番外編 隣の領地の事情
私は、伯爵家の令嬢として、この地に生まれた。
父の治めるこの地は、ずっと祖先からの土地という訳ではないという。
なんでも、つい最近まで生きていた祖父によると、祖父の父、私が生まれる前に亡くなってしまった曽祖父の時に、この地を任されることになったらしい。
その時代に、ゴブの大氾濫が起こり、それまでこの地を治めていた者は、その氾濫に可哀想にも呑み込まれてしまったのだという。
曽祖父は、その時にゴブの氾濫が王国の中心地の方に押し寄せないように、防波堤となる戦いで大きな戦果をあげ、その褒美として、それまでの領主が滅びてしまったこの地を得たらしい。
「と言うと、儂の父、お前の曽祖父は凄いことをしたように聞こえるが、実際はそんなことはなかったのだよ。
ゴブはただ単に、その時は王国の中心の方に向かうより、逆の方に行った方が食べ物が楽に得られるから、まずはそっちに向かったということだけだったのじゃ。
その当時の儂の父や、その同僚は、そのことを承知していたからな。 反対方向の食物が無くなれば、すぐにそれまで以上の数になってゴブが押し寄せて来ると、その少しの猶予の時間に軍の編成拡大に奮闘していたのじゃ。
ところが、偶然なのか、それとも故意なのかは分からないが、隣の領地では大火が起こり、それにゴブのほとんども巻き込まれてしまったのだ。
それによって、儂も儂の父たちも辛くも命を長らえたというだけのことなのじゃ。
だから本当は戦功などというものは無いのじゃ。 ただそれでは示しがつかないので、我が父に大きな戦功があったということにして、この地を与えられた。
この地を与えられたと聞くと、お前には褒美のように聞こえるかもしれないが、本当はそんなことでは無い。
大したことしていないのに、褒美をやったのだ、その地のゴブを押さえ込む為に死ぬ気で働け、というのが王国の中枢の考えたことなのじゃ。
責任の押し付けともいうな」
おじいさんが孫娘である私に、そんな話をして聞かせていたのは、父、つまり自分の息子のしていることが気に入らないかららしい。
曽祖父だけでなく祖父も、実際にゴブの脅威を、骨身に滲みて感じた世代だからであろうか、常にゴブの警戒を怠らず、小さなゴブの動きでも、自分から率先して動いて、その動きを確認し、少しでも問題があれば自ら討伐に当たっていた。
ところが父の代になると、父は武芸が苦手だったからかもしれないが、ゴブの動きの確認も、討伐も家臣に任せるようになってしまった。
「そのような緩みは、この地では必ず災厄をもたらす」
「いえ、私は武器の扱いが父上ほど上手くは無いので、家臣に任せていますが、ゴブの警戒は全く怠っておりません」
祖父と父は、顔を合わす度に、そう言い争っていた。
私は祖父に尋ねた
「なんでゴブを完全にいなくなるようにしちゃわないの?」
「それが出来れば一番なんじゃがのう。 それは難しいのじゃよ。
儂も、そなたの曽祖父も、何度もそれに挑戦したのじゃが、犠牲が増えるばかりで出来なかったのじゃ」
それでも祖父が生きているうちは、ゴブへの対処は出来ていたのだと思う。 ところが祖父が亡くなると、それを機に、と言うのは違うのだろうが、同じように当然のことながら、祖父と共にゴブに対処して来た家臣たちもみんな亡くなったり、引退していってしまった。
後になって私が思うに、その頃からゴブに対する監視も対処も緩んでいってしまったのだろう。
現場に出ない父は、家臣から上がって来る報告を、何も考えずに鵜呑みにして、今までと同じ日常が送れていると思っていたのだろう、父にゴブに関しての緊急の報告が上がって来た時には、もう簡単な対処ではどうにもならない規模にゴブは膨れ上がっていたのだった。
大慌てで父はゴブの討伐隊を組織しようとしたが、一度緩んでしまった組織はなかなか機能を発揮しない、大騒ぎをしてもなかなか実際には動けないうちに、最悪の事態が起こってしまった。 ゴブによって町が一つ滅ぼされてしまったのだ。
