魔女の恋薬と、三つの結婚③
母も双子も、おばあちゃんも寝静まった静かな居間。私はこたつに入って、ぼんやりと天井を見上げていた。昼間の草太くんとゆいちゃんの笑顔が、浮かんでは消え、胸の奥がきゅっと痛む。
ギ……ィ。
廊下の床が鳴り、襖がすっと開いた。
現れたのは、黒いワンピースにサンダルウッドの香りをまとった類おばさんだった。冷蔵庫へ向かおうとして、こたつから顔だけ出している私を見下ろすと、足を止めて片眉を上げた。
「……何、あんた。またそんな世の終わりみたいな顔して。何かあった?」
「……ううん」
私はこたつから身体を起こし、おばさんがお茶を注ぐ姿を見つめながら、昼間から胸につっかえていた問いを投げかけた。
「……ねえ、類おばさん。どうしておばさんは、結婚しないの?」
「ぶっ」
おばさんはお茶を吹き出しそうになり、珍しく目を丸くして咳き込んだ。
「……何いきなり」
おばさんはコップを持ってこたつの向かい側にどさりと座り、足を滑り込ませた。
「どうして結婚しないか、ねえ……。まあ、ご縁がなかったってのもあるし、そもそも『誰かとずっと一緒に暮らす』って向いてないんだよね。一人が気楽だし、仕事して本読んで、コタロウとゴロゴロしてる今の暮らしが一番性に合ってる」
「寂しくないの?」
「全然。……別に恋愛しなくたって生きていけるし、大人になったら絶対に結婚しなきゃいけないなんてルールも、この世界にはないんだよ。誰かの『幸せの形』を、無理して自分のものにしなくていいの。幸せの正解なんて、人の数だけあるんだから」
おばさんの言葉は、昼間のおばあちゃんやお母さんの話とはまた違う、ひんやりと心地よい風のように胸に染み込んでいく。
「……で? そんなこと聞いてくるってことは、あんた、好きな子がいるの?」
図星を突かれて、喉がキュッと詰まった。
おばさんの前では、どうして何も隠せないんだろう。私はぽろぽろと涙をこぼしながら、美化委員で優しくしてくれた草太くんのこと、別の可愛い女の子が好きだと知ってしまったこと、告白すらできずに終わった悔しさを全部吐き出した。
「……私なんて、地味だし、可愛くないし……敵うわけないのに、ちょっと期待しちゃって……バカみたい」
話し終えて俯く私に、おばさんはふっと息を吹きかけるように笑った。
「バカなもんか。そうやってさ、何にときめいて、何に傷つくのかを知っていくのが、『自分を知る』ってことなんだよ」
「自分を、知る……?」
「そう。私も昔は男の人と付き合ったりもしたよ。でもね、毎日同じ屋根の下で暮らしたら、きっと息が苦しくなっちゃうタイプなんだなって分かった。私にとっては、たまに会うくらいの距離感が一番心地よかったんだよね。そうやって自分の取扱い説明書を少しずつ作っていって、自分が本当に幸せになれる選択をしていく。人生なんてさ、それの連続だよ」
「……ねえ、おばさんは今、幸せなの?」
「すっごく幸せだよ。コタロウっていう彼氏もいるしね」
おばさんはあっけらかんと笑って見せた。
「あんたはあんたの取説を作って、あんたの幸せを見つけていけばいいんだよ」
おばさんは立ち上がり、棚から小さなノートを一冊取って私の前に置いた。無地の、革表紙のようなシンプルなノートだった。
「これ、あげる。……どんなところにときめいて、何に傷ついたのか、書いてごらん」
「……え、書くの?」
「そう。人は忘れちゃう生き物だからね。嬉しかったことも、傷ついて痛かったことも、その時自分がどんな気持ちだったかを言葉にして残しておくの。誰に見せるわけでもない、あんただけの記録」
おばさんは私の頭の上にポンと手を置き、ニヤリと魔女の笑みを浮かべた。
「書き留めておけば、いつかその痛みが自分を知るための宝物に変わるかもよ。……じゃ、私は戻るから」
おばさんは二階へ消えていった。
私はノートを胸に抱きしめ、二階の物置へと戻った。
机に向かい、前にもらった真鍮のペンをノックする。
『草太くんの、重いゴミ袋を軽々と持ってくれた背中にときめいたこと。
私の真面目さを「優しい」って言ってくれた笑顔が、すごく嬉しかったこと。
ゆいちゃんと並んで歩く姿を見て、胸の奥が張り裂けそうに痛かったこと――』
一文字ずつノートに書き留めていくうちに、あんなに苦しかった胸の奥の熱が、静かで温かい光に変わっていくのを感じていた。




