その境界、俺がもらう
第18章 その境界、俺がもらう
《条件を満たしました》
《封印技能の一部を解放します》
《固有技能――境界簒奪》
黒い光が、俺の身体から噴き出した。
直後。
世界から、音が消えた。
「――は?」
目の前には、白い剣を振り下ろすもう一人の俺。
正規個体。
剣先はすでに俺の首元まで迫っている。
避けられない。
さっきまでなら、そう判断していた。
なのに今は。
妙にはっきり見える。
剣。
腕。
魔力。
空間。
そして、そのすべてを隔てている――線。
《固有技能:境界簒奪》
《世界に定義された“境界”を一時的に認識・干渉します》
《現在の深淵接続率では完全使用できません》
《使用可能時間――3.2秒》
「三秒って……」
短すぎだろ。
そう思った瞬間、別の表示が視界に浮かんだ。
《干渉可能境界を検出》
《距離》
《所有》
《敵性》
《攻撃判定》
《存在優先度――干渉不能》
最後の一つだけ文字が赤い。
考えている暇はなかった。
俺は反射的に手を伸ばす。
狙ったのは――。
《攻撃判定》。
「――よこせ」
指先が、黒い線に触れた。
瞬間。
正規個体の剣が俺の首を通り抜けた。
「……!」
痛みはない。
血も出ない。
剣は確かに俺の身体を通過した。
なのに。
斬られていない。
正規個体の目が、初めてわずかに見開かれる。
《境界簒奪成功》
《対象:《聖断》》
《攻撃判定を一時的に剥奪しました》
「なるほど」
思わず笑った。
「そういうスキルか」
三秒。
それだけあれば十分だった。
俺は正規個体の懐へ潜り込み、黒剣を横薙ぎに振る。
だが。
ガキィン――!
「っ!」
受けられた。
白剣が恐ろしい速度で戻され、俺の黒剣とぶつかる。
衝撃が腕を駆け抜け、そのまま身体ごと吹き飛ばされた。
地面を二度、三度と転がる。
「レオン!」
リリアの声。
「来るな!」
即座に叫ぶ。
立ち上がった瞬間。
黒い光が消えた。
《境界簒奪――終了》
《深淵接続率:31.2%》
《身体負荷:危険域》
途端に。
全身へ激痛が走った。
「ぐっ……!」
膝をつく。
なんだこれ。
骨が軋むとか。
筋肉が痛いとか。
そういうレベルじゃない。
身体そのものが、自分の身体じゃなくなろうとしているような気持ち悪さ。
視界まで一瞬ぶれた。
《警告》
《魂情報と肉体情報の乖離が拡大しています》
またそれかよ。
最初からずっと。
俺について回ってる問題。
この身体はレオン・アルヴェイン。
でも中身は。
前世の記憶を持つ――俺。
そして今。
目の前には。
「正しいレオン」がいる。
正規個体は剣を下ろしたまま、俺を見つめていた。
さっきまでの無表情とは違う。
明らかに。
俺を観察している。
「……境界簒奪」
小さく呟く。
「第六世界まで、一度も発現しなかった技能」
「そりゃどうも」
俺は震える足に力を入れた。
「初物らしいぞ」
正規個体は答えない。
代わりに視線だけが俺の身体をなぞり、何かを確認するように止まった。
「異物であることが発現条件か」
「知らねえよ。こっちだって今初めて使ったんだ」
「魂と肉体の不一致。世界記憶との不一致。シナリオとの不一致。そして深淵への異常適合」
正規個体が淡々と言葉を並べる。
「世界から見れば、お前は境界そのものだ」
「……何?」
「どこにも属していない。故に、境界へ干渉できる」
その言葉に。
胸の奥が嫌な音を立てた。
どこにも属していない。
それはつまり。
この世界の人間でもなく。
元の世界の人間でもなく。
本物のレオンでもない。
「――だからなんだよ」
気づけば。
口から言葉が出ていた。
正規個体が俺を見る。
「俺がどこから来たとか、この身体が本物か偽物かとか。そんなの今さらどうでもいい」
黒剣を握り直す。
手は震えている。
深淵接続率のせいなのか。
恐怖のせいなのか。
自分でも分からない。
それでも。
剣先だけは。
正規個体へ向けた。
「この身体で目を覚まして、半年後に死ぬって知って。それが嫌だから死者の森に行って、リリアに会って、墓守に会って、カイルに会った」
