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鈴蘭の鳴らない庭  作者: 志に異議アリ


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黒い何か


人を殺すことは、ずっと昔に日常になった。


最初の一人は、よく覚えている。


引き金にかけた指が震え、狙いがぶれた。

銃声が耳の奥に張りつき、その夜は眠れなかった。

夢のなかで何度も、血を流した男がこちらを見ていた。


けれど、人間はよくできている。


二人目で震えは薄れ、

五人目で吐き気は消え、

十人を越えたころには、仕事のあとの食事が喉を通るようになった。


慣れは、優秀な麻酔だ。


それから先は早かった。


名前を覚えることはやめた。

顔も、声も、できるだけ見ないようにした。

依頼書に記された情報はただの記号で、

標的は生きた人間ではなく、片づけるべき工程になった。


男も殺した。

女も殺した。

子どもも。


泣き叫ぶ母親の腕から幼い体を引き剥がしたこともある。

怯えた目でこちらを見上げる小さな顔に、ためらいを覚えなかった。


それが仕事だった。


ただそれだけのことだ。


夜が明ければコーヒーを淹れ、

新聞を読み、

淡々と次の依頼を確認する。


血の匂いはシャワーで落ちる。

爪の隙間に入り込んだ黒ずみも、時間をかければ消える。


人を殺すことは、歯を磨くのと同じくらい自然な習慣になっていた。


だから、あの日も何も変わらないはずだった。


仕事を終えた帰り道、ひどい雨が降っていた。


路地を抜けた先に、小さな花屋があった。

軒先に並んだ鉢植えが、雨粒に打たれてうつむいていた。


その店先で、彼女はひとり、倒れた鉢を起こしていた。


白い指先が泥に汚れるのも構わず、

折れかけた茎をそっと支え、土を整えている。


その姿が妙に目に焼きついた。


ただ、それだけだった。


美しいと思ったわけじゃない。

運命めいたものを感じたわけでもない。


なのに、通り過ぎたあとで振り返ってしまった。


彼女は俯いたまま、

まるで傷ついたものを慰めるみたいな手つきで花に触れていた。


その瞬間、背中にひとつ、黒い影が貼りついた気がした。


その日からだった。


彼女の店の前を通るようになったのは。


花を買う趣味などなかった。

花の名前もろくに知らなかった。


それでも足が向く。


店先で彼女が笑えば、それだけで胸の奥が微かに軋んだ。


そして会うたび、背中の影は増えていった。


最初は小さな染みのようだったそれが、

いつしか肩を覆い、腕を這い、首筋まで忍び寄る。


初めてだった。


知られたくない、と思ったのは。


どれだけ返り血を浴びても、

どれだけ幼い命をこの手で絶っても、

隠そうと思ったことなどなかった。


けれど彼女にだけは、知られたくなかった。


あの白い指先が、

土ではなく血に触れたみたいな顔をするところを見たくなかった。


だから彼は、彼女の前では笑う練習をした。


血の匂いを消す香水を買った。


爪の先まで丁寧に洗い、

声の温度さえ整えて店の扉を開けた。


嘘をつくためではない。


たったひとりの女に、

本当の自分を見せないために。



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