316. 雨の日の話題は危険
雨が降っている。 雨の季節がやって来たということだろう。
去年の雨の季節の記憶はところどころぼんやりしている。
あの時は友たちがみんな調子が悪くて、その原因が最初は分からずに、どうして良いか途方に暮れていたんだった。
なんとなく、雨を見ていると、その時の人間がラミアの里に自分一人になってしまいそうな心細さを思い出す。
「アレク、何ぼーっと物思いに耽っているの。
アンたち戻って来たし、みんなももうすぐ来るよ、きっと。
準備はできたの?」
ナーリアが僕に声を掛けてきた。 うん、一年で随分変わったな。
「大丈夫だ。 部屋は片付けたし。
千歯扱きも3台用意してある。 どんどん脱穀できるよ」
雨の日はどうしてもしなければならないことは別として、外での作業はしない。 それに図書館も雨のために窓を開けられないと中が暗いし、湿気を中に入れないために開けてはいけない決まりとなっている。
そんな訳で出来る仕事は限られているのだが、今はラミアの里全体で、春採の命の実、つまり麦の脱穀をしようということになっている。
去年は麦をまともな時期に刈ることもせずに、この時期になって、畑で勝手にもう枯れて乾いていた麦を刈って脱穀したのだが、今年はきちんとヤーレアたちが先導して麦刈りがなされ、ちゃんと竿に干したモノを、雨の時期になる前に倉庫に移してあったのだ。
きちんと収穫したこともあるし、そもそも麦を秋にヤーレンの指導の下にしっかりと植えたこともあって、今年の麦の収穫量は去年の3倍どころか4倍に近いのではないかと思われる。 それだから、その脱穀はラミアの里にとっては一大イベントになったのだ。
その量の麦の脱穀を一斉にしてしまおうという理由は、その大量の収穫物を保管する倉庫が一杯であるということもある。 脱穀して、実と藁とに分ければ、保管するスペースに余裕が出来るからである。
もっと実際の問題として、僕たち人間と上位ラミアの人たちが暮らす家がどんどん建てられているのだが、その家に藁床の床の部屋は必ず作られることになり、今のところ藁がなくて、床が完成していなかったのである。 それだから、藁が欲しいという上位のラミアの要望は強いものがあったのだ。
だから脱穀して、藁になれば、即座にその各家に運ばれるので、必要な倉庫のスペースは激減するという訳だ。
脱穀作業は雨の日の作業となっているため、屋内で行われることになる。
ラミアの元の集落である洞窟内でも、あの広い部屋を使って行われることになったのだが、僕らの家も作業に使われることになった。 僕らの家なら、赤ん坊を安全に集めておけて、世話をするのに楽だからだ。
作業場を久々に本来の使用目的に使うことになり、僕はセカンに手伝ってもらい、普通の部屋のようになっていた部屋の中を片付けて、本来の作業場に模様替えし、去年作って倉庫にしまっておいた千歯扱きに加え、新たに作った2台の千歯扱きも部屋に用意した。
僕とセカンが作業部屋を用意している間に、ナーリアとディフィーは雨なので子供たちが来ない鶏の世話をしていた。
サーブ、レンス、そしてアンとメリーは、馬の世話を終えた後で、馬車で集落に脱穀前の藁束を取りに行った。 きっと今日は何往復かすることになるのだろう。
集落の方の指揮はヤーレンとヤーレアたちに任せているのだけど、今回の脱穀作業に参加する人間の男は少ない。
ボブは鍛冶を優先で、まだ弟子は来ていないから、その作業をデイヴとキースが手伝う。
ハキとケンとダイクは今、瓦用の窯作りが優先だ。 窯自体には保護のために屋根をかけて作っているし、ハキとダイクの妻たちは、窯が出来たらすぐに焼くために、粘土で瓦をどんどん作っている。 粘土を成形し、乾燥させ、灰を溶いた釉薬を全体にかけて、またそれを乾燥させるという一連の工程が、窯に入れる前にあるので、こちらも忙しい。 窯を作った山の斜面のすぐ下は、随分とたくさんの屋根が出来ている。 全部瓦作りの作業場と、焼く前の瓦の置き場だ。
バンジはもちろん自分の仕事優先だ。 作業場は元々あるし、弟子もいて、仕事を休む訳にはいかない。
