309. エーレア騒動
エレクの呼び掛けで集まった話し合いは、それからはほとんど話が出なかった。
ゴブの問題はこれで終わりとは言わないまでも、当分の間はないだろうと思っていた僕たちは、すごくガッカリしたのだが、それでも何も知らないでいるより余程良い。
「話は分かったけど、エレク、それだけで良いのか?」
ボブがエレクに訊いた。
「うん、僕もこの状態を把握して、これからどうしたら良いのだろうかと考えたのだけど、何も思い浮かばない。
自分では何も思い浮かばないから、みんなに相談したということでもあるんだよ」
僕たちはエレクのその言葉を聞いて、みんな自然とセカンとディフィーの方を見た。
「私たちを見たって、何も案はないわよ」 とディフィー。
「私たちに何か案があるくらいなら、もうラーリア様たちが何かさせ始めていると思う。
ラーリア様たちも、大型のゴブを想定した戦闘訓練以外、何も思いついていないのだと思う。
私たちが思い浮かぶ訳が無い」 とセカン。
ディフィーの自己評価が低いのは、もういつものことで改めて言うことでもないのだけど、意外にセカンの自己評価も低いんだよな。
僕に言わせれば、同じ条件で何かの策を考えるのだとしたら、ラーリア様たちよりも、セカンとディフィーの方が考えつくことが多いと思うのだけど。
セカンとディフィーの間では、自分たちはまだまだラーリア様たちに遠く及ばないと評価しているみたいだ。
「とにかく、この後まだ大型ゴブの来襲という事態がほぼ確実に起こるだろうという事を頭に入れて、常にどうしたら良いかをみんなで考えていて欲しいんだ。
今、言えるのはそれだけだよ」
エレクがこの日の集まりを纏める形で、この場を閉めた。
この後、ラミアの里は少し戦闘訓練が厳しくなったが、普段通りの日常を取り戻した。
戦闘訓練も、最初毎日だったのだが、少しすると1日おきに緩和された。 ラミアの里全体が毎日戦闘訓練に半日使っていては、日々の仕事が回りきらないことがすぐに分かったからである。
それに予想される大型ゴブの来襲は数年先であるのをラーリア様たちが思い出して、少し落ち着かれたということもある。
この情報自体は、僕たちを除くと、ラーリア様たちとミーリア様、そしてイクス様で止められて、他には秘されたようだ。
今回の集まりの情報が、意外にどこにも漏れなかったのは、一つ大きな理由がある。
エーレアたちは暫定的に僕たちナーリアの下で動くことになってからは、可能な限り僕らと共にあろうとして、常に僕らの動きに注意していた。 だから僕たちが何かする時は、その内容をエーレアたちに打ち明けるか、秘密にするかは別にして、エーレアたちには僕たちの動きを把握されていた。
そこからかなり多くのことが、ナーリアの姉妹グループには情報として流れてしまっていた。
ところが今回はエーレアたちは僕たちの動き自体を全く把握していなかったのだ。 エーレアたちは僕たちのことを注視するどころか、自分たちのことで手一杯。 僕たちナーリアよりも自分たちの方が注目を集めてしまい、大いに狼狽えていて、それどころじゃなかったのだ。
「エーレア、あなたたちって、確かに上位にはなっていたけど、人間の男の精を得て良いという許しまで得ていたの?」
エーレアたちは、仕事が終わり、もう日が暮れ掛けた里の前の広場で、ターリア、ワーリア、ヤーレアという姉妹たちに囲まれていた。
もう全員起きているし、暖かくもなってきているので、最近は水浴び場が前と同じように使われている。 温泉の心地良さを知っている身には、元の水浴びで身体を清めるのはちょっと辛いものがあるのだが、人数が増え過ぎて温泉は無理になっているので、基本は今まで通り水浴びと決まったのだ。
もう彼女たちも仕事の後の水浴びを済ましているのだが、エーレアたちは周りを姉妹たちに囲まれて汗をかいていた。
ワーリアのかなり刺々しい質問に、仕方なく答えたのは、同じナーリアの姉妹のエレオだった。
