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鈴蘭の鳴らない庭  作者: 志に異議アリ


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2/4

毒花


雨は止んでいた。


街は洗われたみたいに静かで、アスファルトの隙間に残った水たまりだけが、鈍い空を映している。


男は花屋の前で立ち止まった。

ガラス越しに見える白い指先が、ひとつひとつ丁寧に花弁を整えている。


あの日から、もう四度目だった。


花を買う習慣なんてない。

部屋に飾る趣味もない。

切り花は、血より早く枯れる。


そんなことを知っている男が、なぜここへ足を運ぶのか、自分でもうまく説明できなかった。


ただ、彼女のいる店の前を通り過ぎるたび、胸の奥で何かが微かに軋むのだ。


それは銃を構えるときの緊張とは違う。

もっと柔らかく、もっと厄介な痛みだった。


扉を押す。

小さなベルが鳴る。


「いらっしゃいませ」

彼女が顔を上げた。


その声を聞くだけで、背中にまとわりつく黒い影が一瞬だけ輪郭を失う。


「今日は何を?」

男は店内を見回した。

色とりどりの花が並ぶ中、目に留まったのは、隅の棚に置かれた小さな白い花だった。

俯くように咲く、鈴のかたち。


「それを」

彼が指した先を見て、彼女が少し笑う。


「鈴蘭ですね」

白い指先が、そっと鉢を持ち上げた。

「可愛いでしょう」

そう言ってから、彼女はいたずらっぽく目を細める。


「でも、毒があるんですよ」

その言葉に、男の指先が止まった。


毒。

それは彼にとって、あまりにも馴染み深い響きだった。

誰にも気づかれず、静かに命を奪うもの。


苦しみすら与えず、ただ確実に終わらせるもの。

何も知らないような顔で、彼女は花弁を撫でている。


「綺麗なものほど、こわいのかもしれませんね」

彼女はそう呟いてから、

隣の鉢をそっと持ち上げた。


「こちらはトルコギキョウ。リシアンサスとも呼ばれるんです」

彼女の説明を、上の空で聞きながら、男は何も言えずその花を選ぶ。


彼女の言葉が、胸のどこか深い場所へ細い針のように沈んでいく。


会計を済ませ、鉢を受け取る。

そのとき、不意に彼女の指が彼の手に触れた。


ひやり、と。

わずかな接触。


なのに、それだけで全身が強張る。

彼女は目を瞬かせたあと、小さく首を傾げた。


「……冷たいですね」

男は咄嗟に手を引いた。

「悪い」

「ううん」

彼女は微笑んだ。


責めるでもなく、探るでもなく。


ただ静かに彼を見つめる。

その眼差しに、男は妙な居心地の悪さを覚えた。

見透かされている気がした。

何も知らないはずなのに。


いや——

何かを、勘づいているのかもしれない。


「また来てくれますか」

帰り際、彼女が言った。

男は振り返る。


「次は、あなたに似合う花を選びます」

その言葉が、心臓の奥へ沈んでいった。

まるで抜けない弾丸みたいに。


―――

その夜。

男は標的の部屋にいた。

暗い寝室。

規則正しい寝息。

額へ向けた銃口。

いつもなら、何も感じない。

引き金を引けば終わる。

それだけだ。


だが今夜、指が動かなかった。

脳裏に浮かんだのは、

白い花ではなく、

白い指先だった。


——綺麗なものほど、こわいのかもしれませんね。


乾いた喉が、小さく鳴る。

男は初めて、引き金の重さを知った。


背中の黒い影が、またひとつ増える。


それなのに。

彼女の前に立つときだけは、それを隠し通したいと思った。


何人殺しても覚えなかった痛みが、胸の奥で静かに育っていた。



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