ちょっと意外というか、僕には頭から抜けていたのだけど、ギュートも自分の仕事優先だ。 どういうことかというと、馬の繁殖期なのだ。 正確にはもう繁殖期の一番最後の方だ。 ギュートは馬を増やしたいと真剣に思っているとのことだ。
という訳でここに来ることになっている男は図書館で仕事が出来ないエレクだけだし、ラミアもラーリア様たちがほとんど、人間の女もアンと仲の良いエリとマリ、それにボブの妻のハンナとエレクの妻シルクしか来ない。 ハンナは鍛冶の家の娘ということだが、自分で鍛冶をする訳ではないらしい。
僕たちが戻ってきた馬車から麦を下ろしていると、続々と予定通りの人たちがやって来た。 どうするのかなと思っていたミーリア様もやって来たから、どうやら仕事をしながら、何かの話もするつもりなのだろうと思う。
「サーブを中心にして何人かは、俵の製作を優先しろ。 荷下ろしは私たちでやる」
ラーリア様の指示で、ナーリアたちはすぐに俵を作るための作業に入った。
ナーリアがとりあえずの藁を作るために、千歯扱きで脱穀する。 その藁をセカンとレンスがそれぞれに木槌で叩いて、編むことが出来るように柔らかくする。 叩かれて柔らかくなった藁をサーブが手際良く編んでいく。 脱穀された実はまだ保存用の俵が出来ていないので、ディフィーが籾摺りをしている。 そして、いつの間にか赤ん坊を預けて来たミーレナさんが、籾摺りが終わった実を、殻と本体とを竹で編んだ大きなチリトリを使って分けている。
ミーレナさんが、赤ん坊たちを預かって一段高い方の部屋にいるアンにも聞こえるように、少し大きい声で言った。
「今年採れた初めての命の実だから、お昼はこれをメインにしましょう。
良いわよね、セカン、アン」
「そうですね、ミーレナさん。 ちょっと楽しみです」
セカンがすぐにそう答えた。
僕は心の中で、人間が食べるにはもう少し手を加えないと美味しくないんだよな、と思ったのだが、その僕の心を読んだようにアンが言った。
「ミーレナさん、人間が食べる分はもう少し手を加えないと美味しくないので、その分はこっちで私たちが子供を見ながらやりますね。」
木鉢を持ってアンが、大急ぎでミーレナさんの方に行った。
「えーと、人間はメリーを入れて8人か、ミーレナさん、お願いします。 できれば先にそれだけください。」
「アン、どうせナーリアたちも人間用も食べたがるし、そうするとラーリア様たちも味見と言い出すだろうから、15人分くらい人間用も用意して」
「あっ、確かにそうですね」
ミーレナさんが笑ってそういうと、アンも量を増やすために木鉢をもう一つ用意した。 大急ぎで木鉢の中で突き棒で突いて、美味しく食べれるようにするためだ。
僕とエレクも参加していた荷下ろしが終わり、ラーリア様たちも作業に参加した。 人数が増えて、一気に作業が進みだす。
「エレク、俺たちはもう一度集落に行って、麦の束をとってこよう」
「私も替わったから行くわ」
ナーリアがそう言うと、サーブが
「命の実の束を取りに行くなら力仕事だ。 私も行くぞ」
と動きかけたらミーリア様が、
「サーブ、あなたは俵作りを優先しなさい。 あなたの代わりに私が行って来るわ。 それにたまには普通の馬車の御者もしないと忘れてしまいそうだから」
ミーリア様は確かに力はサーブと比べても、今でもそんなに遜色ないけど、一人用の馬車はともかく普通の馬車を動かすのは下手なんだよなぁ。
今年初ものの命の実を食べるのは僕たちだけではなかった、赤ん坊たちもそろそろ、おっぱい以外のモノを食べ始めさせる時期だと、水に浸けておい柔らかくなった命の実を、すり鉢ですり潰して水と混ぜた物を飲ました。
僕とエレクは興味もあるし、なんとなく心配でもあって、赤ん坊たちがどんな反応を示すのだろうかと、真剣に見つめていたのだが、赤ん坊たちはみんな喜んでそれを飲んでいた。
そして飲み終えると満足したように、揃って寝てしまった。
「赤ん坊たちはどの子もきっと良く寝るわよ。
もうこのくらいになると、おっぱいだけだと腹持ちがきっと足りないのね。 命の実の汁を飲むと、満足して、おっぱいだけ飲んだ時よりも長く眠るのよ」
イクス様がそう言って、みんなに説明していた。 ここには、と言うかラミアの里には子育て経験者はイクス様しかいないから、経験者の言うことは重要だ。