この事態は大混乱を引き起こした。 全てを諦めて領内から逃げ出す者も出る事態となったが、さすがに家臣たちは腰は引けてはいても、逃げることはなかった。
この事態に何もせず逃げては、王国内で生きていくことが出来ないのが一番の理由ではあると思うけど。
それでも妻子を、伝手を頼って、この地から退避させる有力者は後を断たなかった。
「救いは、滅ぼされたのが、この地から王国の中心に向かう方向の町ではなく、どん詰まりの隣の領地に向かう町だったことだ。
我らは王国に向かおうとするゴブを阻止すれば、なんとか王国への顔は立つ」
兄が情けなくもそんなことを言うと、家臣たちは
「その通りです。
なんとしても王国方向には行かせないようにして、王国の援軍を求めましょう。
それ以外に道はありません」
と、兄の言葉に賛成し、父も頷いていた。
私は隣の領地の迷惑はどうするのだと思ったが、隣の領地のことを気に掛ける者は誰もいなかった。
「冬になれば、ゴブの活動はとりあえず収まる。 まずはそれを目指すのだ」
この父の言葉に従って、ひたすら王都方向にゴブが向かわないように守りを固める。
ゴブの数を減らす為に攻勢に出るという意見はどこからも出なかった。 ゴブは時間が経つほど数が増えて対処に困るので、「ゴブ、即、殺」が基本なのは誰でも知っているはずなのに、その消極的姿勢を問題視する声が全く出なかった。
父は、母と私、そして妹を王都の方に逃すことを真剣に考えたみたいだが、さすがに領主の家族が逃げては、後の外聞があまりに悪すぎると、諦めたみたいだった。
私は、何だか醒めた目でこれらの大騒ぎを見ていた。
祖父の話を家族で一番多く聞いて育った私は、今のこの父、兄、家臣、そして騎士たちの狼狽た姿を見て、これは駄目だと密に覚悟を決めていた。
祖父は私に、「ゴブとの戦いに負けて、ゴブが自分に襲い掛かるかもしれないと思ったら、躊躇いなく自害しなさい」と、いざと言う時の覚悟をしっかりと教えてくれていた。 祖父はその教えと一緒に、とても切れ味の良さそうな短剣をくれて、それをどう使えば最も確実に苦しまないで死ぬことが出来るかも教えてくれた。
まさか祖父が亡くなって数年で、その教えを実行する覚悟をしなければならなくなるとは思っていなかったが、私はもらった短剣を握り締めながら、それらのことを私にしっかりと教えてくれた祖父に感謝した。
母や妹は、此の期に及んでも、オロオロするばかりで、もしもの時に自分の身をどう処すれば良いかなど、全く考えることも出来ないようだった。
冗談では無い、私はゴブに孕まされて、生き残るなどというのは、真っ平ごめんだ。
覚悟が決まっている私から見れば、その時の事態は、敗北ではなく、滅亡に進んでいるモノに見えた。
もしゴブが町を破壊した勢いのまま、方向を変えてこの地に向かって来たり、反転して王都方向へと向かえば、確実にこの地の兵団は壊滅してしまっただろう。
ところがゴブは破壊した町の方向にそのまま向かおうとしたみたいなのだが、何故かその動きが止まった。
父や兄たちは、そのゴブの動きが止まったことを、どう考えて良いのか解らないみたいだった。
本音を言えば、父と兄たちはゴブの大群が冬になるまで、破壊された町を通り抜けて、隣の領地を侵略することを望んでいたみたいだ。 そうすれば少なくともこの地にいるゴブの数は一時的には減り、冬まで持ち堪えることがしやすくなると考えたのだろう。
だが、ゴブの大群の一部は隣の領地に行ったみたいだが、多くは残っていたみたいだったのだ。
後にゴブの動きが止まったのは、隣の領地に侵入したゴブの先遣隊が、隣の領地で殲滅されたからだと分かった。
なんのことはない、ゴブは侵攻しようした先が手強くて、簡単には攻め込むことが出来なそうだったので、その動きを一時的に止めただけだったのだ。
