妹まで、普通じゃなかった
第25章 妹まで、普通じゃなかった
試験場が、妙に静かだった。
さっきまで飛び交っていた歓声も、ざわめきもない。
誰もが、中央に立つ少女を見ていた。
「……エリシア?」
俺が名前を呼ぶ。
エリシアは木剣を握ったまま、自分の手を見つめていた。
「お兄様……今の、何ですか?」
「俺が聞きたい」
その少し前。
グレン教官の剣を受け止めた瞬間、エリシアの周囲に銀色の光が走った。
魔法じゃない。
スキルでもない。
少なくとも、この世界に存在する普通の力じゃなかった。
俺には見えていた。
ほんの一瞬だけ。
エリシアの頭上に浮かんだ文字が。
《観測者権限――限定接続》
そして。
《第七世界管理領域へ接続》
見間違いじゃない。
あの銀髪の女が使っていたものと、同じ言葉だった。
「……はあ」
思わずため息が出る。
リリアが隣から俺を見る。
「何よ、その反応」
「いや」
俺は額を押さえた。
「普通の学院生活って、どこで売ってるんだろうなって」
「知らないわよ」
即答された。
そりゃそうだ。
俺だって知らない。
そもそも入学初日から教官と戦わされ、妹が謎の権限に目覚め、その原因らしき女が観客席からこっちを見ている。
普通という言葉からは、だいぶ遠い。
視線を上げる。
観客席の最上段。
銀白色の髪。
紫色の瞳。
彼女は笑っていた。
まるで。
こうなることを最初から知っていたみたいに。
《特殊イベントが発生しました》
《観測者との接触条件を達成》
《対象:エリシア・アルヴェイン》
《隠匿情報の一部が解放されます》
来た。
俺は表示を睨む。
《エリシア・アルヴェイン》
《存在分類:未確定》
《世界内出生記録:存在》
《世界構成情報:不一致》
《外部情報混入率――》
そこで数字が乱れた。
《解析不能》
「またそれかよ……」
俺の時もそうだった。
魂と肉体が一致しない。
世界から異物扱いされる。
そして今度はエリシア。
俺たち兄妹は、揃ってこの世界の仕様から外れているらしい。
「レオン」
グレン教官が近づいてきた。
さっきまでの軽い雰囲気は消えている。
「今の光について、何か知っているか?」
「知ってたら俺も困ってません」
「……そうか」
グレンはエリシアを見る。
「魔力の暴走には見えなかった。むしろ逆だ。完全に制御されていた」
「制御?」
「ああ」
グレンは木剣を拾い上げる。
その刃には。
細い亀裂が入っていた。
「俺の攻撃そのものが、途中で弱められた」
「……え?」
リリアが目を見開く。
グレンが続けた。
「エリシアが防いだんじゃない。俺の攻撃が、彼女に届く直前で書き換えられたように感じた」
書き換え。
嫌な単語だ。
世界。
シナリオ。
観測者。
そして書き換え。
全部が同じ方向を向き始めている。
「エリシア」
俺は妹を見る。
「本当に何も覚えてないのか?」
「……はい」
少し不安そうな顔で頷く。
「グレン先生の剣が見えて……怖いって思ったんです。それで」
エリシアは胸元に手を置いた。
「誰かの声が聞こえました」
背筋が冷えた。
「なんて?」
エリシアは少し迷ってから答えた。
「――今度こそ、間に合った」
ぞくり、とした。
その瞬間。
世界から音が消えた。
「っ……!」
知っている。
二度目だ。
風が止まり。
観客も。
グレンも。
リリアも。
エリシアさえも。
すべてが静止する。
動けるのは俺だけ。
そして。
「やっぱり聞こえたのね」
声がした。
振り返る。
銀髪の女が立っていた。
さっきまで観客席にいたはずなのに、今は俺の数歩後ろにいる。
「……お前」
「そんな怖い顔しないで」
「無理言うな」
女は小さく笑った。
「七回やり直しても、その顔は変わらないのね」
「俺は七回も付き合った覚えないけどな」
「でしょうね」
女はエリシアへ視線を向ける。
その表情から笑みが消えた。
「彼女は、七回とも存在しなかったから」
「……何?」
俺の声が低くなる。
「エリシアが?」
「正確には」
