《原初管理者》は感情の薄い目で俺たちを見ていた。
「正確には、第三案も成功する可能性が高いわけではありません」
「知ってる」
「失敗した場合、完全初期化が予定より早まる可能性があります」
「それも聞いた」
「さらに、世界基幹領域へ侵入した時点で、あなた方が現在保有している存在情報が破損する危険性も――」
「学院長」
俺はため息をついた。
「行くって言ってるんだから、後から後から怖い話を追加するのやめてもらえます?」
一瞬だけ。
学院長の目が丸くなった。
隣でカイルが吹き出す。
「お前、原初管理者相手でもそれなんだな」
「今さら敬語使ったところで世界は救えないだろ」
「それはそうだけどよ」
「……レオンらしい」
小さく笑ったのはエリシアだった。
さっきまで強張っていた表情が、ほんの少しだけ柔らかくなっている。
俺はそれを確認してから、もう一度学院長へ向き直った。
「それで、世界基幹領域ってのはどこにある?」
「どこにもありません」
「は?」
「少なくとも、第七世界の内部には存在しません」
また面倒な話が始まった。
学院長が指を上げると、俺たちの中央に淡い光が浮かび上がる。
学院の地図。
王都。
大陸。
そこから視点が急速に引いていき、やがて世界そのものを表す巨大な球体になった。
その外側に、細い光の輪が幾重にも重なっている。
「世界基幹領域は、各世界の外側に存在する管理領域です。第一世界から第七世界まで、すべての世界情報はそこへ接続されています」
「つまり世界の外に出ろって?」
「そうなります」
「どうやって」
学院長の視線が俺に向いた。
嫌な予感しかしない。
「あなたが開きます」
「俺?」
《特殊職業を確認》
《アビスウォーカー》
《固有能力――境界歩行》
視界に文字が浮かんだ。
俺は思わず目を細める。
境界歩行きょうかいほこう。
この能力自体は知っている。
ただし俺の知っている『エターナル・レコード』では、フィールド間に存在する特殊領域へ侵入するための移動スキルだった。
隠しダンジョン。
没エリア。
通常ルートでは入れない特殊マップ。
そんな場所へ行くための能力だ。
世界の外へ出る能力じゃない。
「……また仕様が変わってない?」
「変わったのではありません」
学院長が答える。
「あなたが、本来想定されていた使用者ではなかっただけです」
「どういう意味だ?」
「《境界歩行》は、世界内部の空間を移動する能力ではありません」
光の球体に、小さな亀裂が走った。
「本来の用途は――世界と世界の境界を越えることです」
ぞくりとした。
なるほど。
だからアビスウォーカー。
深淵しんえんを歩く者。
名前の意味を、俺はゲーム時代から勘違いしていたらしい。
《条件を確認》
《世界基幹領域への接続を開始します》
《必要適合者:3》
《適合者を検索――》
光が俺たち四人を順番に包んでいく。
最初に俺。
《レオン・アルヴェイン》
《外部魂情報:確認》
《境界適合:承認》
次にカイル。
《カイル・アストレア》
《世界補正中核個体:確認》
《物語固定点:承認》
そしてエリシア。
《エリシア・アルヴェイン》
《管理者バックアップ個体:確認》
《管理権限:承認》
三人。
最後に、リリアへ光が移る。
《リリア・セレスティア》
《第七世界正規個体》
《境界適合――否認》
空気が止まった。
「……え?」
リリアが呟く。
《世界基幹領域への侵入権限がありません》
「ちょっと待って」
彼女が一歩前へ出た。
「それって、私だけ行けないってこと?」
学院長は答えなかった。
その沈黙だけで十分だった。
「そんなの――」
「リリア」
俺が呼ぶ。
「嫌よ」
即答だった。
「まだ何も言ってない」
「どうせ『ここに残れ』って言うんでしょ」
「まあ……」
「嫌」
リリアはまっすぐ俺を見る。
「今まで一緒に来たのに、最後だけ待ってろなんて納得できない」
その気持ちは分かる。
むしろ俺だって、できるなら一緒に来てほしい。
こいつには何度も助けられた。
最初の頃なんて、俺が知っているゲームの登場人物ですらなかった。
それなのに今では。
リリアがここにいることが、当たり前になっている。
「無理に連れていく方法は?」
俺が学院長に聞く。
「存在します」
あるのかよ。
「ただし境界侵入時に、彼女の存在情報が消失する確率は九十一・七パーセントです」
「却下」
「即答ね!?」
「当たり前だろ!」
九割超えてるじゃねえか。
それを方法に数えるな。
俺が睨むと、学院長は淡々と言葉を続けた。
「ですが、リリア・セレスティアには別の役割があります」
「……別の?」
リリアが顔を上げた。
学院長は光の球体を操作する。
世界の外へ伸びる三本の線。
俺、カイル、エリシア。
そして、その三本の線の根元を支えるように一本の光が現れた。
