276. 調印の日に
その日の戦闘訓練は昼からの調印式のために軽く行われることになった。
僕はつい、「昼からは調印式なのに、訓練をするの?」と言葉にしてしまい、それを聞かれたラーリア様に、
「何を言っている。 今、最優先はゴブに対する備えだ。
戦闘訓練は可能な限り必ず行うに決まっているだろう」
と怒られてしまった。
それが悪かったのか、人間とナーリアはラーリア様たちの相手をすることになってしまった。
ちなみに珍しく、ナーリアもミーリア様との訓練ではなく、僕らと一緒の組となり、ミーリアはミーレアとの訓練となった。
普段は子供の世話に何人か当たるのだが、この日はアンとメリーに加え、人間の女性が奥方様も含め3人もいて、子供たちの世話を任せることが出来たので、ミーレナさんもそれに加わっている。
アリファ様もその組だ。
そして、その他は、なんとなくアーリア、アーレア、アーロアとエーレアが、ターリア、ワーリア、ヤーレアの相手をする形になっている。
護衛の騎士3人もそこに加わっている。
この組み合わせは、一つには防具の問題から分けられたとも言える。
まだアーリア、アーレア、アーロアは新しい防具を作り始めたところで完成までは遠いし、ターリア、ワーリア、ヤーレアたちは防具の作成まで手が回っていない。
護衛の騎士3人は最初サーブとレンスに案内されていたから、僕たちの方に混ざりかけたのだが、ちらっとカーライルさんが注意して、下の組に入っていった。
きっとブマーがエーレアたちに負けたという話をカーライルさんは聞いていたのだろう。
今回、時間が短かったので、基礎訓練で体力を使い果たすことがなかったからか、騎士たちは、ターリア、ワーリア、ヤーレアたちには当然勝ち、エーレアには苦戦したが勝ち、アーリア、アーレア、アーロアとは互角に戦った。
「この前のブマーの方が、もしかしたら強いんじゃないかと思うのだけど、今回は力負けしちゃったよ」
とエーレアたちはとても悔しそうだった。
逆にアーレアたちは、騎士たちがそれより前の試合で疲れてからだったので、負けずに済んで、エーレアたちに面目が立って、ちょっと安心した顔をした。
その下の組は騎士たちも参加したからか、少し余裕のある訓練だったのだが、上の組は、ラーリア様の
「今日は時間が短いから、少し激しく行くぞ」
という言葉のお陰で、僕たち人間とナーリアは、以前の様な地面に完全に伸びた姿にされてしまった。
あと同じように完全に伸びているのは、アレア様、ロア様、アリファ様だ。
アリファ様はミーレナさんに相手をさせられて、本当に何も手を出せずに、一瞬も気を抜けない状態で攻撃され続けたようだ。
完全に伸びているアリファ様だが、ミーレナさんは
「うーん、見ていた以上にアリファは硬いわね。
これだけ攻めたのに一本も有効打を与えられなかったわ」
とアリファ様を褒めていたけど、ミーレナさんは涼しい顔してるけど、アリファ様は久々に完全に伸びていますから。
ミーレアも僕たちほど完全にではないが、伸びているし、ミーリアも槍にもたれている状態で、
「ちょっと気合が入りすぎたか、さあ、大急ぎで簡単に体を清め、昼からの準備をするぞ」
とラーリア様が号令を掛けたが、肝心かなめの上の組はなかなか動き出せない有様だった。
「アルフレッドとブマーから話に聞いたが、ラミアは厳しい訓練をしているな」
「はい、どれほど先の戦いが厳しいものであったのだろうかと、私は今更ながらに考えてしまいました。
ラーリア殿がこれだけの厳しい訓練を課し、それに皆が食らいついていこうとしていることが何よりの証です」
「確かにこの訓練を見れば、今、砦の方でアルフレッドがブマーと共に『まずは基礎体力だ』と躍起になって騎士たちに基礎訓練をしているのが理解出来るな」
「はい、私でも同じことをするでしょう。
ストームの奴はとても嬉しそうですけどね」
ラミアでは唯一訓練に参加せず、子供たちと一緒にいたイクス様が、みんなの動きを差配している。
「今日は時間がないから、温泉に浸からないで浴びて汗を流すだけよ。
騎士さんたち、一番最初に入って汗を流してしまって。
残念だけど、今日はあなたたちも浸からずに流すだけで我慢してね」
次々と温泉に向かわされているが、僕たちは伸びていたので最後にしてもらえた。
