勝ったわけじゃない。それでも、俺はここにいる
第19章 勝ったわけじゃない。それでも、俺はここにいる
黒く反転していた世界に、色が戻っていく。
最初に見えたのは、砕けた石畳だった。
次に、抉れた地面。
折れた木。
半壊した屋敷の外壁。
そして、その中心に立つ――俺と同じ顔の男。
「……はぁ……っ」
息を吸うだけで、胸が痛い。
右腕は痺れているし、左脚もうまく力が入らない。
身体中が悲鳴を上げていた。
なのに。
目の前の男から、目を離すことができなかった。
正規個体。
レオン・アルヴェイン。
この世界に、本来存在するはずだった俺。
その男は、自分の右手をじっと見つめていた。
「……奪ったか」
小さく呟く。
「何をだよ」
「気づいていないのか?」
正規個体が顔を上げた。
さっきまで無表情だったその顔に、ほんのわずかだが変化がある。
驚き。
いや。
興味、か?
「《境界簒奪》」
その言葉と同時に、俺の視界へ半透明のウィンドウが浮かび上がった。
――――――――――
《固有技能の発動を確認》
《境界簒奪》
対象:《正規個体――レオン・アルヴェイン》
簒奪対象を解析中……
解析完了。
《存在優先権の一部を簒奪しました》
取得率:3.7%
《第七世界における個体認証を更新します》
認証状態:
《異物》
↓
《準構成個体》
――――――――――
「……は?」
意味が分からん。
いや。
単語の意味は分かる。
分かるんだが。
「存在優先権ってなんだよ」
ゲーム時代には、そんなステータス存在しなかったぞ。
HPでもない。
MPでもない。
能力値でも、スキルでもない。
そもそもプレイヤーが触れられる領域じゃない。
正規個体が薄く目を細めた。
「世界が、どちらを本物として扱うか。その優先順位だ」
「……おい」
嫌な予感しかしない。
「つまり?」
「お前は今、私から――」
正規個体が、自分の胸元へ手を当てる。
「レオン・アルヴェインである権利を奪った」
「…………」
なんだそれ。
そんなもん。
奪えるのかよ。
いや。
奪えたから表示されてるんだけど。
「三・七パーセントだけだぞ?」
「十分だ」
正規個体は即答した。
「本来、お前には一欠片も存在しないはずの権利だ」
言われて、背筋が冷たくなる。
そうだ。
こいつからすれば俺は偽物。
それどころか、この世界そのものから異物扱いされていた。
なのに。
俺は今。
世界から――ほんの少しだけ。
レオン・アルヴェインとして認められた。
「……だから《準構成個体》か」
《異物》よりはマシなんだろう。
たぶん。
ものすごく微妙な昇格だけど。
「それより」
俺は黒剣を握り直した。
「まだやるのか?」
正規個体を見る。
正直。
続行されたらかなりまずい。
《境界簒奪》が発動したとはいえ、俺の身体はもう限界だ。
こいつがさっきの十パーセント出力でもう一度攻めてきたら。
たぶん死ぬ。
だが。
正規個体は動かなかった。
やがて、ふっと剣先を下げる。
同時に。
視界へ新しい表示が現れた。
――――――――――
《特殊クエスト》
《存在証明》
勝利条件:
レオン・アルヴェインの生存
――達成。
《適合試験を終了します》
――――――――――
「……あ」
そうだった。
勝つ必要なんかなかった。
最初から。
生き残ればよかったんだ。
「合格ってことか?」
「合格ではない」
「じゃあ何だよ」
「保留だ」
「もっと嫌なやつじゃねえか」
思わず言うと。
正規個体の口元が。
ほんの少しだけ動いた。
……笑った?
いや。
気のせいか。
「第七世界だけが異常なのではない」
「……?」
「第七世界で、お前が生き残ったこと。それ自体に意味がある」
「待て。それどういう――」
聞き返そうとした瞬間だった。
正規個体の身体に、細い亀裂のような光が走った。
「おい」
身体が透け始めている。
転移?