「そういう許しを得ていた訳じゃないけど、人間の砦まで行ってみたら、本当にどうしようもない事態だったのよ。
緊急事態で、許可をもらっているかどうかなんて考えている余裕もなかったのよ」
エレドも続いた。
「ここでも男たちが本当に大変だったでしょ。 砦でも同じような事態だったのよ。
それで、私たちは以前の戦いの時などに彼らと面識があったから、放ってはおけなかったのよ」
「確かにあなたたちは私たちと違って上位だから、早くに起こされて砦にいた人間たちにも知り合いがいたのだろうし、砦の場所にも前に行ったことがあった。
だから、噛み付いて毒を注入した結果を心配して確かめに行くのを、あの時点であなたたちが行ったことは、理に適っていると思う」
ターリルが言い出した言葉に、途中からヤーレファが取って替わった。
「でも、命令されたのは、噛み付いた結果に問題がなかったかどうかの確認であって、それを確認したら戻って来て報告することだったはず。
その晩には戻って来れなくて、一晩砦に滞在したのは仕方ないと思うけど、それから何日も戻って来なかった」
「結局、ウスベニメとモエギシュウメがどうしてるかを見に行った」
ヤーレルも付け加えた。
「だから、本当に、アルフさんとブマーの容体が悪くて、それどころじゃなかったのよ」
エーレルがちょっと焦ったそうに、なんて物わかりが悪いんだという感じで答えた。
「それなら、その2人の介護をするために2人残って、とりあえず3人は帰って報告するべきじゃなかったの。 1人では介護が無理というなら、せめてエーレルだけでも戻ってくるべきじゃなかったんじゃない。
エーレルは、確かキースのお兄さんの、えーと、そうだクラッドリングさんに精を貰ってたんだよね。 容態が悪かったのはデイヴのお兄さんのアルフさんとブマーだったんでしょ」
ターリルが同じ姉妹のエーレルの言い方にちょっと怒って、エーレルを問い詰めた。
「さっきはちょっと恥ずかしかったから口にしなかったけど、クラッドさんもとても調子が悪かったのよ。 指揮官補佐としてそれを表に出す訳にいかなくて、とっても無理をしていたのだけど」
エーレルがちょっと赤くなって弁解したのだが、その様子が何だか周りを囲んだ方に、余計に火に油を注ぐ結果となったようだ。
「そろそろ勘弁してあげなさい」
エーレアたちの周りを囲んでいた者の糾弾の声が一瞬途切れた瞬間に、その声は有無を言わせぬ調子で、その場の全員の耳に届いた。
その声を聞いてびっくりして、声の主に注意を向けると、案の定ミーリア様だった。 どうやら夢中になっている間に近づいていたらしい。
ミーリア様の言葉に誰も逆らえる訳が無い。 その場に居た者たちは皆、逃げるように里の各自の部屋を目指して去って行った。
「ミーリア様、ありがとうございます。 本当に助かりました。
もう私たち姉妹たちから、ずっと叩かれ通しだったんです」
エーレアがミーリア様にそうお礼を言うと、エレオ、エレド、エーレファ、エーレルも一斉に頭を下げた。
「お礼なら私にではなく、アリファに言いなさい。
ここの様子を心配して、私をわざわざ呼びに来たのだから」
「はい、後でアリファ様にもしっかりとお礼を述べたいと思います」
それでも結局エーレアたちのことについて、ラーリア様までが直々にターリア・ワーリア・ヤーレアたちに話をすることになった。
「お前たちが今回のエーレアのしたことに対して、面白くないと感じているのは私にも良く解る。 確かにお前たちにしてみれば、そうだろう。
お前たち姉妹の中で、ナーリアたちはちょっと特殊だし、アレクを自分たちで捕まえたということもあり、認めていたのだろう。 だが、エーレアは上位になっていたとはいえ、それは人数の補充の意味が強く、自分たちも里に対する功績では劣っていないと考えていたのだと思う。 確かにそれは正しい。
その姉妹グループが許可を受けもせず、勝手に男の精を得て、それによって脱皮して身体まで大きくなれば、お前たちに怒りが湧くのも理解できる」
