転校生と魔法のノート①
六年生の始業式。まだ新しい匂いが残る教室は、朝から異様な熱気に包まれていた。
「なあ、今日転校生来るらしいぞ!」
「都会からだって! やばくない?」
「男子? 女子? サッカーとかやってるイケメンだったりして!」
「モデルみたいに垢抜けた可愛い子だったらどうする!?」
田舎の小学校にとって、都会からの転校生というのは、いつだって退屈な日常を一瞬で塗り替えてくれる特大のイベントだった。私も転校してきた身だったけれど、都会という響きには、どこか遠い国の物語のようなキラキラした響きがある。
「どんな子だろうね、志穂ちゃん」
前の席から振り返った真衣ちゃんも、目を輝かせて頬を上気させていた。
「仲良くなれるといいな。女の子だったら、可愛い文房具とか、教えてもらいたいよね」
「うん、そうだね」
私もつられてそわそわしながら、空いている自分の左隣の席をチラリと見た。昨日の放課後、先生がわざわざ運んできた真新しい机だ。
キーンコーンカーンコーン――。
朝の会を告げるチャイムが鳴り響くと、教室中のざわめきがピタッと止まった。
ガラガラと前扉が開き、担任の先生が入ってくる。そのすぐ背後について入ってきた影に、四十人近くの視線が一斉に突き刺さった。
――けれど。
次の瞬間、教室に満ちていたワクワクとした空気は、まるで冷水をぶっかけられたようにサーッと引いていった。
「……あ」
誰かが小さく漏らした声が、静まり返った教室にやけに大きく響く。
入ってきた女の子は、みんなが思い描いていた「都会のキラキラした転校生」とは、百八十度かけ離れていた。
黒く重たい前髪は鼻の頭あたりまで無造作に伸びていて、表情どころか目元すらまったく見えない。サイズが合っていないのか、ヨレっとした紺色のカーディガンを羽織り、極端な猫背で首をすくめている。まるで教室中の視線から逃げようとする小動物のように、胸の前で真っ黒な表紙の大学ノートを両手でぎゅっと抱きしめていた。
「えー、今日からうちのクラスの仲間になる、西野七海さんです。みんな、仲良くしてあげてね」
先生がチョークで黒板に名前を書き、促すように七海さんの背中に手を添えた。
「じゃあ西野さん、みんなに一言どうぞ」
七海さんはビクッと肩を震わせ、さらに深く頭を下げた。
長い沈黙が流れる。教室の後ろのほうで、男子がヒソヒソと鼻で笑う気配がした。
「……っ……」
喉が張り付いているのか、かすかに息を吸い込む音だけが聞こえる。
そして、蚊の鳴くような、今にも消え入りそうな声がポツリと漏れた。
「……にしの、ななみです。……よろしく、おねがいします……」
「はい、よろしくね。席は――あそこだ。水野さんの隣ね」
先生が指さしたのは、私の隣の席だった。
七海さんは一度も顔を上げることなく、床の木目を数えるようにすり足で歩き、私の隣の席に滑り込んだ。
椅子を引く音すら立てない徹底した静けさに、私はどう声をかけていいのか分からず、ただ固まってしまった。
一時間目が始まると、さっきまでの期待は完全に失望へと裏返っていた。
「なんだよ、超暗いじゃん」
「都会って言っても、あんなやついるんだな」
「陰キャ丸出しって感じ」
休み時間になると、男子たちがヒソヒソと意地悪な軽口を叩き、女子たちも遠巻きにして誰も近づこうとしない。
私のすぐ隣で、七海さんは相変わらず前髪のカーテンの奥に顔を隠し、背中を丸めてじっとしていた。手元には、さっきから肌身離さず持っているあの真っ黒なノートがある。
(どうしよう……何か話しかけたほうがいいのかな)
前の学校から転校してきた時の、あの心細さと孤立感を思い出すと、どうしても放っておけなかった。私は意を決して、椅子を少しだけ寄せて声をかけた。
「……あの、西野さん」
ピクッ、と七海さんの肩が跳ねた。
ゆっくりと、こちらに顔が向けられる。けれど前髪の隙間から覗く目は、どこか怯えたように、そして同時に「入ってくるな」と拒絶するように尖っていた。
「……なに」
「あ、えっと……私、水野志穂です。わからないことがあったら、何でも聞いてね。ロッカーの使い方とか、図書室の場所とか……」
「……別に、いい」
吐き捨てるような、ボソリとした返事。
七海さんは机の上の黒いノートを自分の手元へ引き寄せ、腕の中に囲い込むようにして隠してしまった。
「……用がないなら、話しかけないで」
突き放すような冷たい声に、私は胸を突かれて言葉を失った。
「あ……ごめんね」と謝るのが精一杯で、居心地の悪さに視線をそらす。
前の席の真衣ちゃんが、心配そうに私を振り返って小さく首を横に振った。
(無理に話しかけないほうがいいよ)――真衣ちゃんの目がそう言っていた。
それからの一週間、七海さんは誰とも一言も話さなかった。
休み時間になっても席を立たず、授業が終われば誰よりも早く荷物をまとめて、逃げるように教室を出ていく。
ただひとつだけ、奇妙なことがあった。
休み時間、みんなが校庭へドッジボールをしに行ったり、廊下でおしゃべりしたりして教室がガランと静かになる時。
七海さんはあの真っ黒なノートを机の上に広げ、猛烈な勢いで鉛筆を走らせているのだ。
カリカリカリカリ……。
紙が擦れる鋭い音だけが、教室の隅に響いていた。
何を書いているのかは分からない。誰かが近くを通る気配がした瞬間、彼女は素早くノートを閉じ、両手で覆い隠してしまうからだ。
暗くて、無口で、誰にも心を開かない転校生。
彼女はいったい、あのノートの中に何を隠しているんだろう――。
遠巻きにその横顔を見つめながら、私の中に、言いようのない小さな好奇心が芽生え始めていた。




