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幸福なシンデレラ  作者: 桝克人


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第9話

 すっかり眠っているみくにを抱き上げた。こんなに重かったっけ?小さい体だと思っていたけれど、大きくなっているのだと実感した。少し前までは抱っこをよくせがんでいたみくには、最近しなくなった。わがままも減ったし、同時に口数も減ってる。原因は間違いなく自分にあると自覚しているだけに胸が軋んだ。起こさないようにゆっくり歩いて市ノ川に案内された部屋に入る。ベッドの奥側へ慎重に下し寝かせた。振動で少し顔を顰めたが、すぐに寝息を立てる。菜々子は端をそろえて折りたたまれた薄手の羽布団を広げてみくにの体を覆った。

 部屋の電気を消してからリビングに戻ってローテーブルに広げたみくにの落書き帖を閉じてその上に鉛筆を置いた。市ノ川から貰ったぬりえと色鉛筆も一緒に置いた。


 ——みくに、喜ぶだろうな。


 慌ただしい一日があと十分ほどで終わりを告げようとしている。あっという間につぎた一日だった。しかし朝起きたときには想像もしなかった一日だ。市ノ川に引っ張られるようにこの家にやってきて、知らない人の家の掃除をし、料理をして初対面の人にご飯を食べてもらう。知らない町で買い物にでかけもした。それぞれはどれも些細な事だったが、菜々子にとっては小さな冒険のようだった。今後のことを考えれば未だ不安は消えていない。それでも、もしかしたらなんとかなるかもしれないと、菜々子の胸には柔らかな光のようなものが灯る感覚が芽生えていた。

 リビングの片づけと、明日の朝ごはんの準備を整えて電気を消した。


 みくにが眠る部屋に戻り、静かにドアを閉める。緊張感を解くようにふーっと息を吐きだした。ズボンのポケットに入れていたスマホを取り出して、足元を照らしながらベッドに近づいた。スマホをベッドの頭付近に置いてからみくにの隣に横になった。


 他人の家で眠れるかと心配していたが、一日の疲れが菜々子の瞼を重くしている。明日何時に起きればいいんだっけ。そんなことを考えている間に眠りへと落ちた。

 カーテンを閉め忘れた窓から光が差し込んだ眩しさで菜々子は目を覚ました。みくにの朝ごはんを用意しなくてはと起き上がる。部屋の風景がいつもと違うと気づき、ここが家でないことを思い出した。小さく息を吐き、腕を天井にむけて伸びをすると、菜々子は慣れないベッドで眠ったことで体がこわばってしまい、首や腰の痛みを覚える。ベッドに置いたスマホを見ると時間は六時を示していた。菜々子はみくにを起こさないように、静かに扉を開けてリビングへと向かった。


 リビングに入ると菜々子はびくりと肩がはねた。廊下もリビングも、まだ明けきれていない夜の静けさ引き摺るような雰囲気だったのに、菜々子の視界には電気をつけずにリビングのソファーに座っている『先生』の姿があったのである。決して寝坊ではない時間だったが、もしかしたらもっと早く起きるべきだったのかと菜々子は青ざめた。


「お、おはようございます。遅くなりました」


 『先生』はゆっくりと顔をあげて、ぼんやりとした目で菜々子を視界に入れる。暫しの沈黙と首をかしげた。まさかと思い菜々子は口を開く。


「昨日からお世話になっています……橋倉です」


 『先生』は「ん?」と声を漏らして、菜々子から目線を外し空を見ている。思い出したのか、すぐに「ああ……」と頷いた。


「随分お早いですね。眠られていないんですか?」

「ううん……おなかがすいて」


 菜々子は面食らった。昨夜の別れ際に言った市ノ川の言葉が思い出される。


 ——たぶん明日の朝、朝食を食べに降りてくるんじゃないかな。


 冗談めいて話していたのでまさかと思っていた。昨夜の夕食のように、待ちぼうけになることを承知でいたし、降りてこない『先生』にそわそわすると思っていただけに、市ノ川が言ったように本当に降りて、そして待っているとは驚いた。要らぬ心配をしていた自分の不安もあっという間にひっくり返されてしまい、なんだと気が抜ける。


「あ、あの。昨夜の夕食でよろしければ、すぐにお出しできますが」

「あ、はい……お願いします」


 菜々子は台所へ行って冷蔵庫から冷ご飯と親子丼の具を取り出して電子レンジで温める。副菜にはほうれん草のお浸しをタッパーから小鉢に移す。どんぶりに温まったごはんをよそい、具をのせて、食卓を整えた。『先生』はのろのろとダイニングテーブルに移動して、昨日と同じ席に座り、箸を持ったまま手を合わせて「いただきます」と呟き食事を始めた。


 その間、菜々子はみくにと自分の朝ごはんのために冷ご飯と卵をワークトップに出した。卵焼きを作ろうと、鍋類がしまってある流し台の下の戸棚を開けて探していると、『先生』はがたりと音をたてて立ち上がった。菜々子はびっくりしてカウンター越しに『先生』の様子を確認する。


「どうかなさいましたか」

「泣き声……」


 そう言われて菜々子ははっとした。


「ちょっとすみません!」


 慌ててリビングを飛び出して部屋へと駆けた。部屋に戻るとベッドに座り込んで泣いているみくにと目が合った。


「ママあ……」


 小さな手を伸ばして抱っこを求め縋るみくにを、菜々子は自らも腕を伸ばしその小さな体を抱きしめる。


「ああ、ごめんね。びっくりしたよね」


 昨夜、寝ている間にリビングから運び出したことで、みくににとっては全く知らない部屋で目を覚ます状態になってしまい、見知らぬ部屋に取り残されたことが恐怖に繋がって泣いたと容易に想像がついた。


「大丈夫?」


 みくにが菜々子に抱きしめられながら泣いていると廊下から覗くように『先生』が立っていた。変わらず表情も声も固いが、心配してくれているのは伝わった。


「気づいてくださってありがとうございます」


 『先生』が気づかなかったら菜々子の耳には届いていなかった。しかし菜々子自身、実際に泣き声が聞こえたのはリビングのドアを開けてからのことだった。


(凄く耳がいいのかな)

 

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