ラーリア様はまずはそんな風に理解を示して、怒りを宥めるところから話を始めた。
「だがな、私はその一方で、エーレアたちが全てを忘れて、砦で看病に当たった気持ちも解るのだ。
お前たちが起きる前に、エーレアたちはアルフレッド殿、クラッドリング殿、そしてブマーたちとは面識を持っていて、これはお前たちも理解出来るだろうが、自分たちが精を得る相手として期待したのだ。 しかし、その後でアルフレッド殿とブマーが我々の近接戦闘訓練に加わってみたことがあって、その時は初めてのことで勝手が分からなかった2人は、スタミナ切れを起こして最後の模擬戦の時にエーレアたちにまで負けるという失態を見せた。
お前たちも分かるだろうが、それはこの里にいる男と比べると、とても情けない姿に見えたのだろう。 エーレアたちの彼らを見る目は、それ以来急激に冷めてしまっていた訳だ。
それが今回の事件で、彼らが武力もだがそれ以上に本当に強い男であることを、エーレアたちは改めて気付かされた訳だ。 そんな男が、ここに居る男たちと同様に苦しんで臥せっていたら、何もかも忘れてその男たちに付き添いたいと思ってしまう気持ちも解るのだ。
お前たちは砦に居る男たちとほとんど面識がないから、エーレアたちが勝手に男の精を得てきたという事実だけにどうしても目が行ってしまって、今のような気持ちになっている。 確かにそれは正しいのだが、やはりそれだけでは割り切れない大きな気持ちの部分があるのだ。
もちろん時によってはどれだけ大きな気持ちがあろうとも、それを抑え込んで行動しなければならない時もある。 だが今回のことは、そういう時が終わってからのことであるから、少し寛容に考えてやっても良いと思うのだ」
ラーリア様の言葉に、ターリア・ワーリア・ヤーレアたちは、自分たちがエーレアたちを狡いと思う気持ちが、先走り過ぎていて、それまでのエーレアたちと砦の男たちの関係なんて全く考えてもみなかったことに気がついた。 ちょっと反省した。 しかし、やはりエーレアたちが狡いと思う気持ちは拭えない。
「それとだな、人間の精を得られるのは許可されたラミアだけという決まりは、もう撤廃しようと考えている。
そもそもこの決まりはラミアが孤立していて、男の精を得られる機会がとても限られているので、出来る限り優秀なラミアの子を残そうなどと考えた非常時の決まりだ。
今では人間と、そしてハーピーとも同盟が締結され、良好な関係を作っていける目処が立っている。 非常時の決まりをそのまま続ける意味はない。
お前たちも、昔はラミアと人間とハーピーが一緒に仲良く暮らしていたのだという話を聞いたことがあるだろう。 その時代と同じように、自由に男を見つけて良いことにする。 これから本格的に町の復興が始まれば、もっと多くの人間もやってくることだろう。 お前たちのチャンスも広がるぞ」
ラーリア様は、そんな風に希望を持たせて去って行った。
結局、ちょっと騒ぎを起こしたエーレアたちの行為は、お咎めなしで許されることになった。
これにはクラッドさんが単騎ラミアの里にやって来て、ラーリア様たちにエーレアの行為に罰などを与えないで欲しいと訴えたことも大きかった。
「私は、正気を失っていたアルフレッド様とブマーをどの様に看護したら良いのか、途方に暮れていたのです。 そこにエーレア殿たちが来て下さって、その好意に縋り付いてしまったのです。 罪があるとしたら私にこそ罪があります。 エーレア殿たちには、何卒お咎めなきよう、お願いいたします」
クラッドさんはそれだけ伝えると、そのまま直ぐに砦へととんぼ返りに戻って行った。 無理をして、わざわざ来たのだろう。 キースとさえ、言葉を交わさなかった。
エーレアたちは、任される仕事に支障の無い範囲ではあるが、かなり大っぴらにラミアの里と砦の間を行き来するようになった。
もちろん、とても真剣に大急ぎで御者をする方法をアンに教わって、馬車を使うようになったのは言うまでもない。




