俺を殺しに来たのは、俺だった
第17章 俺を殺しに来たのは、俺だった
最初に気づいたのは、リリアだった。
「……来ます」
その一言で、庭にいた全員の空気が変わった。
リリアが腰の剣に手をかけ、カイルが反射的にエリシアの前へ出る。アルバートもまた、いつもの穏やかな執事の顔を消し、懐から短剣を抜いていた。
俺だけは動かなかった。
いや。
動けなかった。
視界の端に表示されている数字が、さっきから異常な速度で減り続けている。
《正規個体との距離:462m》
《421m》
《376m》
徒歩じゃない。
馬でもない。
何かが、一直線にこっちへ向かってきている。
しかも。
速い。
「レオン」
カイルが低い声で呼ぶ。
「ああ」
俺は右手を前に出し、《深淵解析》を起動した。
視界が薄く黒く染まり、周囲の魔力反応が線になって浮かび上がる。リリア、カイル、アルバート、エリシア。
そして。
屋敷の北側。
森の向こうから接近してくる、巨大な黒い反応。
ただし、その反応には一つだけ妙な点があった。
魔物じゃない。
人間だ。
それも。
《肉体情報:一致》
……知ってる。
分かってた。
地下墓地で、すでに見ている。
それでも実際に表示されると、気味の悪さがまるで違った。
《正規個体との距離:188m》
「アルバート」
「はい」
「エリシアを屋敷の中へ」
「しかし――」
「頼む」
俺がそう言うと、アルバートはほんの一瞬だけ黙った。
けれど、すぐに頭を下げる。
「……承知いたしました」
「お兄様」
エリシアが俺の服の袖を掴んだ。
強く。
「大丈夫だ」
「嘘です」
即答だった。
思わず言葉に詰まる。
エリシアは俺を見上げたまま、手を離そうとしない。
「お兄様は、大丈夫な時にそんな顔をしません」
そんな顔って、どんな顔だよ。
そう返したかった。
でも、言えなかった。
なぜなら。
たぶん、俺自身が一番分かっている。
怖い。
ゴブリンキングと戦った時よりも。
黒狼団に囲まれた時よりも。
地下墓地の怪物と戦った時よりも。
今のほうが、ずっと怖い。
敵が強いからじゃない。
これから来る存在が。
俺自身の存在を否定するかもしれないからだ。
「エリシア」
「……はい」
「絶対に戻る」
しばらく俺を見つめていたエリシアは、やがて小さく頷いた。
アルバートに連れられ、屋敷へ向かっていく。
その背中を見送った直後。
数字が止まった。
《正規個体との距離:32m》
「……近いぞ」
カイルが剣を抜く。
リリアの周囲にも蒼い炎が浮かび上がった。
俺たちは、庭の北側へ視線を向ける。
屋敷を囲む石壁。
その向こうには木々が広がっている。
風が吹いた。
葉が揺れる。
次の瞬間。
森から、一羽の鳥が飛び立った。
そして。
静寂。
何も起こらない。
「……どこだ?」
カイルが呟いた瞬間だった。
石壁の上に。
いつの間にか。
一人の男が立っていた。
黒い髪。
黒い服。
背丈も、体格も。
そして、その顔も。
俺と同じだった。
「――っ」
リリアが息を呑む。
カイルでさえ、言葉を失っている。
そりゃそうだ。
俺だって、初めて見た時はそうだった。
男は俺たちを見下ろしていた。
いや。
違う。
見ているのは、俺だけだ。
まるで他の三人など最初から存在していないかのように。
「……ようやく会えたな」
声まで同じ。
地下墓地で聞いた時よりも、今のほうが不快だった。
自分の声を、自分ではない誰かが使っている。
「その台詞、前にも聞いたぞ」
俺が言うと、男の口元がわずかに上がった。
「そうだったな」
次の瞬間。
男の姿が消えた。
「レオン!」
リリアの声。
同時に俺は後ろへ飛ぶ。
直後、さっきまで俺が立っていた場所へ黒い剣が振り下ろされた。
地面が砕ける。
土と石が弾け飛び、衝撃波が庭を走った。
速い。
見えなかった。
いや、《深淵解析》がなかったら反応すらできなかった。
男は砕けた地面の中央で、ゆっくりと剣を持ち上げる。
「避けるか」
「いきなり斬りかかる奴に褒められても嬉しくねえよ」
「確認しただけだ」
「何を?」
男は答えなかった。
代わりにカイルが前へ出る。
「お前、何者だ」
剣先を男へ向ける。
そこで初めて、男がカイルを見た。
「カイル・アストレア」
「……俺を知ってるのか」
「知っている」
「どこで?」
「六回」
カイルの眉が動いた。
「何?」
「俺は、お前を六回見ている」
風が止まった。
カイルの顔から、完全に表情が消える。
俺にも、その意味が分かった。
第一世界。
第二世界。
第三世界。
第四世界。
第五世界。
第六世界。