しかし、隣の領地で一部を殲滅してくれたおかげに、ゴブの動きが慎重になり少しの間止まったので、大侵攻に入る前にゴブは動くことのできない冬を迎えた。
私たちはかろうじて季節に助けられて、滅亡を免れた。
ゴブが非活動期に入ったことが確実になったことが判明すると、父は即座に王都へと向かった。 何がなんでも多くの兵をゴブが動き出す春までに中央から出してもらわねば、自分たちの滅亡が確実なのだから、それは当然ながら必死だった。
王都には、それ以前から連絡を入れていたし、この領地から逃げて行った人も少なく無いはずで、今の窮状は知れていただろうが、その交渉はなかなか進まないみたいだった。
確かに町を一つゴブに滅ぼされたという事実はあるけれど、その時にこの領地の兵が奮戦したという事実はなく、ゴブの発生規模も何も分かっていない。
王国の中枢にしたって、判断すべき材料がほとんどないのだ、どうすれば良いのか判断のしようがないのが本当のところだろう。
そもそもゴブを抑えることが使命であった私の家が、「ゴブとまだまともに戦ってもいないのに、先に救援を求めるとはどういうことなのか」と問われれば、父も答えに窮するだろう。
王都のそんな状態が伝わって来ている中、隣の領地の王都に向かう使者が、私の家に寄っていった。
私は、ゴブの件で王都へと向かうならば、何故こんなに王都に向かう時期が遅れたのだろうかと思った。
隣の領地と結ぶ唯一の道の、境にある町が滅ぼされたのだ、そのことが隣の領地に伝わっていない訳が無い。 それならゴブが活動しなくなったらば、父と同じように即座に王都へと使者を送るのが当然だと思うのに、この遅れは不可解だった。
隣の領地の使者は、我が家に寄り、当然のことながら、領主である父との面会を求めた。 父は王都へと行っているので、兄が代わりに面会することになったのだが、どういう訳か、その場に私も来るように言われた。
隣の領地の使者は、こんな時なのに妻を同道させていたので、兄はまだ独身な為、私が呼ばれることになったのだ。
兄は面会する部屋に向かいながら私に言った。
「ちょっと上手くない事態だ。
ゴブの件を、バタバタしていて隣の領地に知らせを走らせるのを忘れていたのだ。
そこを突かれると、我が家の立場が危うい」
私は、「それはないだろう、何をしているんだ」と思った。
王都に向けてはすぐに報告の使者を出したのに、より切迫した事態になっていたであろう隣の地に知らせを送らなかったというのは、あり得ない失態だ。
責められて当然の問題だ。
兄も同様に考えているからこそ、渋い顔をして、私にまで愚痴を言ったのだろう。
「私は隣のヴェスター伯爵家の次男、バンタインといいます。 隣にいるのは妻のバーバラです。
私は、これより王宮に向かうつもりでおりますが、貴家は王宮よりゴブへの対処を任された家、そこに挨拶に伺わずして、ゴブへの対処を王宮に願うのは問題かと思い、まずはこちらに寄らせていただきました」
物腰は柔らかいが、なかなか厳しい口ぶりの向上だなと私は思った。
我が家の責務をはっきりと告げ、直接口に出さずに対処を怠っていたことを責めて来た。 まあ、当然だろう。
兄もそれが分かっていて、厳しい顔をしている。
「我々も、大きな被害に混乱して対処が後手後手に回ってしまったことを、深く陳謝したい。
それにしてもバンタイン殿、ゴブの活動休止期はご存知のはず、ゴブへの対処で王宮に向かうには時期が遅れたのではないか。
我が家では、すでに領主の父が、残念ながら我が家だけでは手に余る事態だと王宮に対処を願いに行っている」
兄も直接には触れずに謝り、逆に時期の遅さを攻めたか。
「我が家も、ゴブへの対処の対応に内部で色々ありまして、それが決まるまで恥ずかしながら王宮に使者を出す余裕がありませんでした。
この非常時にと、お笑いください」
「ちなみに、そちらにももうゴブの被害が出てしまったのであろうか。
状況的に私はそれを一番危惧しているのだが」
