第21話
食卓には鉄板を中心に、切りそろえた野菜が乗った大皿、牛肉のパックが三皿、大根おろしが盛られた器、焼き肉のたれ、そしてそれぞれの席の前には取り皿が隙間なく置かれる。鉄板に電源を入れて温まるのを待つ。
「お酒何にしましょうか。ビールと酎ハイ、あと日本酒もありますよ」
「ビールをお願い」
「市ノ川さんは」
「あ、僕もビールで」
菜々子はグラスの場所を『先生』に尋ねると、『先生』は自ら立ち上がって取り出し、ひとつを市ノ川に手渡した。その間に冷蔵庫からビールを二本を取り出して、自身の席の前に置いた。
「橋倉さんもお飲みになりませんか?」
市ノ川はグラスを掲げて誘う。菜々子は少し喉を鳴らした。
「私はご飯を頂戴します」
「お酒、苦手でしたか?」
「えっと……その、時々飲むこともありますが」
「せっかくですし、良かったら」
市ノ川がそこまで言うと、『先生』がグラスを差し出した。菜々子は迷った。酔っぱらえば片づけがはかどらないなどと言って断ることもできた。しかし二人から勧められて断るのも気が引けた。そんな言い訳を自身にしながらも自然と手はグラスに伸びた。
みくににはオレンジジュースとご飯を用意してから、ビールの缶をあける。ぷしゅっと弾ける音が心地よい。両手で缶を支えてまずは『先生』に差し出すと軽くグラスを傾けて待ち構えた。トクトクと小気味よい音を奏でながら白い泡を吹いて徐々に黄金色に変わる様は見ているだけでも爽やかな気持ちになる。
それから市ノ川に注ぐために口元を差し出すと「どうも」と軽く頭を下げてグラスを差し出した。少し足らずもう一本開けて足した。菜々子は缶を引き戻そうとすると市ノ川が手を差し出して缶を取り、その口を菜々子の方へと向けた。菜々子は「すみません」とグラスを持って「少しだけ」と付け加えた。市ノ川は半分より多い量を注いだ。
「では」市ノ川がグラスを掲げて切り出す。『先生』と菜々子がグラスを持つと、それを真似してみくにが自身のプラスチックのコップを持ち上げた。
「先生の原稿があがったこと、そして橋倉さん一週間お疲れさまってところで、乾杯!」
「乾杯」とそれぞれのグラスに掲げながら声をあげた。そして口につける。菜々子は久しぶりのアルコールで香りだけでも少し気分が良くなる。
鉄板が熱くなったところで、菜々子は少しだけ火力を落とし、まずは肉を焼き始めた。その間に市ノ川が大根おろしとたれを器に入れて皆に渡していく。程よい焼き加減を見極めて、『先生』、市ノ川、みくに、そして自分の器へと焼けた肉を入れていく。
「うわ、うまいっすねえ。焼肉なんて久しぶりですよ」
それぞれが肉の甘味と旨味に舌鼓を打つ。みくには「おいしい」とにこやかに言って菜々子もそれに同意するように「おいしいねえ」と返す。『先生』はじっくりと噛んでからビールを流し込んでいた。
しばらくはそんな風に肉と野菜を焼いて、食べてを繰り返す。初めての四人での食事は存外楽しかった。緊張しがちな菜々子もアルコールの力を借りたおかげで柔らかな空気を楽しむことが出来た。
中盤になって、箸の進みが遅くなってきた。みくにはおなか一杯になったと言って席を下りたがった。まだ食事は続きそうだったので、リビングで遊ばせようと連れていった。食卓に戻ってくる際に、横目で『先生』と市ノ川の様子を窺った。二人もビールを傾けながら、原稿の出来について話している。器に残っていた野菜を咀嚼していると、話の途中で市ノ川は菜々子の方へ向いた。
「橋倉さんも、今日まで本当にありがとうございます。先生の原稿があがったのは橋倉さんのおかげでもあるんですから」
菜々子は真っ向から感謝されて、気恥ずかしくなり伏し目がちに市ノ川を見ながら口を開く。
「そんな……でもお力になれたなら、はい、良かったです」
「この場で話してもいいですかね、先生」
『先生』はビールを飲みながら頷いた。市ノ川は居住まいを正してから神妙な面持ちで菜々子に話し始めた。菜々子もまた膝の上に手を置いて背筋を伸ばして耳を傾けた。
「それで、これからのことでご相談なんですが」
「は、はい……」
テーブルの下に隠れた両手をぎゅっと握る。アルコールで解けたはずの緊張感が戻ってくる感覚がする。
「単刀直入に言いますと、この仕事続けませんか?」
「そ、れは……」菜々子は口をぽかんと開けてから、ゆっくりと唇を動かし喉から声をだして、「雇っていただけるってことですか?」と尋ねる。
「もちろんですよ。仕事は丁寧だし言うことありません」
願ったり叶ったりで菜々子は喜びよりも驚きが先だって、何かを言わなくちゃと思いつつも口は開いても声にならなかった。
「ほら、先生。先生からも何か言うことないんですか」
市ノ川がせっつくと、『先生』は手に持っていたグラスをテーブルに置いた。
「この一週間、美味しい食事をありがとう」
「あ、こちらこそ、召し上がっていただけて……よかったです」
思ってもいない角度の会話に菜々子は拍子抜けした。
「それに」
『先生』はそこまで言うと少し目線を上げて考えているようだった。暫し待っていると『先生』は再び口を開いた。
「安心して執筆できたから。助かったわ」
菜々子は『先生』が言わんとしたことが理解できずに首を傾げた。言われた仕事をしただけで、安心できたのはどこにあるのかわからなかった。
「原稿が仕上がったのは、先生が安心できたからなんですよ。この通り、人当たりはよくないし、人見知りが激しいからどうなるかと思っていたんですがねえ」
市ノ川は冗談めかして言った。菜々子は「そんなことは……」と否定をしたが、『先生』は遠慮のない物言いに怒るでもなく「確かに」と肯定までした。
「そんなわけでこれからの執筆活動のためにも橋倉さんの力が必要なんです」
顔が赤くなるのを感じた。きっとこれは酒のせいなんかじゃない。菜々子は言われたことのない言葉に心の底から湧き上がる高揚感に包まれていた。
「ありがたいお話です。でもひとつだけ確認していいですか?」
「はい、なんなりと」
「お気持ちは嬉しいんですが、この通り子供がいる身です。みくには大人しい方ですが、子供なりに賑やかだし時折泣きわめくこともあります。そんな私たちでは執筆の邪魔になったりしませんか?」
「ああ、なんだ。そんなことでしたか。全然問題ないと思いますけれど、ね、先生」
『先生』はこくりと頷いた。
「仕事中、ヘッドホンしてるから平気よ」
あっけらかんとして答えた『先生』に、そんなことだったのかと菜々子は肩の力が抜ける思いだった。菜々子はなんだか急におかしくなってきて、つい笑い声が漏れてしまう。
「是非、よろしくお願いします。先生」
菜々子は深く頭を下げると、先生も「こちらこそ」と口元に弧を描いて頭を下げた。