背後から気配がする。
リリア。
カイル。
アルバート。
屋敷の中には、エリシアもいる。
「俺が選んだ」
俺は言った。
「全部、俺が選んできた」
ゲーム通りなら。
リリアとは、あんな出会い方をしなかった。
黒狼団は、まだ現れなかった。
エリシアの正体なんて知らなかった。
カイルとこんなふうに肩を並べることもない。
全部。
シナリオから外れている。
だったら。
「正規だろうが異物だろうが知るか。ここまで来たのは俺だ」
正規個体の目が、ほんの少し細くなった。
その背後。
カイルが小さく笑う。
「……言うじゃん」
「カイル?」
「いや。ちょっと安心しただけ」
何にだよ。
聞き返す余裕はなかった。
正規個体の白剣から、再び光が溢れ始めたからだ。
《警告》
《正規個体――出力上昇》
《10%》
《12%》
《15%》
「おいおい」
さっきの十%で殺されかけたんですけど。
《17%》
《20%》
白い魔力が庭を満たす。
石畳がひび割れ、周囲の木々が大きく揺れた。
アルバートがリリアの前に出る。
カイルも剣を抜いた。
「レオン」
「なんだ」
「あれ、一人でやるつもり?」
「一応そのつもりだったけど」
「やめとけ」
即答だった。
「見れば分かるだろ。そいつ、お前の五倍くらい強い」
「もっとある気がする」
「じゃあなおさらだ」
カイルが俺の横へ並ぶ。
正規個体の視線が動いた。
「干渉するのか。カイル・アストレア」
「するよ」
「これはレオン・アルヴェインの適合試験だ」
「知らないね」
カイルは剣を肩へ担いだ。
「俺の知ってるゲームに、こんなイベントはなかった」
空気が止まる。
正規個体。
そして。
俺も。
カイルを見る。
「……お前」
「あとで話す」
こいつ。
やっぱり。
俺と同じ――。
《複数の外部記憶保持個体を確認》
以前見た表示が、脳裏によみがえる。
だが正規個体は。
少しだけ違う反応をした。
「外部記憶保持個体」
白剣が。
カイルへ向く。
「優先排除対象へ変更」
「え」
俺とカイルの声が重なった。
次の瞬間。
正規個体が消えた。
「カイル!」
俺は反射的に動いた。
《深淵適応》
《境界歩行》
足元から黒い光が走る。
視界の端。
白い線。
正規個体の剣が、カイルの胸へ迫っている。
間に合わない。
そう思った瞬間だった。
再び。
世界に線が見えた。
《固有技能:境界簒奪》
《再使用条件を満たしていません》
《強制使用は推奨されません》
知らん。
そんなの。
「使え!」
《警告》
《深淵接続率が安全域を超過します》
「使えって言ってんだろ!」
黒い光が爆発する。
《境界簒奪――強制起動》
《深淵接続率:34.8%》
《38.1%》
《41.7%》
身体の感覚が遠ざかる。
それでも。
見えた。
正規個体。
カイル。
そして二人の間にある。
境界。
《干渉可能境界》
《距離》
俺はそこへ手を伸ばした。
掴む。
引き寄せる。
《境界簒奪》
《対象――距離》
《対象間距離:4.7m》
《簒奪します》
世界が。
歪んだ。
正規個体の目の前にいたカイルが消える。
違う。
消えたんじゃない。
距離そのものを。
俺が奪った。
「――っ!?」
正規個体の白剣が空を切る。
そして。
カイルの代わりに。
俺が正規個体の目の前へ現れた。
距離ゼロ。
互いの剣が届く位置。
正規個体の瞳に。
初めて。
明確な驚きが浮かぶ。
「お前」
俺は笑った。
「強いな」
黒剣を両手で握る。
《簒奪解析》
《対象情報を取得》
《聖剣術――解析不能》
《勇者技能――解析不能》
《戦闘行動履歴――取得成功》
十分だ。
技が奪えないなら。
動きを奪えばいい。
正規個体が剣を振る。
俺は。
その軌道を知っている。
一歩。
半身。
白剣が頬を掠める。
二撃目。
知ってる。
三撃目。
それも。
四撃目。
――そこだ。
「《破砕撃》!」
黒剣が。
正規個体の白剣を下から叩き上げた。
ガァァン――!
