第27話
玄関ドアを開けるとあけ放たれた門扉の前で神妙な面持ちで立っている中年の夫婦らしき人が見えた。菜々子と目が合うと誰もが示し合わせたように同じタイミングで頭を下げた。
「錦見と申します。義母が大変お世話になりまして」
玄関口で女性が続けざまに二度も頭を下げた。
「家政婦の橋倉です。こちらこそご足労いただきありがとうございます。どうぞおあがりください」
手で合図をすると夫婦は顔を見合わせて、それじゃあと家の中へと入った。そのままリビングへ案内すると、十和子は立って二人を待っており、目が合うと折り目正しくお辞儀をする。夫婦共に、特に男性の方がぴしっと姿勢を正して深々と頭を下げた。
「十和子先生、これつまらないものですが」
「お心遣いありがとうございます」
「どうぞゆっくりなさってください」
菜々子は十和子がいただいた菓子折りを引き受けて、そのままキッチンへ行きお茶を出すためにお湯を沸かし始める。いただいた菓子折りを開くと華美過ぎない美しい装飾のクッキー缶だった。開けるときつね色の様々な形のクッキーが小分けされている。菜々子は新たに食器棚から小ぶりの銘々皿を取り出す。キッチンに戻り皿に汚れがないかじっくり確認してから箸を使って取分けた。
「この度は大変ご迷惑をおかけしましたことと、挨拶が遅れて申し訳ございません」
女性——錦見綾香は改めて頭を深く下げ、夫の泰之も同じだけ頭を下げた。
「いいえ。こちらも碌にお見舞いにも上がれず不躾ばかりですみません。それで八千江さんのお加減はいかがですか。お電話では入院が伸びたと伺いましたが……」
「ああ、いえ。大したことはないんですよ。軽い風邪を引きましてね。念のためにと。リハビリも始まりましたし、いずれはまた普通の生活に戻れると思いますが」
泰之は眉根を寄せながら誤魔化すように薄く笑っている。
「母はまたこの家に戻りたいと常々言っていましたが、左半身の麻痺で体が思うようにならないと分かってから、こちらに迷惑がかかるからと諦めて……入院してからは気落ちしていましたが、綾香や子供たちが見舞いにもよく行って励ましてくれて今はリハビリにも熱が入っているようで安心しています」
十和子は静かに二度三度首肯した。菜々子は会話が途切れたところを見計らってお盆を持ち、ダイニングへと回った。
「おもたせで失礼ですが、どうぞお召し上がりください」と添えて順番に紅茶を出していく。中央に砂糖壺とミルクを出した。
「それにしてもよかったですね」
綾香は十和子を見てほほ笑んだ。
「入院してからしばらくは話すのも億劫にしていたのに、頼りなげに口を開けばお宅の話ばかりで。十和子さんはどうしているのかとか、おうちの様子はどうかとか。以前市ノ川さんが見舞いにいらしてくださったんですが、新しい家政婦さんが来てくれたと聞いたら安心していました。良い人が来てくれたって市ノ川さん仰っていましたよ」
菜々子は恐縮してお盆を胸に抱えて、身をすくめるようにして頭を垂れる。
「それ以来こちらのおうちの話はほとんどしなくなりました。お役御免かなって寂し気にしていましたが、それよりも先生ご自身が認めた人なら任せられるって言っていました」
「実際良くしてくれていますよ」と十和子は目を細めた。菜々子は面はゆい気持ちで、褒められているというのにここから逃げ出したくなっていた。すると天の助けのようにリビングの扉が開く。
「ママ」
それは決して天の助けとは言いがたく、和室で遊んでいるはずのみくにだった。菜々子は慌ててみくにの方へと駆け寄って邪魔しないようにリビングから追い返そうとした。
「あらまあ、可愛いお嬢さんだこと」
綾香は椅子に座ったまま振り返り、みくにの姿をみると高い声をあげて顔を緩めた。みくには固まって後ずさりをするようにして体をそらした。菜々子はしゃがんで「ご挨拶は?」と諭すと「こんにちは」と尻すぼみで返事をした。
「あらあら、まあまあ。こんにちは。クッキー食べる?」
綾香はおいでおいでと手招きをする。みくにはクッキーに反応して目を輝かせて食卓の方へ足を滑らした。綾香からお皿を差し出されて、無遠慮にクッキーを口に運んだ。綾香は目じりを下げて「可愛いわあ。本当に可愛い」と連呼している。
「こ、こら!もう……すみません……」
菜々子は慌ててみくにに近寄った。綾香は構わず自身の皿のクッキーを差し出してみくにに食べさせた。
「懐かしいわねえ。うちにも息子と娘がいるの。もうすっかり大きくなっちゃったけど」
絶えずにこやかにみくにの食べる姿を見ながら懐かし気に話した。
「お嬢ちゃん、お名前は?」
「橋倉みくに、です。四歳、です」
たどたどしく答えるとみくにに、綾香はまた小さく歓声をあげる。
「あらまあ、お利口さんねえ」
みくには褒められたことで嬉しさと恥ずかしさが沸き出でた。その感情を持て余したようで菜々子の体に思いっきり顔を突っ込むようにして抱き着いた。落ち着いたところでみくには菜々子に「ケーキ食べたい」と小さな手で口元を隠し耳打ちをする。本人はこっそり言ったつもりだったが、この場にいるすべての人の耳に届いて、また和やかな空気に包まれた。
菜々子は立ち上がり冷蔵庫からケーキ箱を取り出すと、みくににテーブルに置いてとせがまれた。そして箱を開くと今度は綾香の方へ近づき、服の裾を引っ張って屈ませて耳打ちをする。
「おばちゃん、果物がいっぱい乗ってる宝石みたいなケーキがおすすめだよ」
「あら、素敵な情報ね。でもみくにちゃんが食べたいんじゃないの?」
「いいの。クッキーのお礼だから」
綾香は顔が溶けてしまいそうなほどに緩ませていた。