「そう言われてみれば、レンスもそうだったような記憶があるなぁ」
そうだったラーリア様はレンスの時にイクス様の子育てを手伝ったのだった。 一応経験者なのかな。
でもそれなら、ラーリアのみんなや、ミーリア様も経験があるのではと思って僕は気がついた。
そうだった、きっと今の若い子や子供たちが赤ん坊の時には、命の実の汁を与えるのは、もう母親のラミアが死んでしまって、おっぱいの代用として仕方なく与えることになった時だったのだろう、と。
赤ん坊たちが完全に爆睡して、何故かついでにメリーも一緒に寝てしまい、昼食は落ち着いた雰囲気で始まった。
ミーレナさんの予想の通り、人間用に炊いた命の実も、ナーリアたちだけでなく、しっかりと全員が食べた。 実はミーレナさんもしっかり食べているのは、人間の食事作りの参考のためなのか、単純に自分も好きだからからなのか。
「新しい麦で美味しいことは美味しいのだけど、こうやって炊いたモノは僕は米の方が好きなんだ。
その点では早く秋が来ないかなと思う。 まだ夏にもなっていないのに、気が早いと分かっているのだけど」
エレクの妻のシルクがクスッと笑ったから、きっと昔何かあったんだろうなと僕は思った。
「エレクの言うことは、僕も同意するよ。 やっぱり炊くなら米の方がずっと美味い。 麦はパンだよな」
「でも、去年はパン種作り損なっちゃったんだろ。
僕たちも馬鹿だよな。 人間の妻の誰かに、パン種を持って来てと頼めば良かったのに、誰もしなかったんだから。
フカフカのパンが恋しいよ。 今からでも誰かしらに実家から送ってもらうようにすれば良いのか。
こっちから言わないと、まさかラミアの里にパン種がないなんて、人間は誰も気づかないだろうからなぁ」
エレクはかなりパンが食べたいのだろう、随分とクドクドとパンについて語っている。
「エレク、そんなにフカフカのパンが食べたいの。
それなら、この作業が終わったら、水車小屋で粉に引くから、そうしたら作るから食べにくれば良いわ。
それとも種をシルクに分けておこうか。 そうすれば、エレクの家でも作れるだろうし」
「アン、作れるの? パン種あるの?」
「うん、ほら私、母が死んで父が心機一転やり直しで、元居た家を引き払って馬車での旅をしていたから、家で使っていたパン種を、なんて言うか母の形見みたいな気分で大事に持って来ていたから。
この冬もちゃんと越えられたから、あるよ。
作ってみないと、エレクの好みにあうパンが作れるかどうかはわからないけどね」
「そうなのか、それじゃあまずは、食べに来るよ。 その後で種を譲って欲しい」
「分かった、良いよ。 パンを一度焼けば、今度はそのあまりを使って種を増やすのは難しくないから、分けてあげるのもそれからなら簡単だから。
それじゃあシルク、その時にね」
シルク以外の人間の妻たちも、みんなアンからパン種を分けてもらう約束をしていた。
どうやら、これからはパン食がラミアの里でも流行りそうな気配だ。
「アレク、あれでしょ、前に『やっぱり種がないとダメだ』と言って、葡萄を取りに行こうとした」
「ナーリア、よく覚えていたなぁ。 そう、あれ。
種は葡萄からも作れるんだけど、あの時はゴブを見つけちゃって、それっきりになっちゃったんだよなぁ」
「なんだか随分と昔のことに感じるけど、まだ半年と少しくらいだけしかそれから経ってない」
サーブがなんだか感慨深げなことを言った。 最近のサーブは時々、今までの感じからは外れたことを言う。 エーレアがアルフさんの秘書役をしているというのだから、それと比べれば大したことではないか。
「とにかく、なんだか分からないが、また美味いモノが食べられるということだな」
ラリオ様がそうまとめてしまったのだが、デイヴに食いしん坊キャラを感染されてないか。
ここまでは良かった。 ここまでは平和な作業日、平和で落ち着いた昼食だったんだよ、新しい麦で盛り上がったりはしたけど。
この後、エリから爆弾発言がさらっと飛び出した。
「そういえば、昨日、こそっと打ち明けられたのですけど、ソフィア、妊娠したかもしれないそうですよ」




