↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
エルフの森の歯磨き事情  作者: 藤紫


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
13/35

第13話「言えない理由」

 広場から戻る道の途中、リシェルは何度も手の中の小枝を見ていた。月と花が彫られたものではない。今朝、俺が渡したのは、ただの小枝だ。広場で他のエルフたちが使っていたものと、何も変わらない。それでも、リシェルは大事そうに握っていた。


「……明」

「ん?」


 隣を歩いていたリシェルが、足を止めた。俺も立ち止まる。


「さっきのことなんだけど」

「うん」

「一つ、聞いてもいい?」


 リシェルは、小枝を見つめたまま言った。


「どうして私には、これをくれなかったの?」


 胸の奥が、どくん、と鳴った。やっぱり、その話になるのか。


「……どうしてって」

「一昨日、ミオルが使って、昨日から、広場のみんなが使っていたでしょう?」

「そうだな」

「だから、私も欲しかった」


 責めるような声ではなかった。ただ、不思議そうだった。


「でも、明は……最初から持っていたんでしょう? 今朝、二本持っていたよね」


 見られていた。俺は、胸に手をやった。そこには、まだ一本残っている。月と花を彫った小枝。ずっと渡すつもりで持ち歩いていたものだ。


「……気づいてたのか」

「うん」


 リシェルは少し笑った。


「明、隠すのがあまり上手じゃないから」


 柔らかい笑い声だった。だからこそ、余計に苦しかった。

 渡せなかった理由なら、いくらでも考えられる。一昨日、セグレイスさんに止められたばかりだったから。今はまだ、みんなが使い始めたばかりだから。精霊との関係も、何も分かっていないから。どれも嘘ではない。でも、本当でもなかった。


「……別に、意味はないよ」

「意味がないなら、どうしてくれなかったの?」

「それは……」


 言葉が止まった。リシェルがこちらを見る。銀色の瞳が、まっすぐ俺を見ていた。逃げるように視線を逸らす。川面が見えた。朝の光を受けて、きらきらと揺れている。その向こうを、さっきの小さな緑色の光が飛んでいた。

 精霊。昨日までなら、俺には見えなかったもの。それが今は、リシェルのそばにも来ている。俺が小枝を渡したからなのか。それとも、別の理由なのか。まだ分からない。だからこそ、渡したことを喜んでいいのかさえ、分からなかった。


「……怖かったんだ」


 気づいたら、そんな言葉が出ていた。


「怖い?」

「うん」


 リシェルが首を傾げる。


「何が?」


 俺は答えられなかった。怖かったのは、精霊じゃない。小枝でもない。リシェルが変わってしまうことだった。昨日まで、俺の隣で笑っていた彼女。俺のくだらない話にも笑ってくれる彼女に、俺の世界のものを押しつけて、それで何かが変わってしまったら——そう考えると、手渡すことができなかった。


 だけど、それだけじゃない。好きだからこそ、特別なものとして渡したかった。広場で誰にでも渡しているものじゃなく、俺が彼女のために作ったものとして。でも、そんなことを言えるはずがなかった。


「……明?」

「ごめん」


 それしか言えなかった。


「何が?」

「……分からない」


 リシェルはしばらく黙っていた。やがて、小枝を胸の前で握り直す。


「じゃあ」

「ん?」

「これは、どうしてくれたの?」


 今度は答えなければならない。でも、やっぱり言葉が出てこない。


「……使ってほしかったから」

「私に?」

「うん」

「どうして?」


 俺は唇を開いた。けれど、声にならない。好きだから。その一言を言えば、それで済む。たったそれだけなのに、言えなかった。言ってしまえば、今までの関係が変わってしまう。リシェルが俺を見る目も。俺がリシェルを見る目も。全部。

 胸の辺りを押さえる指先が、月と花を彫った一本の存在を感じていた。今なら、渡せる。目の前で、聞かれている。渡せない理由になっていたはずのものが、今はもう、渡さない言い訳にしかなっていない。分かっているのに、指が動かなかった。


「……明?」


 気づくと、リシェルが一歩近づいていた。俺は動けなかった。朝の風が吹く。銀色の髪が揺れ、その向こうから、あの匂いがわずかに届いた。まだ、消えていない。それでも——昨日より、ほんの少しだけ違う気がした。


「明」


 リシェルが、もう一歩近づく。俺の返事を待つように。何かを確かめるように。


「……どうして?」


 俺は、答えられなかった。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。