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エルフの森の歯磨き事情  作者: 藤紫


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第25話「甘い匂いの接着剤」

予約投稿ミスってました。

 翌朝、採ってきた産毛と枝、それから、元の世界から持ってきた道具を、家の作業台に並べた。ニッパー、バルサ材の切れ端、使わずに残っていた塗料の瓶。


 枝は、思ったより硬い。でも、ニッパーの刃を当てると、少しずつ、形が整っていく。木目が、まっすぐ通っている。


「いい木だ」


 独り言が、口から漏れた。


 先端を細く削り、握りやすいように、持ち手の方は少し太く残す。元の世界で見た歯ブラシの形を思い出しながら、何度も、持ってみては削り直した。


「明、器用だね」


 リシェルが、横から覗き込んでいた。


「元の世界で、プラモデルとか、電子工作とか、よくやってたんだ。手を動かしてる方が、落ち着く」


 形が整ったところで、先端に穴を開けたかったが、手持ちの道具では難しかった。ニッパーは、切ることはできても、穴を開けるようにはできていない。


「……何か、尖った道具、持ってないか? 革とか、布に穴を開けるような」

「裁縫道具なら、うちにあるよ」


 リシェルが、家から持ち出してきたのは、骨でできた、先の細い錐のような道具だった。


「これでいい?」

「ちょうどいい」


 借りた錐で、先端に、小さな穴をいくつも開けていく。慣れない作業で、指先に何度も力が入りすぎて、刃先が滑りかけた。


 穴が開くと、リシェルが、産毛を長さごとに指先で揃えてくれた。細かい束に分けていく手つきは、俺よりずっと丁寧だった。


 あとは、この束を穴に差し込めば、形としては完成のはずだった。ところが、一つの穴に押し込んでも、すぐに、ぽろりと抜け落ちる。


「……駄目か」


 何度か試したが、結果は同じだった。産毛同士が、穴の中でまとまってくれない。接着剤のようなものが、どうしても必要だった。


 視界の端に、塗料の小瓶が映る。水性塗料は、乾けば膜になる。毛の根元を固めるくらいは、できるかもしれない。


 手を伸ばしかけて、止めた。


 口に入れるものに、これは塗れない。それに、この歯ブラシは、エルフの森で、エルフのために作るものだ。そこに、俺の持ち込んだものを混ぜる必要は、どこにもない。


 俺は、小瓶を、道具箱の奥にしまい込んだ。


 リシェルが、ふと顔を上げた。


「おばあちゃんに、聞いてみようか」

「おばあちゃん?」

「ミオルの、おばあちゃん。薬草のことなら、何でも知ってるの」


 ミオルのおばあちゃんの家は、集落の外れにあった。薬草を干す匂いが、家の外まで漂っている。戸口から顔を出したのは、広場で最初に朝の小枝を使ってくれた、あの年配の女性だった。


「おや、リシェルと、人間の子じゃないか」


 おばあちゃんは、俺たちの手元にある、穴の開いた枝と、産毛の束を見て、少し目を細めた。


「それで、何を作ろうとしてるんだい」

「歯ブラシっていう道具を……でも、毛がうまく固定できなくて」

「ふぅん」


 おばあちゃんは、しばらく枝を眺めていたが、やがて、棚の奥から小さな壺を取り出した。


「これを使うといい。樹液を煮詰めたもんだよ。昔から、割れた器を直したり、道具をくっつけたりするのに使う」

「樹液……」

「煮詰めると、ねばねばして、固まると、頑丈になる。エルフの暮らしじゃ、昔からある知恵さ」


 壺の蓋を開けると、中には、琥珀色の、どろりとした液体が入っていた。


「ちょうどいい、今から煮直すところだったんだ。見てるといい」


 鍋に、樹液を移し、火にかける。しばらくすると、甘い匂いが、家の中に満ちていった。蜂蜜のような、でも、もっと深みのある、焦げたような甘さだった。


「いい匂い……」


 匂いにつられたのか、奥の部屋から小さな影が飛び出してきた。


「明のお兄ちゃん! ちゃんと帰ってきたの! ミオ、ちゃんと待ってたよ!」

「……ああ。約束したからな」


 ミオルは、満足そうに頷くと、鼻をひくひくさせながら、鍋の周りをうろうろし始めた。


「ミオル、危ないから離れてな」

「はーい!」


 樹液が、とろりと煮詰まっていく。おばあちゃんが、木べらでかき混ぜながら、頃合いを見計らっている。


「もうすぐだよ」


 甘い匂いが、一段と濃くなった。ミオルが、鍋に顔を近づけすぎて、湯気で頬が赤くなっている。


「わぁ! おいしそうなの! すっごくいい匂いなの!」

「これは食べ物じゃないよ、ミオル」

「ええ〜!? もったいないの!」


 ミオルが、唇を尖らせた。


「これは、物をくっつけるためのものだからね。匂いは甘いが、味は甘くも何ともないんだから」

「そうなの……?」

「わかったかい、いい子だ」


 ミオルは、まだ少し未練のある顔をしていたが、こくんと頷いた。


 樹液は、やがて、粘度の高い、飴のような状態になった。おばあちゃんが、それを小さな器に移し、俺に差し出す。


「これを、穴に塗って、産毛を差し込みな。冷めると、しっかり固まる」


 ——産毛。


 俺は、言葉に詰まった。「毛」としか言っていないのに、おばあちゃんは、迷いなくそう言った。


 隣で、リシェルが小さく息を呑む気配がした。


 おばあちゃんは、何でもない顔で、器を差し出している。何も、聞いてこない。


 ……知ってて、黙っていてくれるのか。


 俺は、何も言えないまま、器を受け取った。


「ありがとうございます」


 受け取った樹液を、筆代わりの細い枝の先につけ、穴の内側に塗っていった。甘い匂いが、鼻先をくすぐる。リシェルが揃えた産毛の束を、一本、また一本と、丁寧に差し込んでいく。


 全ての穴を埋め終えた頃には、すっかり日が傾いていた。


「あとは、一晩置いて、乾かせばいい」


 おばあちゃんが、そう言って、完成間近の歯ブラシを、棚の上に置いた。鍋は、冷ますために、戸口の脇に出された。まだ少し、樹液が残っている。


「今日は、もう遅い。続きは、明日にしよう」

「はい。ありがとうございました」


 俺とリシェルは、おばあちゃんの家を後にした。ミオルが、戸口まで見送りに来て、小さく手を振った。


「また明日ね! 明のお兄ちゃん!」


 歩き出して、ふと振り返ると、ミオルが、戸口の脇の鍋に残った樹液の欠片に、そっと手を伸ばしていた。

 

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