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幸福なシンデレラ  作者: 桝克人


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第10話

「食事中にすみませんでした」


 菜々子はみくにを抱きあげたまま『先生』とリビングへ戻る途中に謝ると、『先生』は頭を振って「気にしないで」と淡々と応えた。『先生』はダイニングテーブルで食事を再開し、菜々子はリビングの方でソファーに腰かけてみくにを宥めながら背中をさすった。泣き声は徐々に小さくなっていくが、ひくひくとしゃくり声が残りその度に肩が跳ねた。


「ごちそうさまでした」


 『先生』は菜々子の元まできて挨拶をする。菜々子は慌てて立ち上がろうとしたら「ゆっくりなさい」と制止する。『先生』は泣き疲れて菜々子に体をすっかり預けているみくにの頬を指先で撫ぜた。それだけを伝えてリビングを出ていく。菜々子はその背中に「ありがとうございます」と頭を下げた。それまで大きく表情を変えなかった『先生』がみせた優し気な顔だった。


「ごはんにしよっか」


 みくには落ち着きを取り戻し、か細い声で返事をしたので床におろした。泣きはらした赤い目をごしごしとこすり、あくびをする。


「そうだ。昨日市ノ川さんからみくににプレゼント持ってきてくれたんだよ。市ノ川さん、わかる?昨日の……お兄さんだよ」


 ローテーブルに置いた塗り絵と色鉛筆を指さすと、泣き顔だったみくにはみるみるうちに色が変わった。頬を紅潮させてとびつくように塗り絵を手に取る。ページをめくってまだ色のないキャラクターに目を輝かせた。


「明日また来てくれるって言ってたから、お礼言おうね」

「うん」みくには塗り絵に釘付けのまま返事をした。


 市ノ川の粋なプレゼントのおかげで、昨日よりもみくには機嫌よく過ごしていた。「誰から塗ろうかな」なんて吟味して悩んだ結果、一ページ目から順番に塗ろうと決めていた。黙々と集中して取り組んでいる間に、菜々子は掃除をするために風呂場へ行く。脱衣所に入ると、幅の広い洗面台と大きな鏡が目を引いた。あとは縦型の洗濯機が設置されていたり収納棚があったりと、菜々子がこれまで見たことがある中では一番広い普通の脱衣所だ。ドラム式の洗濯機の上に洗濯籠が置いてあり、洗われていないと思われるタオルや衣類が入っていた。そして風呂場を覗いてみると特段汚れているわけではない。


 菜々子は先に溜まっている洗濯物を洗濯機に放り込んでから風呂の掃除に取り掛かった。

 市ノ川が言っていたようなゴミや洗っていない食器はたまっていたけれど、家自体は多少埃っぽさはあっても整理整頓された綺麗な家の印象だ。前の家政婦の仕事が丁寧で目が行き届いていたんだとわかる。


(優秀な家政婦さんだったんだろうな)


 自分も同じように賄えるのか不安が宿る。特にこんなに広い家は住んだことがない。他人の家の管理なんてできるのだろうか。

 三十分もすると洗濯機が仕上がったと音で知らせた。洗濯物をかごの中に取り出して、玄関に隣接している和室からベランダへと出た。昨日来たときも菜々子は広い庭だと思ったが、実際立ってみるとその広さを実感する。外の塀にそって低木や何かの樹木がいくつかあるくらいで、あとは小石と土が敷き詰められただけの閑散とした庭だ。小石の隙間から雑草が覗いている。そこにぽつんと置かれた二段に分かれた物干し竿に洗いたての洗濯ものの皺を伸ばしながら干していく。東の空から照らし出されて洗濯物に日差しが当たっていた。

 一通り干し終えてから、門扉の傍に設置された郵便箱を開けると、ちらしが数枚入っているだけで郵便物はなかった。


「あら?昨日の」


 駐車場を挟んだ道に見覚えのある人影があった。昨日行った肉屋の女性店員だった。


「あ、お、おはようございます」

 菜々子は驚いて声を詰まらせながら挨拶をすると、女性は門扉にやってきた。


「あなた先生のところの人だったのね。娘さん?」

「い、いいえ。昨日からお世話になっております。家政婦……です」

「家政婦さん?八千江さんはどうしたの」

「八千江さん……錦見さんのことですか。入院中で……」

「ええ?どうして?病気?」

「詳しくは聞いていないのですが……」

「あらそう……知らなかったわあ。それっていつ頃のお話し?」

「一週間前だと聞いております」

「そうだったの。道理でお店にも顔を出さないわけだわ」


 女性は突然の知らせに「あらまあ」とか「そうなのねえ」などと自分の気持ちを整理するように声に出している。


「それで、あなたが八千江さんの代わりを?」

「はい。まだ正式に決まったわけではないんですが」

「そう」

「『先生』や錦見さんとは親しいんですか?」

「うん?そうねえ……八千江さんとはご近所づきあいさせてもらってるわ。先生とはあまりお話しはしないけれど、昔からのよしみっていうか。色々とね……っとごめんなさい。そろそろ行かなくちゃ」


 女性は腕時計をみせて門扉を離れて行く。途中で振り返って「またお店に来て頂戴ね」とちゃっかり宣伝もして小走りで去って行った。菜々子はその慌ただしい背中に「どうも……」と遅い挨拶をした。

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