この世界が第七世界なら。
「……前の世界にいたのか?」
俺が訊く。
男の視線が再び俺へ戻った。
「いた」
「全部?」
「ああ」
さらっと答えやがった。
心臓が嫌な音を立てる。
カイルが言っていた。
第一から第六世界で。
レオン・アルヴェインは死ぬ。
そして第七世界だけ、今も生きている。
だとすれば。
目の前にいるこいつは。
「お前が……前の世界のレオンなのか?」
男は少しだけ考えるように黙った。
そして。
「違う」
答えた。
「正確には、その質問そのものが間違っている」
またそれかよ。
最近、この世界はまともに答えをくれる奴が少なすぎる。
「だったら分かるように説明しろ」
俺が苛立ちを隠さず言うと、男は剣を下ろした。
戦う意思をなくしたわけではない。
むしろ逆だ。
隙がない。
いつでも俺の首を落とせるような立ち方だった。
「レオン・アルヴェインという人間は、第一世界から第六世界まで存在した」
「ああ」
「そして死亡した」
知ってる。
聞きたくはないけどな。
「世界が巻き戻るたび、その肉体も魂も再構築された。記憶は失われ、同じ人物として同じ人生を繰り返した」
カイルの表情が険しくなる。
「それが、ゲームの周回……?」
「お前たちはそう呼ぶらしいな」
お前たち。
その言い方が引っかかった。
男は続ける。
「だが、第七世界の再構築時に異常が起きた」
ぞくり。
背中に冷たいものが走った。
視界の端で、何かが瞬く。
《警告》
《深淵接続率:13.4%》
「本来、この世界に再配置されるはずだった魂が弾かれた」
男が俺を見る。
「代わりに、別の魂が入った」
俺は何も言えなかった。
それが。
俺だ。
前世の記憶を持ったまま、この世界で目覚めた俺。
ゲームの悪役。
レオン・アルヴェインとして。
「待てよ」
カイルが口を挟む。
「じゃあ、お前は何なんだ。本来この身体に入るはずだった魂なのか?」
男はカイルを見た。
「近い」
近い?
「魂単体ではない。六つの世界で廃棄されたレオン・アルヴェインの残存情報。それが境界の外側で蓄積し、自我を形成した」
俺の頭の中で、言葉が繋がっていく。
地下墓地。
黒い祭壇。
《同一肉体情報を持つ個体:現在数2》
《正規個体:生存》
「……つまり」
俺は言った。
「お前は六人分のレオンってことか?」
「少し違う」
「細けえな!」
こんな時なのに、思わず叫んでしまった。
男は表情一つ変えない。
カイルが横で微妙な顔をしている。
リリアは剣を構えたままだけど、ちょっとだけ肩が震えていた。
笑ってねえだろうな。
「要するに」
男が続けた。
「俺は、この世界がレオン・アルヴェインとして認識している正規情報だ」
「……だから正規個体?」
「そうだ」
俺は自分の胸に手を当てる。
「じゃあ俺は?」
質問した瞬間。
世界が止まったように感じた。
聞きたくない。
だけど。
聞かなきゃいけない。
男は迷わなかった。
「異物だ」
胸の奥が。
ほんの少しだけ痛んだ。
分かっていたはずなのに。
転生者なんだから当然だ。
俺は元々、この世界の人間じゃない。
レオン・アルヴェインでもない。
それでも。
この身体で目覚めて。
アルバートと話して。
リリアと戦って。
エリシアに兄と呼ばれて。
ここまで生きてきた。
それを。
たった二文字で片付けられるのは。
気に食わなかった。
「……そうかよ」
俺は剣を抜く。
リリアがこちらを見る。
「レオン?」
「大丈夫」
正規個体が俺の剣を見る。
「何の真似だ」
「確認だよ」
「何を?」
「俺を殺しに来たんだろ?」
男は黙った。
否定しない。
だったら答えは十分だ。
俺は剣を構える。
「悪いけど、この身体を返せって言われても無理だからな」
「返せとは言わない」
予想外の言葉だった。
「……は?」
「俺には、もう肉体がある」
男は自分の胸に触れる。
確かにそうだ。
俺と同じ姿で、ここに立っている。
じゃあ。
「何しに来た?」
男の目が細くなる。
「お前を見に来た」
「それだけ?」
「そして判断する」
嫌な言い方だ。
「何をだよ」
男は剣を持ち上げた。
その瞬間。
庭全体に、黒い霧のようなものが広がった。
「レオン!」
リリアの蒼炎が一気に燃え上がる。
カイルも剣を構え直した。
だが。
男は二人を見ていない。
俺だけだ。
《特殊イベントが更新されました》
目の前に文字が浮かぶ。
《特殊イベント:正規個体との接触》
《フェーズⅡへ移行》
《正規個体による適合試験を開始します》
《勝利条件:生存》
……待て。
討伐じゃない。
撃破でもない。
生存?