耳をつんざく衝撃。
白剣が跳ね上がる。
正規個体の胴が。
空く。
「リリア!」
叫ぶ。
返事はなかった。
必要なかったからだ。
すでに。
青い炎が俺の横を通り過ぎていた。
「《蒼炎槍》!」
炎の槍が正規個体へ直撃する。
爆発。
青い炎が庭を包んだ。
さらに。
「悪いね。俺も混ぜてもらう」
カイルが地面を蹴る。
金色の光。
ゲーム主人公。
勇者候補。
本来なら。
物語の中心にいる男。
「《星光斬》!」
金色の斬撃が青炎を切り裂き。
その奥にいる正規個体へ叩き込まれた。
轟音。
衝撃。
屋敷の窓が震えた。
土煙が舞い上がる。
「……やったか?」
カイルが言う。
俺は思わず横を見る。
「それ言うな」
「なんで?」
「大体やってないから」
「……分かる」
ゲーム経験者二人。
こういうところだけ妙に意思疎通が早い。
案の定。
土煙の奥。
白い光が灯った。
「ほらな」
「ほんとだ」
煙が晴れる。
正規個体は立っていた。
服は裂けている。
頬には。
一本。
傷がついていた。
血が流れている。
たったそれだけ。
けれど。
今まで完全に無傷だった存在に。
初めて。
傷がついた。
正規個体が。
自分の頬へ指を当てる。
赤い血を見る。
そして。
ゆっくり。
俺を見る。
「……記録にない」
初めてだった。
その声に。
感情らしきものが混ざったのは。
《特殊クエスト:存在証明》
《進行条件を達成》
《正規個体への損傷を確認》
《存在優先度を再計算します》
俺の視界に。
新しい表示が浮かぶ。
《レオン・アルヴェイン》
《登録候補:2》
《正規個体》
《異物個体》
そして。
その下。
数字が高速で変化し始めた。
《存在優先度》
《正規個体:100》
《異物個体:0》
それが。
《98:2》
《91:9》
《83:17》
下がる。
正規個体の表情が変わった。
「停止しろ」
システムへ向けているのか。
誰かへ向けているのか。
分からない。
《74:26》
「再計算を停止しろ」
《63:37》
「――停止しろ」
正規個体の白い魔力が。
一気に膨れ上がった。
《警告》
《正規個体の制限解除を確認》
《出力:20%》
《30%》
《40%》
「いやいやいや」
カイルが一歩下がる。
「これ、まずいやつじゃない?」
分かってる。
《50%》
地面が沈む。
空気が震える。
屋敷全体を覆うように。
白い光が立ち上る。
《存在優先度》
《56:44》
俺と正規個体。
その差が。
ほとんどなくなった。
そして。
《50:50》
表示が止まる。
正規個体の顔から。
完全に表情が消えた。
「――認めない」
静かな声だった。
だからこそ。
背筋が凍った。
《正規個体――最終排除処理へ移行》
《出力制限を解除します》
「……マジかよ」
白い光が。
空を覆った。