「世界基幹領域へ三名が移動した場合、第七世界との接続は極めて不安定になります」
「まさか」
カイルが気づいた。
「こっち側に誰か残す必要がある?」
「はい」
学院長が頷く。
「しかも管理権限を持たず、世界補正の影響も受けず、外部魂情報も保有していない――純粋な第七世界の住人でなければならない」
俺はリリアを見る。
リリアも俺を見る。
《接続維持候補》
《リリア・セレスティア》
《適合率:99.98%》
「高っ」
思わず声が出た。
カイルが苦笑する。
「お前、行けないんじゃなくて、残らないといけない奴だったらしいぞ」
「……そんな言い方されても嬉しくないわよ」
「でも重要だ」
俺は言った。
「俺たちが向こうに行って、帰る道が消えたら終わりだ。世界を書き換えられても戻れなきゃ意味がない」
「それは……そうだけど」
「頼む」
リリアが黙る。
「俺たちを、この世界につないでてくれ」
しばらくして。
彼女は大きく息を吐いた。
「……絶対帰ってきなさいよ」
「ああ」
「絶対だからね」
「分かってる」
「レオンの絶対って信用できないのよ」
「ひどくない?」
「自覚ないの?」
横でカイルが頷いている。
お前まで頷くな。
エリシアは小さく笑った。
わずかだけれど。
張り詰めていた空気が緩む。
学院長が手を伸ばした。
「では、接続を開始します」
空間が震えた。
俺の足元に黒い魔法陣が広がっていく。
いや。
魔法陣じゃない。
見たことのない文字列が、円を描くように高速で流れている。
《境界歩行――拡張処理》
《世界外移動権限を一時解放》
《接続対象:世界基幹領域》
頭の奥で、何かが弾けた。
同時に。
理解した。
そこに道がある。
目には見えない。
触ることもできない。
だけど確かに、この世界と“何か”の間に薄い境目が存在している。
俺は右手を伸ばした。
何もない空間を掴む。
そして。
引いた。
――世界が裂けた。
「……マジかよ」
カイルが呟く。
縦に走った黒い亀裂。
その向こうには、白い空間が広がっていた。
床も。
天井も。
壁もない。
ただ果てしなく白い。
その中に。
七つの扉が並んでいる。
第一の扉。
第二の扉。
第三。
第四。
第五。
第六。
そして。
第七。
すべての扉に、同じ紋章が刻まれていた。
俺が知っている。
『エターナル・レコード』のタイトル画面に表示されていた紋章。
そのさらに奥に。
もう一つ。
何も描かれていない扉があった。
八枚目。
「……あれか」
学院長が頷く。
「現在、存在しない世界です」
第八世界。
俺たちがこれから作る世界。
俺は亀裂の前へ立つ。
カイルが隣に並び、エリシアも俺の反対側へ来た。
振り返る。
リリアがいる。
学院長がいる。
その向こうには学院がある。
王都がある。
この世界で出会った人たちがいる。
ゲームだったはずの世界。
でも今は。
俺にとって、間違いなく現実だ。
「じゃあ」
俺は笑った。
「ちょっと世界、作り直してくるわ」
「買い物みたいに言わないで」
リリアが呆れた顔をする。
「その方が気楽だろ」
「……バカ」
小さく言ってから。
リリアは笑った。
「行ってらっしゃい」
「ああ」
俺たちは亀裂を越えた。
瞬間。
音が消えた。
光が消えた。
上下の感覚すら消失する。
《世界基幹領域への侵入を確認》
《適合者三名――生存》
《第七世界との接続――正常》
《固定点:リリア・セレスティア》
《接続率:100%》
よし。
第一段階は成功。
そう思った、その直後だった。
新しい表示が現れた。
《最終メインクエスト更新》
《第八世界を確立せよ》
《第一工程》
《新世界を確立するため、既存世界法則を一つ破棄してください》
「……は?」
続けて。
俺たちの目の前に、七つの項目が表示された。
《破棄可能法則を提示します》
《一、死者は蘇生しない》
《二、時間は過去へ逆行しない》
《三、同一魂は同一世界に一つしか存在できない》
《四、世界外の記憶を保持してはならない》
《五、管理者は世界へ直接干渉してはならない》
《六、物語中核個体は世界補正に従う》
《七――》
最後の一つが表示された瞬間。
俺は言葉を失った。
カイルも。
エリシアも。
誰一人として声を出せなかった。
《七、世界が存続するためには――》
《管理者が一人、世界に残らなければならない》
そして、その直下。
赤い文字が浮かび上がる。
《注意》
《第八世界確立時、新規管理者に指定された個体は》
《世界基幹領域から帰還できません》
俺は。
ゆっくりと。
隣にいるエリシアを見た。
エリシアもまた。
俺を見ていた。
――そういうことか。
世界を救う方法が、まともじゃないなんて。
そんなことは。
とっくに分かっていたつもりだった。
《第一工程を開始します》
《破棄する世界法則を選択してください》