女はゆっくり歩き出した。
「エリシア・アルヴェインという人間は存在した。でも、あなたの妹としてここまで生き残った世界は一度もない」
言葉が頭に入ってくるまで、数秒かかった。
「待て」
一歩踏み出す。
「どういう意味だ」
女は答えない。
「七回ともってことは、お前は全部知ってるんだろ」
「ええ」
「ならエリシアに何が起きた」
沈黙。
俺は女を睨む。
「答えろ」
紫色の瞳が、静かに俺を見る。
「死んだわ」
胸の奥が冷えた。
「第一世界では五歳。第二世界では八歳。第三世界では生まれてすぐ。第四世界では十二歳」
淡々と。
ただ事実を読み上げるように。
「第五、第六世界では出生そのものが削除された。第七世界では――」
女の言葉が止まる。
「……黒狼団に回収される予定だった」
思い出す。
黒狼団。
エリシアを狙った襲撃。
《世界外データ回収》
あれは偶然じゃない。
最初から。
「じゃあ俺が黒狼団を潰したから……」
「初めて生存した」
女が答える。
「そして本来いないはずの彼女が生き残ったことで、第七世界の構造が大きく変わった」
目の前に表示が浮かぶ。
《世界線乖離率:31.04%》
上がっている。
また。
「ちょっと待て」
俺は眉を寄せる。
「だったら、なんでエリシアに観測者権限が出る?」
女の表情が変わった。
ほんのわずか。
でも。
初めて見た。
こいつが答えを持っていない顔。
「それが」
女は静止したエリシアを見る。
「私にも分からないの」
「……は?」
「だから私は、学院に来た」
初めて。
観測者が。
世界を七回やり直した女が。
知らないと言った。
「八周目は、最初から異常だった」
女が俺を見る。
「存在しない魂が、レオン・アルヴェインの身体に入った」
俺。
「消えるはずだった正規個体が、自我を持った」
もう一人の俺。
「死亡するはずだった少女が生き残り、存在しない権限を発現した」
エリシア。
そして。
「本来この時期には目覚めない人物たちまで、次々と動き始めている」
カイル。
リリア。
黒狼団。
地下墓地。
すべてが早すぎた。
「……じゃあ」
俺は女を見る。
「この世界はもう、お前の知ってる八周目じゃないってことか?」
「違うわ」
女は首を振った。
「私が知っているのは七周目まで」
そして。
少しだけ笑った。
「八周目は、あなたが作ってる」
その瞬間。
目の前に大量の文字が浮かんだ。
《重要条件を達成しました》
《世界線固定率が規定値を下回りました》
《既定シナリオの維持が困難です》
《メインシナリオを再構築します》
《警告》
《第七世界管理領域に不正アクセスを確認》
不正アクセス?
俺じゃない。
銀髪の女でもない。
彼女の顔から、明らかに余裕が消えた。
「……嘘」
初めて。
女が焦った。
《アクセス元を検索》
《検索失敗》
《管理権限が拒絶されました》
そして。
エリシアの身体から、銀色の光が漏れた。
静止しているはずなのに。
その指が。
ほんの少し動く。
《新規管理者候補を検出》
俺は表示を見上げた。
そこに。
あり得ない名前が出ていた。
《候補者》
《エリシア・アルヴェイン》
銀髪の女が呟く。
「……あなたは、一体何を連れてきたの?」
「知らねえよ」
俺は静止した妹を見る。
「俺だって今、一番聞きたい」
さらに表示が追加される。
《緊急メインクエストが発生しました》
《“世界の管理者”を特定せよ》
《制限時間:30日》
《失敗条件――第七世界の完全初期化》
完全初期化。
つまり。
「失敗したら?」
俺が尋ねる。
女はしばらく黙っていた。
やがて。
「全部消える」
学院も。
王都も。
リリアも。
カイルも。
アルバートも。
エリシアも。
そして。
俺も。
静止した世界の中で。
鐘の音だけが鳴った。
入学初日。
授業すら、まだ始まっていない。
俺は目の前に浮かぶクエストを見ながら、大きく息を吐いた。
「……せめて一限くらい受けさせろよ」
当然。
返事はなかった。