正式な調印式は、その意味するところと、それをする為にした努力からしてみたら、本当に呆気なく、簡単に終わった。
人間、ラミア、ハーピーのそれぞれの種族が敵対しないで協力することを定めた項目と、共同してゴブの脅威に対処することだけを定めた協定文書を記した書類が4通作られ、そのそれぞれに各種族を代表して、領主様、ラーリア様、ハルオン様が署名しただけのことだ。
4通同じ物が作られたのは、各種属が持つ物がそれぞれ1通づつ、そして図書館に保管する物が1通だ。
その署名の式を見守ったのも、本当に僅かな人数しかいない。
人間は僕たちラミアの里に暮らす者を除けば、奥方様とカーライルさん、そして騎士たち3人だけ、ハーピーもシロシュウメ様にエルシム様といつもの5人のみ。
ラミアも、ラリオ様、ラーリド様に加えて、イクス様とミーリア様、そして今回の件に最初から関わっていたことと、使われたのが僕らの家だったので、僕たちナーリアとデイヴとキースがその場にいただけだ。
ミーレナさんは式の場には出ずに、竃のところで簡単な式が終わってからのお茶を用意していたので、アンはそれを手伝おうとしたのだが、領主様が
「アン、お前は今回の同盟にあたり、本当に大きな貢献をした。
お前とメリーの大きな痛みを伴う貢献がなければ、今回の同盟は成立しなかった。
お前とメリーも、この正式な調印をぜひその目で直に見届けて欲しい」
と、それまでアンとメリーに接する時に出していた、優しさを感じさせる声ではなく、ちょっと厳かな敬意を込めたような声で調印の場に留まらせた。
アンは、その声に一瞬ビクッとしたのだが、それに従いメリーと共にナーリアの列に並び、式を見守った。
行ったことはハーピーのハルオン様に合わせて、立った状態で署名できるようにした机で、無言の内に3人が署名しただけのことだ。
どうということもない作業を終えた時、領主様は涙を拭うハンカチが絞れるのではないかと思うほどだったし、ハルオン様も上を向いて涙を堪えていたが、堪えきれずに涙が落ちた。
ラーリア様だけが2人とは違い冷静な顔をしておられた。
見守った者も、奥方様とカーライルさんは涙を流していたし、シロシュウメ様とエルシム様の頬も涙がつたっていた。
イクス様はそれらの様子に、なんていうか理解できるという顔をしていたが、僕たちもだが、他の見ていた者はその泣いている年長者の姿に驚くばかりだった。
式が終わってからは、同盟の正式な成立を祝っての祝宴となった。
とは言っても、現時点でそんなに色々な食材がある訳でもないので、アンがミーレナさんとセカンに手伝ってもらって、出来る限りの料理を作ったりはしたのだけど、まあ、ささやかな祝宴だ。
それでもラミアの地で行われる事としてはとても珍しいことがあった。 というのは、領主様が祝宴のためにと、酒を持って来られたからだ。
ラミアの里には、厳しい食糧事情の時が長かったからか、僕は女性体のみの種族だからの可能性もあると思うのだが、酒を作ったり飲んだりする文化がなかった。
ハーピーはというと、ハルオン様が
「祝い酒というのは嬉しいな。
私たちハーピーも酒を嗜む文化というのはあったのだが、人型のハーピーが居なくなってしまって、酒作りがうまくいかなくなってしまい、飲みたくてもなかなか入手ができなくなってしまっておったのじゃよ。
だから若いハーピーは酒の味を知らぬのじゃ」
と領主様に解説していた。
「ということは、なんだお前ら酒は飲んだことないのか?」
デイヴがアライムたちをからかおうとしている。
「確かに酒の味は知らないな。
そんなに特別な上手い物なのか?」
アライムがあまり関心なさそうにデイヴに答えていると、レンスが横から口出しをした。
「味は私には美味しいのかどうか、よくは分からなかった。
だけど飲むと少し体が暖かくなって、ちょっと独特」
「ふーん、なんか独特な物なんだな」
ハライトが興味を引かれたみたいだ。
まあ、ナーリアたちは領主様の館の食事の席で、ラミアでは珍しく、酒を口にした経験があるからね。
ハルオン様の周りには、当然の事ながら、その場の言えば偉い人たちが集まっていた。
その人たちを前にハルオン様は言った。
