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鈴蘭の鳴らない庭  作者: 志に異議アリ


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最終話 まだ聞けてない


それから男は、人を殺せなくなった。


標的の名を受け取る。

時間を確認する。

いつものように銃を組み立て、いつものように現場へ向かう。


だが、

引き金に指をかけた瞬間、

白い花が脳裏をよぎる。


俯いて咲く、小さな鈴。


そして、その奥にある彼女の眼差し。


——それでも、あなたが好きです。


その言葉が、銃より重く彼の手を沈めた。


何度も、何度も。

依頼は失敗しはじめた。

組織は理由を問わない。

ただ結果だけを求める。

男は知っていた。

終わりが近いことを。


それでも彼は、花屋へ通うのをやめなかった。


彼女もまた、何も言わなかった。


責めず、問わず、ただ以前と同じように微笑んで、花を包んだ。

その優しさが、男を少しずつ追い詰めていった。


もし彼女が泣いてくれたなら。

もし憎んでくれたなら。

もし軽蔑してくれたなら。

それを罰として受け取れた。

だが彼女は、赦すように微笑む。


そのたび、男は自分がどれほど醜いものを抱えて生きてきたかを思い知らされる。


彼女の優しさは刃だった。


音もなく肉を裂き、静かに骨まで届く。


やさしい処刑だった。



―――

春の終わり。


男は最後に花屋を訪れた。

午後の光がガラス越しに差し込み、店内を淡く白ませている。

彼女はすぐに気づいて、いつものように笑った。


「いらっしゃい」

その声が、どうしようもなく愛しかった。


男は店の中央で立ち尽くしたまま、しばらく何も言えなかった。


やがて、静かに口を開く。


「もう来られない」

彼女の睫毛が、かすかに揺れた。


けれど微笑みは崩れない。

「そう」

それだけだった。

責めることも、引き留めることもない。


男は笑った。

初めて彼女の前で見せる、

ひどく歪な笑みだった。


「……最後まで、優しいんだな」

彼女は少し黙ってから、店の奥へ向かった。

戻ってきたその手には、小さな鉢植えがあった。

鈴蘭。


白く、小さく、うつむく花。

「持っていって」

男は受け取る。

彼女の指先が触れる。

あの日より、少しだけあたたかかった。


「ねえ」

彼女が言った。

「鈴蘭の花言葉、知ってる?」

男は首を振る。

彼女はやわらかく笑う。


「幸福の再来」

そして、ほんのわずかに目を伏せた。


「……また、どこかで」

それが別れだった。


―――

その夜。

男は誰もいない部屋で、机の上に鈴蘭を置いた。


窓の外では、雨が降っている。

遠い日の、あの雨と同じ音。

机に便箋を広げ、短い言葉を書いた。


——君だけは、白いままでいて。


銃を手に取る。

不思議と恐怖はなかった。


ただ、ようやく終われるのだと思った。


彼女の優しさが、最後に与えた赦しだった。


銃口をこめかみに当てる。

視界の端で、鈴蘭が揺れた。

けれど最後まで、その鈴が鳴ることはなかった。


乾いた銃声が、静かな部屋にひとつだけ響いた。


―――

数日後。

彼女は庭に立っていた。

店の裏、小さな花壇。

そこには毎年、鈴蘭が咲く。

白く、小さく、俯いたまま。

風が吹く。

花は揺れる。

けれど、音はしない。

彼女はそっとしゃがみこみ、

一輪に指先で触れた。


あの日、彼が最後に見せた笑みを思い出す。


泣かなかった。

泣く資格など、自分にはないと思った。

ここで涙を落とせば、彼が背負ってきたものまで、水に溶けてしまう気がしたから



静かな庭で、彼女は目を閉じる。

そして小さく呟いた。

「さようなら」


春になれば、庭の隅に鈴蘭が咲く。

白く、小さく、うつむいたまま。


あの花はまだ。



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