魔女の恋薬と、三つの結婚②
胸の奥の痛みが少しだけ引いた夕暮れ時。私は目をこすりながら一階へ降りていった。
居間には誰もおらず、縁側に柔らかい夕日が差し込んでいた。
そこでおばあちゃんが一人、座布団に座って針仕事をしている。メガネの奥の細い目をさらに細めて、蓮のズボンの膝にアップリケを縫い付けていた。
その穏やかな背中を見ていると、ふと疑問が湧いてきた。
大人はみんな、こんな風に誰かを好きになって、傷ついたり悩んだりしながら大人になったんだろうか。
「……おばあちゃん」
「おや、志穂ちゃん。帰ってたの」
おばあちゃんは手を止め、優しく微笑んで隣の座布団をポンポンと叩いた。私はそこに腰を下ろし、お茶をすすりながら思い切って尋ねてみた。
「ねえ、おばあちゃん。おばあちゃんって、どうしておじいちゃんと結婚したの?」
「おじいちゃんと?」
おばあちゃんは少し驚いたように目を丸くし、それから懐かしそうに目を細めた。
「昔だからねえ、お見合いだよ。親同士が決めて、写真一枚見せられてね。最初の頃は好きも嫌いもよく分からなかったよ。無口で、仏頂面でさ」
「そうだったんだ……」
「でもね、本当に根が優しくて頼もしい人だったよ。……そうそう、お母さんと類がまだ小さかった頃ね、子どものいない遠い親戚から『二人いるんだから、どちらかを養子にくれないか』って持ちかけられたことがあったの」
「えっ……!?」
「時代が時代だったからねえ、そういう話も珍しくなかったのさ。でもね、普段は物静かなおじいさんが、その親戚に向かって怒鳴りつけたんだよ。『うちの子は誰一人として絶対にやらん!』って、机を叩いて断固として守ってくれたの。あの時は本当に……かっこよかったわあ。うふふ」
おばあちゃんは少女のように頬を染めて、くすくすと笑った。
「……じゃあ、もしお母さんかおばさんのどっちかが養子に行ってたら、私、おばあちゃんやおばさんに会えなかったかもしれないの? もしかしたら、私自身も生まれてなかったってこと?」
「そうだねえ。そうかもしれないね」
胸がトクンと鳴った。
私は立ち上がり、居間の奥にある仏壇の前に正座した。写真の中の、頑固そうだけど目の奥が優しいおじいちゃんを見つめ、思わず両手をしっかりと合わせた。
「……おじいちゃん、守ってくれてありがとう」
命や家族の繋がりって、当たり前にあるものじゃないんだ。
そんなことを噛み締めながら台所へ行くと、母が夕飯のハンバーグをこねていた。
「お母さん」
「ん? 何、志穂。お腹空いたの?」
「ううん。あのさ……お母さんは、どうしてお父さんと結婚したの?」
ピタッと、母の手が止まった。
母はみるみるうちに首筋まで真っ赤になり、慌てて振り返った。
「な、何よ急に! 何でそんなこと聞くの!?」
「いいじゃん、教えてよ」
「……別に、普通の恋愛結婚よ! 大学の友達の紹介で知り合ったの!」
真っ赤な顔でそっぽを向く母の姿は、いつもの口うるさいお母さんとは違って、なんだかすごく可愛らしく見えた。けれど、母はハッとしたように目を細め、ニヤニヤしながらこちらを覗き込んできた。
「……ちょっと、志穂。何なのその質問。まさか、好きな子でもできたの?」
「えっ……」
「どんな子!? 同じクラス? ねえ、お母さんに教えなさいよ!」
ぐいぐい迫ってくる母に、昼間の失恋の痛みがチクリと蘇る。
「ち、違うもん!」
私は赤くなった顔を手で隠しながら台所を飛び出し、そのままタタタッと二階へ逃げ上がった。
階段を上がりきった薄暗い廊下の先。
いつもの扉の隙間から、ふわりとサンダルウッドの香りが漂っていた。