「ゴブは我が領内にも侵入して来ました。
幸いにも今のところ確認できたゴブは殲滅できましたが」
「ちなみにどれほどのゴブを確認したのでしょうか?」
兄は身を乗り出して、その数を聞いた。
「こちらでは、200数十匹余りのゴブを殲滅しました」
兄はその数を聞いて、ちょっと嬉しそうな顔をした。
「そちらでもそれだけ討ち取ったということは、滅ぼされたとはいえ、境の町でもかなりの数のゴブを討ち取ったはず、それなら今回のゴブの攻勢も急に止まったのは、その数が尽きたからかも知れないな。
それなら我が父が、王宮に対処を願いに行くこともなかったか」
「兄上、そんな夢のような楽観視はできないでしょう。
その様に考えられる状況でしたら、バンタイン様が使者として王宮に向かう理由がないではないですか」
兄は嫌な顔を私にしたが、言葉を続けた
「確かに我が妹の言うとおり、バンタイン殿と言ったな、そなたの家ではどの様に考えているのだ?」
「すみません、誤解を与える情報の知らせ方だった様です。
私どもの地で討ち取ったゴブの数は先ほど述べた通りなのですが、そのうちの200匹以上が戦闘装備をしたゴブでした。
この異様に戦闘装備をしたゴブの数が多いことから、私たちは私たちの領地に侵攻して来たゴブは先攻部隊というか偵察部隊の様な物で、ゴブの本体は少なくとも2000〜3000匹となっていると予想しています」
「バンタイン殿、速やかに王都に向かい、その情報を王宮と父に伝えて欲しい。
またぜひ父と共に、王宮にこの地への出兵をお願いしてもらいたい」
この後、私の家の領地と隣の領地の要請は受け入れられ、大規模な軍事行動が繰り広げられた。
この行動の中で、隣の領地は知らせが遅れたことを理由に、どうやら一番嫌な仕事を引き受けさせられた様だ。
もちろんそんなことがあからさまに命令された訳ではない。 しかし、ゴブの生態を知っている者にとっては、どういう意味を持つかは即座に判る命令だ。
自分の領地に戻る時も、一泊だけ、きっと一緒している奥さんの疲れを思ってのことだろう、バンタイン様は我が家に寄って行った。
私はバンタイン様の顔つきが感情を消し去って、白く硬くなっているのを見て、気の毒に思うしかなかったし、奥様がそれ以上に憔悴していることに何故なのだろうかと思った。
でも私が気になったのは、隣の領地に対して、知らせが遅れたことを理由にそんな罰の様な命令を王宮の中枢は出したのに、私の家に対しては、その様な罰則的な命令が何もないことだ。
兄は単純にそのことを、この場を離れられる季節になったら即座に父が王宮に行ったお陰だと喜んでいたが、私はそんなに甘くないのではないかと心配だった。
父は、兄ほどのん気に考えては、さすがにいない様で浮かない顔をしていた。
「正直、隣の領地が命じられた役を、儂が命じられると覚悟していた。
この王宮の沙汰は、裏があると思っておいた方が良いだろう」
父は、そう言って、兄に覚悟しておくようにと付け加えた。
ゴブを抑え込むことを使命として、この地に任じられた私の家が、その使命に失敗しての事態なのだ。 なんらかの懲罰的な措置が取られない訳が無い。
ゴブの巣の大々的な包囲戦が終わっても、そのためにこの地にやって来た一部の貴族は兵を引かずに居座っている。
そして、この地からは移動したが、その他の多くの兵を率いてきた家は、自分の領地に戻らずに王都近くの地に、いまだに陣を布いているという。
父と兄は、この地に居座っている貴族と、表面上は良好な関係を培っている様だが、その意図を読め切れずに困っている。
王宮の中枢もなんだか機能不全に陥っている。
きっと王宮中枢の機能不全が、居座っている貴族の煮え切らない態度の理由だろう。
そんな中、バンタイン様はまたやって来て、父や兄と交渉していたが、私の結婚話になってしまった。
理由が解らない訳ではない。 バンタイン様の兄のアルフレッド様とは、どの様な人なのだろうか。




