第22話「傷つけたくなかった」
しばらく、どちらも何も言わなかった。
窓の外で、風がまた木々を揺らした。リシェルは、小枝を両手で包んだまま、俺を見ていた。何かを待っているような目だった。
俺は、息を吸った。
「……さっき、分からないって言っただろ。月と花の模様のこと」
リシェルが、小さく頷いた。
「ずっと考えてたんだ。でも、やっぱり分からない」
「……うん」
「ただ、これだけは……」
言いかけて、口を閉じた。何を言おうとしていたんだろう。俺は小枝を見た。柄の半分以上を埋め尽くす、小さな花。最初は、一つだけだった。渡そうと思った。でも、渡せなかった。それを何度も繰り返しているうちに、花だけが増えていった。
「……それは、リシェルのために彫ったんだ」
「うん」
「ミオルや、ほかのみんなに渡したものとは違う。あれは、みんなに使ってもらいたくて作った。でも、これは……最初から、リシェルに渡したかった」
言ってしまうと、胸の奥が落ち着かなくなった。リシェルは何も言わない。俺は、その沈黙に耐えきれず、また口を開いた。
「最初は、傷つけたくなかったんだ」
「……私を?」
「うん。息のことを言ったら、気にするんじゃないかって。……綺麗な子だったから、余計に」
リシェルの指が、小枝をそっと握り直した。
「だから、どうにかできないかと思った。それで、小枝を作って……」
そこまで言って、止まった。違う。それだけじゃない。小枝を作ったときは、確かにそうだった。でも、リシェルに渡そうとするたび、別のことが頭をよぎるようになった。渡したら、何を思われるだろう。息のことを気にしていたと、知られてしまう。それだけなら、まだいい。本当に怖かったのは、その先だった。
「……いつからか、分からないけど」
言葉を探した。
「渡すのが、怖くなった」
リシェルは、黙って聞いていた。
「みんなには渡せたんだ。ミオルにも、ほかのみんなにも。なのに、リシェルにだけは……」
喉が詰まった。
「……渡せなかった」
「どうして?」
リシェルの声は静かだった。俺は答えようとして、口を開いた。でも、言葉が出てこなかった。どうして。そんなこと、ずっと分かっていたはずなのに。
「……渡したら」
ようやく、それだけ言えた。
「渡したら、俺が……」
そこで、また止まった。リシェルが、じっと俺を見ている。息を吸う。拳を、強く握った。
もう、逃げられない。いや――本当は、ずっと逃げたくなかったのかもしれない。
「……俺が、リシェルを好きだって、分かっちゃうから」
言った瞬間、顔が熱くなった。リシェルは何も言わなかった。俺は、うつむいた。
「そうなったら、今までみたいには……いられない気がして」
声が、自分でも情けないくらい小さくなった。
「……怖かったんだ」
何が怖かったのか。嫌われることか。気まずくなることか。今までのように話せなくなることか。全部、本当だった。
「最初は、傷つけたくなかっただけなんだ。……本当に」
言いながら、指先を握り込んだ。
「でも……」
その先が、出てこない。傷つけたくない。その気持ちは、今もある。だけど、それだけじゃない。それだけじゃ、なくなってしまった。
「……嫌われたく、なかった」
ようやく出てきた言葉は、それだった。リシェルの目が、わずかに揺れた。
「今のままでいたかったんだと思う。リシェルと話して、一緒にいて……それが、なくなるのが嫌だった」
そこまで言って、俺は顔を上げた。もう、これ以上は言葉にできそうになかった。だから、最後の言葉だけは、ちゃんと伝えようと思った。
「……好きだ」
声は、思ったより小さかった。それでも、聞こえたはずだ。
「リシェルが、好きだ」
言ってしまった。
部屋の中が、しんと静かになった。窓の外では、風が木々を揺らしている。
リシェルは、しばらく何も言わなかった。やがて、小さく息を吸った。
「……嫌われたのかと思った」
その声は、震えていた。
「私が、変なことを聞いたから。明に、嫌な思いをさせたんだって……ずっと、そう思ってた」
「ごめん」
「ううん」
リシェルは、首を振った。
「……ありがとう。言ってくれて」
小枝を、胸に抱いた。その手は、もう震えていなかった。
俺は、何か言おうとした。でも、何を言えばいいのか分からなかった。
リシェルが、顔を上げた。そして、一歩、俺に近づいた。