嫌な予感がした。
《推奨レベルを算出中……》
《ERROR》
《推奨レベルを算出できません》
《対象個体の戦闘能力が現在の世界基準を超過しています》
「おいおい……」
カイルにも見えているらしい。
顔が引きつっていた。
「これ、俺たちも戦うのか?」
「いや」
正規個体が答えた。
そして剣先を俺へ向ける。
「お前だけだ」
リリアがすぐに前へ出た。
「断ります」
「リリア」
「あなたが何者でも関係ありません。レオンを殺すというのであれば、私が――」
「下がれ」
正規個体の声が響いた瞬間。
空気が震えた。
リリアの身体が横へ吹き飛ばされる。
「リリア!」
俺は反射的に駆け寄ろうとした。
だが、その首筋に冷たい感触。
剣。
いつの間に移動した?
正規個体の剣先が、俺の喉元へ触れていた。
「他人を見るな」
低い声だった。
「今から死ぬのは、お前だ」
ぶちっ。
何かが切れた。
怖さじゃない。
迷いでもない。
単純に。
腹が立った。
「……訂正しろ」
「何?」
「今の」
俺は剣を握り直す。
「リリアを吹っ飛ばしといて、次は俺が死ぬ?」
正規個体の剣を自分の剣で弾く。
火花が散った。
「勝手に決めんな」
一歩。
前へ出る。
「俺は死なない」
もう一歩。
「半年後も」
さらに。
「この先もだ」
正規個体が初めて、ほんの少しだけ目を見開いた。
俺は笑う。
この世界に来てから。
何度も予定が狂った。
ゲームにない妹がいた。
起こるはずのイベントが早まった。
存在しない敵が出た。
死ぬはずの奴が生きて。
生きるはずの奴が狙われた。
だったら。
もう。
今さら一個くらい増えたところで同じだ。
「正規だか偽物だか知らねえけどな」
剣を構える。
「ここまで俺が生きてきた時間まで、お前のものになった覚えはねえよ」
沈黙。
数秒。
そして。
正規個体が。
初めて笑った。
本当にわずかだった。
でも確かに。
俺と同じ顔で。
楽しそうに。
「そうか」
黒い霧が、一気に男の剣へ吸い込まれていく。
《警告》
《正規個体の制限機構が解除されました》
《出力:10%》
……十?
今。
十って出た?
「なら」
正規個体が剣を構える。
「証明してみろ」
地面が消えた。
正確には。
俺の視界から。
庭そのものが吹き飛んだ。
轟音。
衝撃。
身体が宙を舞う。
何が起きたのか理解するより先に、《深淵解析》が無数の警告を吐き出した。
《致死攻撃を検出》
《回避不能》
《緊急処理――》
《深淵接続を強制開始》
《接続率:13.4%》
《17.9%》
《24.6%》
《31.2%》
「は?」
黒い光が。
俺の身体から噴き出した。
正規個体の目が見開かれる。
そして。
俺の耳元で。
聞いたことのない声がした。
《条件を満たしました》
《封印技能の一部を解放します》
《固有技能――》
《境界簒奪》
世界が。
黒く反転した。




