告白
それから男は、花屋へ通い続けた。
三日に一度。
時には二日。
理由のない来店を不自然に思われぬよう、花を買う。
部屋には、名も知らなかった花々が増えていった。
白いリシアンサス。
青いデルフィニウム。
薄紅のスイートピー。
どれも静かに咲き、静かに枯れた。
まるで、自分の部屋だけが別の季節に取り残されているようだった。
そして、そのたびに背中の影は濃くなる。
昼に彼女と話し、
夜に誰かを殺す。
その繰り返し。
いつしか男は、自分がどちらの世界に属しているのかわからなくなっていた。
「今日は、閉店まであと少しなんです」
ある夜、彼女が言った。
店の外では春先の雨が静かに降っている。
他に客はいない。
男はいつものように花を選ぶふりをしていたが、その言葉に顔を上げた。
「よかったら、少しだけ待っていてください」
彼女は笑う。
「お茶くらいなら出せます」
断るべきだった。
これ以上、近づいてはいけない。
そうわかっていたのに、男は頷いていた。
店の奥の小さな休憩スペース。
湯気の立つカップを挟んで、二人は向かい合う。
沈黙は不思議と苦ではなかった。
彼女がいるだけで、部屋の空気が柔らかくなる。
「あなたって」
ふいに彼女が口を開く。
「ずっと、何かに怯えてるみたい」
男の肩が強張った。
「……そう見えるか」
「うん」
彼女はまっすぐ彼を見た。
逃げ場を与えない、静かな眼差しだった。
「何かを隠してる」
男は視線を伏せた。
カップの中で、紅茶がわずかに揺れている。
もう限界だった。
彼女の前でだけ、自分がどんどん脆くなる。
このまま嘘を重ねれば、いずれ彼女の声さえ汚してしまう気がした。
長い沈黙のあと。
男は低く言った。
「……俺は、人を殺してる」
雨音だけが響く。
彼女は何も言わない。
男は続けた。
「仕事で、何人も」
喉が焼ける。
「女も、子どもも、関係ない」
吐き出すたび、肺の奥に黒い泥が溢れるようだった。
「お前に会う前は、何も感じなかった」
震える指を握りしめる。
「でも今は違う」
ようやく顔を上げる。
彼女は、静かにこちらを見つめていた。
怯えも、嫌悪もない。
ただ、どこか痛ましげに。
「……知ってた」
男の呼吸が止まる。
「え」
彼女は視線を落とし、小さく微笑んだ。
「最初からじゃない。でも、途中で気づいたの」
「どうして」
「あなたの手」
そう言って、彼女はそっと彼の右手に触れる。
あの日と同じ、冷たい指先。
「花を触る人の手じゃないってこともあるけど……それに、いつもあなたから、血の匂いがしてた」
男は言葉を失った。
彼女はすべて知っていた。
それでもこうして、目の前にいる。
拒絶せず。
逃げもせず。
「……怖くないのか」
絞り出した声に、彼女は少しだけ考えるように目を伏せた。
それから、やわらかく首を振る。
「怖いよ」
その正直さが、胸を刺した。
「でも」
彼女は彼の手を包むように握った。
「それでも、あなたが好きです」
世界が止まった気がした。
救われた、と思った。
赦されたのだと。
これまで奪ってきた無数の命の、そのすべてを帳消しにするほどの光が、いま自分に差し込んだのだと。
男は知らなかった。
彼女の瞳の底で、鳴らない鈴が静かに揺れていたことを。
帰り際。
彼女は店先で一鉢の鈴蘭を差し出した。
「これ、持っていって」
白い小さな花が、雨に濡れて俯いている。
「どうして」
彼が問うと、彼女は微笑んだ。
その微笑みは、どこまでも優しかった。
「あなたには、これが似合うから」
男はそれを受け取った。
その意味を知らないまま。




