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幸福なシンデレラ  作者: 桝克人


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第31話

 市ノ川が車で迎えに行き、お昼前に錦見八千江を連れてやってきた。玄関で出迎えると、八千江は市ノ川の半歩後ろに立ち、目を丸くして家を見上げている。


「こんにちは」


 挨拶をすれば、八千江ははっと我に返ったように「錦見八千江です」と硬い声で挨拶をして頭を下げた。緊張しているのは目で見てわかるほどだったが、強張った小さな体とは裏腹に目には湧き上がるような情熱に満ちているように見えた。


「おっとすみません」


 市ノ川はズボンポケットに手をやって携帯を取り出した。どうやら仕事の電話のようである。十和子は先に八千江を中へと招き入れた。リビングに入ってもらうまでの僅かな距離でも、八千江はきょろきょろと家の中を見回しながら、何かを見るたびに小さく感嘆の声を漏らしていた。


「こちらへどうぞ」


 食卓へと勧めると八千江は「失礼します」と頭を下げてから座った。十和子は食器棚から紅茶のセットを出そうと思ったが、どれにしようかしばらく悩んでから適当に取り出そうとすると、ガチャンと音を立ててしまう。二人の視線が注がれているのが背中で十分に伝わった。幸いカップもソーサーも割れてはおらず、一つずつキッチンへと運ぶ。


 それから薬缶に水を注いでから火にかけた。強火で一気に沸かしてしまおうと思ったわけでもなく、火の調節という概念自体が頭からすっぽりと抜け落ちており、ガンガンに大きな火でかけていく。その間に茶葉を探そうとあちこちの扉を開けていく。家政婦を雇わなくなってからは、飲み物はペットボトルで済ましていた。家政婦によって物の位置が変わることもあったので、十和子には自身の家であっても勝手知らないキッチンなのである。


「あの、そちらへ失礼してもよろしいでしょうか」


 戸棚を開けては閉めているうちに、薬缶がシュンシュンと音を立てているが十和子はそんなことお構いなしに探していると、そわそわしていた八千江が口を開いた。十和子は不思議そうに首をかしげてから「どうぞ?」了承すると「失礼します」とペコペコと軽く頭を下げてからキッチン奥にへと歩み薬缶の火を消した。


「あ、ごめんなさい」


 十和子は下の戸棚を開けているところだった。


「あの、お茶っ葉を探していらしゃいますか?」

「え?ああ、そうですね」

「お手伝いさせていただいても?」

「あ、はい。助かります」


 八千江はほっと胸をなで下ろしてキッチンを見渡した。コンロの背面に位置するL字型のワークトップに体を向けると、あらかた片付いているように見えるが、オーブンレンジや炊飯器が並べられ手ある中で、空いたスペースに鍋やレトルト用品が雑多に置かれている。そこに茶葉はなかった。カウンターキッチンへと体をむき直すと、まだポットが出されていない。


「食器棚も見ていいですか?」


 まだ下の戸棚を探していた十和子はこくりと頷いてから立ち上がり、八千江の動きを目で追った。八千江は食器棚の前に立ち、ガラス越しにキッチンに置かれたティーカップと同じ柄のポットを探す。それはすぐに見つかり食器棚を開けて取り出した。


「あ、ありましたよ」


 声を弾かせると、十和子はどれどれと見に近づいた。紅茶缶は肩身が狭そうにポットの後ろの方へと追いやられていた。八千江は体には似合わない大きな手で丁寧な仕草で奥の紅茶缶を引っ張り出した。十和子が手を差し出すと「はい」と声をかけて手渡される。紅茶の缶をぐるぐると回すと、僅かながら期限が切れているようだった。


「すみません。期限切れです。緑茶に変えましょう」


 そうは言ったものの、今度は緑茶の茶葉を探さなくてはいけない。少なくとも開けた戸棚からは見つかっていない。口にしたが、もしかしたら茶葉自体が家にない可能性もあると頭をもたげた。


「見せてもらってもいいですか?」


 八千江は紅茶缶をもう一度自身の手に戻してから、自身の目で賞味期限を確認し、埋もれた缶の蓋を指で開けてみようとするがうまくいかない。八千江はまたもや缶を持ったままキッチンへと引き返した。キッチンカウンターの上にはお目当てのものはみつからず、一つずつキッチンの引き出しを開けていくと、流し側の一番隅にある幅の狭い引き出しから、探していた計量スプーンを取り出した。てこの原理なんて大仰な言い回しは似つかわしくないが、蓋の隙間に軽量スプーンの持ち手を挟ませると、パコンと軽快な音を立てて開いた。


「未開封なので、中身は大丈夫だと思いますよ。よろしければ、このまま淹れましょうか?」

「助かります」


 計量スプーンと同じ引き出しに入っていた鋏を取り出して袋を開ける。ふわっと紅茶の香りが宙に舞った。蓋を開けた計量スプーンで茶葉をすくい上げて三人分の量をポットに淹れ、薬缶のお湯をゆっくりと注ぐ。単純な作業もどこか軽やかな手つきで手慣れた様子だと十和子は感心してみていた。


「すみません。遅くなり、ました……」


 長引いていた電話がようやく終わったとリビングに入ってきた市ノ川は、リビングに漂っている空気に驚き尻すぼみで口を閉じる。久しぶりに見る十和子の安らかな笑顔に安心感を覚えて目を細めた。

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