いや。
違う。
まるで、ここに存在するための時間が切れたみたいに。
正規個体の輪郭そのものが崩れていく。
「次に会う時までに、その権利を守れ」
「待てって!」
「奪ったものは、奪い返される」
正規個体の身体が光へ変わる。
俺は一歩踏み出した。
「お前は何なんだ! 第六世界までの俺なのか!? それとも――」
「その答えを知りたければ」
男が俺を見る。
同じ顔。
同じ声。
なのに。
今はもう、不思議と俺自身には見えなかった。
「あの女を探せ」
「あの女?」
「世界を七度、作り直した者だ」
「――は?」
直後。
正規個体の姿が消えた。
音もなく。
最初からそこに誰もいなかったように。
ただ。
最後の言葉だけが耳に残る。
世界を七度、作り直した者。
「……なんだよ、それ」
第七世界。
第一から第六世界。
正規個体。
観測者。
エリシア。
俺。
全部が一本の線で繋がりかけている気がする。
なのに。
肝心なところだけが見えない。
――と。
「レオン!」
声と同時に、横から何かが飛び込んできた。
「うおっ」
受け止めきれず、そのまま尻餅をつく。
痛ぇ。
本気で痛ぇ。
「お兄様……!」
「エリシア?」
胸元に顔を埋めたエリシアの肩が震えている。
屋敷の中にいたはずなのに。
「死んだかと……思いました……」
「いや、まだ生きてる。ギリギリだけど」
「ギリギリじゃ困ります!」
「はい」
怒られた。
顔を上げると、少し離れたところからアルバートも歩いてくる。
珍しく。
本当に珍しく。
あいつの顔から余裕が消えていた。
「ご無事で……何よりです」
「アルバート」
「ですが後ほど、お話があります」
「……何について?」
「屋敷の修繕費についてです」
「そこ!?」
見渡す。
庭。
ほぼ壊滅。
外壁。
半壊。
窓。
何枚割れたか数える気にもならない。
「…………」
これは。
まずいな。
「俺、悪くなくない?」
「半分程度はレオン様が壊しました」
「数えてたの?」
「執事ですので」
どういう執事だよ。
「……まったく」
別方向から声がした。
リリアだ。
腕を押さえながら、こちらへ歩いてくる。
その後ろにはカイル。
二人ともボロボロだ。
特にリリア。
正規個体に吹き飛ばされた時、かなり派手に壁へ突っ込んでいた。
「大丈夫か?」
「その台詞、そのまま返すわよ」
「俺は平気」
「立ててないじゃない」
言われて気づく。
確かに。
エリシアを抱えたまま尻餅ついてたわ。
「……これは休憩中」
「はいはい」
リリアが呆れたように息を吐く。
そんな俺たちの横で。
カイルだけは、正規個体が消えた場所を見つめていた。
「レオン」
「ん?」
「最後に、あいつ何か言ってなかったか?」
一瞬迷った。
だが。
隠す意味もない。
「世界を七度作り直した女を探せ、だと」
カイルの表情が固まった。
「……女?」
「ああ」
「名前は?」
「聞く前に消えた」
「そうか……」
カイルが考え込む。
数秒後。
小さな声で言った。
「俺の知ってる《エクリプス・オンライン》には、そんな設定はない」
「俺の知ってる方にもないよ」
「……また差分か」
俺たちは同時に黙った。
ゲーム知識が通用しない。
いや。
正確には。
知っている世界の下に、俺たちが知らない何かがある。
ゲームとして遊んでいた頃には見えなかった。
もっと深い部分。
この世界そのものに関わる何かが。
その時。
再びウィンドウが開いた。
――――――――――
《世界情報を更新しました》
正規個体との接触を確認。
存在優先権の移動を確認。
《世界線乖離率:22.61%》
《シナリオ同期率:78%》
警告。
《規定値を超えるシナリオ変動を検出》
補正を開始します。
――――――――――
「……補正?」
嫌な言葉が出た。
俺とカイルが顔を見合わせる。
次の瞬間。
表示が切り替わった。
――――――――――
《メインシナリオを更新しました》
第二幕。
《王立アストレア学院》
開始条件を満たしました。
開始まで――
《四十八時間》
――――――――――
「……二日?」
学院への編入は三日後だったはず。
予定が。
一日早まった。
「またかよ」
ゴブリン襲撃も。
黒狼団も。
カイルとの遭遇も。
全部そうだった。
イベントが前倒しされている。
俺が知っているシナリオより。
どんどん早く。
そして今回は。
はっきり表示された。
《補正》。
まるで世界の方が。
俺たちに予定通り物語を進めさせようとしているみたいに。
「レオン」
カイルが低い声で呼ぶ。
「ああ」
俺も立ち上がる。
脚は痛い。
身体もボロボロ。
屋敷もボロボロ。
ついでに修繕費も怖い。
それでも。
止まっている場合じゃない。
「二日後、学院だ」
ゲームでは。
王立アストレア学院から、本当の物語が始まる。
主人公カイルが仲間と出会い。
最初の大事件が起こり。
世界の命運へ繋がっていく場所。
ただし。
今の俺たちはもう知っている。
ここは。
俺たちが知っている《エクリプス・オンライン》じゃない。
そして。
二日後。
俺は、その事実を嫌というほど思い知らされることになる。
なぜなら――。
王立アストレア学院の特別編入者名簿。
そこには。
本来なら絶対に存在しない名前が。
すでに、一つ追加されていた。
――――――――――
特別編入予定者。
《レオン・アルヴェイン》
《リリア・セレスティア》
そして。
《エリシア・アルヴェイン》
――――――――――
「……なんでエリシアまでいるんだよ」
物語はまた。
俺の知らない方向へ動き始めていた。