「私は酒に強い方ではないのでな、酔ってしまう前に、幸い近くに人間の領主であるロンダイル殿、ラミアの代表であるラーリア殿が居るので、先にハーピーの代表としてお願いをしたいのだが良いだろうか」
改まった口調だったので、領主様が姿勢を正して聞き返し、ラーリア様もそれに頷いた。
「ハルオン様、一体どの様なことでしょうか?」
ハルオン様はグラスをテーブルの上に置いて、真剣に話す姿勢を取られたので、領主様とラーリア様もそれに倣った。
すぐ近くにいた、シロシュウメ様、エルシム様、カーライルさん、イクス様、ミーリア様もそれに倣ってしまった。
その場にいた他の者もその様子に気がつき、グラスをテーブルに置くまではしなかったが、皆飲み食いを止め、静かにしてハルオン様の言葉を聞く姿勢になった。
「少し前に、ロンダイル殿はハーピーに何か褒美を与えたいと言ってくださったが、ハーピーは保留扱いにして欲しいと返答した」
「はい、でもそれは人間の内部事情に寄ることですので、お気にしていただくことではありません」
領主様はそうハルオン様に答えると、ハルオン様はちょっと笑って、
「いやいや、ハーピーはその褒美をぜひとも貰いたいんじゃよ」
と今度は真剣な顔をして言った。
領主様は、自分の予想と違う方向だったようで、ちょっと戸惑った感じで言った。
「はい、私たち領主家で出来ることでしたら、どの様なことでも承ります」
「実は、即座に返答しないで保留にしてもらったのは、我々ハーピーが欲しい褒美は人間だけでなく、ラミアの協力も得ないと得られない事柄だったからなのじゃよ。
だから、その場では返答できず、時期を待つ必要があったのじゃ」
「えーと、どの様なことでしょうか?」
ラーリア様も、思わぬ形でラミアも関わる話となったことに戸惑いを見せた。
「実は今、ハーピーの里は崩壊の危機を迎えている。
それはハーピーの数が減ってしまったことで理解できると思うが、それだけでなく、物理的な意味でハーピーの里は崩壊を迎えているのじゃ」
物理的な意味でってどういうことなのだろうかと僕は思ったのだが、ハーピー以外は皆そう思ったようだ。
みんなの顔から、疑問に思ったことを察したハルオン様は言った。
「ハーピーの里に来たことがある人間なら分かるだろう。
ハーピーの里はどの様な場所だった?」
「ハーピーの里は、山の頂に近い位置にあるなあ」
デイヴが少し呑気な感じの声でそう言うと、キースがその呑気な声を少し咎める調子で付け加えた。
「山頂に近い、もう樹木のないところに、石で住居が作られていました」
僕はハタと気がついた。
「あ、わかりました。
今、ハーピーは人型のハーピーが居なくなって困っているとの事でしたが、僕はそれは火が使えない事ばかりが問題になっていると思ったのですが、それだけじゃなくて、石を組んだりする作業にも問題が起きていたのではないでしょうか」
「その通りじゃ。
他種族はハーピーというと、今の我々の様な鳥型ばかりを考える様だが、実はハーピーは元々は鳥型は全人口の1/5くらいで、人型に近い方と共に暮らす人間の方が多いくらいの種族じゃったのじゃ。
それが大火の時に逃げ延びた数が、鳥型が懸命に助けようと飛び回りはしたのじゃが、鳥型と人型及び共に暮らす人間との割合が半々程度になってしまったのじゃ。
そしてそれ以降、人間が加わらなかったので、鳥型ばかりになってしまった。
鳥型では、足の力は強く、石を運ぶ事くらいはできるのだが、手は羽を動かすことは力強く出来るが、他のことは上手く力を使えないし、それ以上に細かい作業が羽が邪魔で出来ないのじゃ。
するとどういうことになるかというと、ハーピーの里の建物や、石を組んで作った広場、道などの補修さえ出来ないのじゃ。
だから、昔は人型や人が行き交った道も崩れ、今では使えず、里の中の移動さえ飛べねばできない始末じゃ」
シロシュウメ様とエルシム様は苦い顔をしているが、若いハーピーたちは、「えっ、そうなの?」という顔をしていた。
きっと、彼らにとっては人型が歩いて行き交っていたなんてことの方が、考えてもみなかったことなのだろう。
「そういった訳でハーピーの里は使える場所や建物も、以前から比べるとどんどん減っているのが実情だ。
ハーピーの数自体が減っているので、それが問題になってこなかっただけのことじゃな」




