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幸福なシンデレラ  作者: 桝克人


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第4話

 茶粥をセットした炊飯器から炊き上がりまであと五分。なんだかんだと時間が経って、カウンターに置いてあった小さな置時計は十二時前を指している。暇を弄ばしているみくにには菜々子のメモ帳の数枚の切れ端とボールペンを渡して、ソファー前のローテーブルでお絵かきをさせていた。黙々と小さな紙に思うままの絵を描いていたのも、もう飽きという限界を迎えている。テーブルに突っ伏して柔らかい頬が餅のようにぺたりとくっ付いていた。

 菜々子はキッチンに残っていた洗い物を片づけていると、突然みくにが足元にやってきて抱き着き少しバランスを崩しそうになった。

「こら、危ないでしょ」

「ママ、起きたよ」

 菜々子は流しの水をとめて掛けてあったタオル――何日前のタオルかは考えないようにして――手を拭いた。リビングを除くと、ソファーに座っている後姿が見えた。恐る恐る近づいてみると、ぼさぼさ頭でぼんやりした顔だったが、アンニュイな表情のせいだろうか、不思議とどこかミステリアスで魅惑的に見えた。

「あの……」

 声に応じるように顔をあげる。少し色素の薄いグレーの双眸が菜々子をじっと見つめてから首を傾げた。そして足元に隠れて様子を伺うみくにへと視線を落とす。

「夢じゃなかったのか」

「夢?」

「起きたら小さい子供が見えたから、座敷童がいる夢なのかと」

 まだ半分夢の中といった寝起きの声だ。

「あなたは、どちらさま?」

「あ、申し遅れました。橋倉菜々子と申します。ハローワークから家事代行の紹介をうけて参りました。こっちは娘のみくにです。みくにご挨拶して」

「……こんにちは」消え入りそうな声でなんとか挨拶をすると「はい……こんにちは」と返事を貰う。恥ずかしいのか、みくには菜々子の足に顔を埋めた。

 会話が途切れ、何か言った方がいいのか悩んでいると、天の助けかのように炊飯器が、茶粥が出来上がったと知らせた。

「お食事、どうですか。簡単なものばかりですが」

 少し間が開いてから「……いただきます」と返事を貰うと菜々子は「すぐに用意します」とキッチンへと向かった。みくにも慌てて後を追いかけようとするが、危ないからリビングで待つように言いつける。人見知りのみくにが『先生』と同じ場所に置くのは気の毒にも思ったが、少しの間待ってもらうしかない。

 キッチンに戻り、野菜炒めを温めなおし、お湯を沸かす。その間に食器棚から適当な食器を見繕って取り出した。

(お茶碗は、と)

 茶碗が四個重なっているが、どれが普段使われているものかわからない。

「えっと……『先生』?よろしいでしょうか」

 ソファーに座って待っていた『先生』は立ち上がって菜々子の方へゆっくりと歩いてきた。

「どのお茶碗をお使いになられてますか」

「一番上の」

「これですね」

 一番上の茶碗を指さして確認すると頷いた。『先生』はそのままダイニングの食卓についた。菜々子はキッチンに茶碗を持ち戻って、それぞれの器に適切な料理をよそっていく。お盆を探してみたが見当たらず、個別に皿を運んだ。

「お口に合えばいいんですが」

 最後に茶粥をよそった茶碗をおいた。『先生』は食卓に立ててある箸の中から自分のものを選んだ。箸を持ったまま軽く手をあわせて「いただきます」と呟く。傍で見守るべきか。いや、見られながら食べるのは落ち着けないか。と逡巡して、ゆっくりと後ろへ下がり、キッチンへと戻る。汚れがこびりついたタッパーを洗い片づけるのを名目に、カウンターから『先生』が食べる様子を視界に入れた。

 家族以外に振る舞う料理は久しぶりだ。菜々子は元夫と同棲を始めた頃を思い出す。最初の一口は、若干の緊張感と大きな期待が胸にこみ上げていたのを今でも思い出せる。きっと、いや、絶対に喜んでもらえると自信があった。あの頃の二人には小さな煩いも大きな恋情で乗り越えられた。たとえ口に合わなかったとしても、あの人なら美味しいと言っただろう。

 しかし今日は違う。仕事で作った料理だ。口に合わなければ、改善を余儀なくされるか、もしくはこのまま雇われることなく追い出されるかだ。

 『先生』が最初に手を付けたのは汁物だった。お湯で溶かしたレトルトの豆腐とわかめが入った味噌汁。買い置きしてあるものならば気に入ったものだろうか。はあ……と短く息をついて汁物椀を置く。菜々子は手に持ったタッパーを、何度も何度もスポンジでこすっていた。汚れはとっくに落ちている。

 ついに菜々子が作った料理に手を伸ばす。お箸かられんげに持ち替えて茶粥をゆっくりすすった。二口ほどで茶碗をおき、菜々子はどんな反応が返ってくるか、口から心臓が飛び出しそうな緊張感が流れる。しかし『先生』は何も言わず野菜炒めに手を伸ばした。そしてまた汁物に戻り、特に言及されることなく食事が続いた。

 食事が終えたら感想をきいてもよいのだろうか、せめて味の好みを確認するくらいは許されるかななど、菜々子は手元の洗い物をしながらも気もそぞろだ。

「ちょっといい?」

「は、はい、なんですか」硬い声で力いっぱい返事するとやや声が裏返った。

「これ」そう言って差し出されたのは、ご飯粒一つ残っていない綺麗に食べ終えた茶碗だった。「おかわり、ある?」

 何を聞かれたのか即座に理解できず、何度かの瞬きの間をおいて「あ、あります」とカウンター越しに茶碗を受け取った。適度によそって食卓へ持っていくと「ありがとう」と返事を貰うのと一緒に「これ特に美味しいよ」と添えた。菜々子は胸に渦巻いていた不安がすっと消えたのを感じた。

「あ、ありがとうございます」

流し台に戻った菜々子は洗い物を再開する。手はさっきよりもずっとスムーズに進んだ。

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