204. 昇格と帰還
近接戦闘訓練の後、温泉から上がって食事をしていると、イクス様がミーレオ様に言った。
「ミーレオ、ちょっとお願いがあるんだけど、良いかしら」
「はい、イクス様、私に出来ることでしたらどんなことでも承ります」
事情が分かっている僕たちは、黙って成り行きを見ていた。
「ミーレオ一人という訳ではなくて、ミーレアのみんなにってことなのだけど良いかしら」
「もちろんです」
「今、これからの時間何か特別に仕事があるかしら、あるなら頼めないのだけど」
「いえ、私たちは無理を言って訓練のために起きただけですから、まだこれといった仕事をしている訳ではないので、大丈夫です」
「そうなの、それなら良かったわ。
それじゃあ、ナーリアたちを手伝って、櫨の実採りをして欲しいの。 お願いね。
きっと体が冷えるから、仕事が終わったらもう一度温泉に入って温まれば良いわ。 ミーレナに頼んで、お茶でも用意しておくわ」
「アレア、大変ね。 頑張ってね」
「アーロア、なんでお前は逃げようとしているんだ。
アリファは片手だと効率が悪いから免除なのは分かるが、お前はなんで逃げているんだ」
「やーねー、アレア。 私はアーロアであって、ミーレアじゃないわ。
今回、イクス様から請け負った仕事はミーレアの仕事であって、アーロアの仕事じゃないから、私は関係ないわ」
そのやり取りを面白そうに聞いていたラーリア様が言った。
「アーロア、正式発表は春になって全員が起きてからになるが、お前も昇格してミーレアだ。
今のお前の実力でアーロアは場違いだからな。 これからはミーレアの一員として振る舞うように。
ま、アリファの物品係と同じで、今からその立場に慣れた方が良いだろう」
「え、ラーリア様、私は春からで十分なのですけど」
「アーロア、何つまらないこと言っているの、即座に拝命しなさい。
あと、アレアと同じように、アーロアと名乗っているのは問題があるから、他の名前にしなさい」
ミーリア様が、あっさりとアーロア様のちょっとした抗議を撥ね退けた。
アーロア様は膝をついて頭を下げる拝命のポーズをとると
「アレアと同じ略し方も芸がないので、アーロオと同じ略し方にします。
ロアと名乗ります」 と言った。
その時のアーロア改めロア様の顔が、普通なら昇格を喜ぶはずなのに、とても渋い顔だったので、僕たちも可笑しかったのだが、イクス様、ラーリア様、ミーリア様は今にも吹き出しそうな顔をしていた。
「そうそう、セカンがみんなの分も手を保護するための皮の手袋を作ってくれたわ。 かぶれないように、しっかり着けて行ってね」
イクス様に手袋を渡され、僕たちと共にミーレアの10人が採取することになった。
「アーロア、頑張ってね」
アリファ様が気の毒そうにロア様に言った。
「さあ、ロア様、頑張ろうじゃないか」
反対にアレア様は満面の笑顔でロア様に言った。
櫨の実採りはミーレアという強力な助っ人のお陰でとても捗った。
その次の日には、もう蝋作りをした。
櫨の実を袋に二重に入れ、それを一輪車に載せて源泉に近い所の温泉の枡に持って行って、枡の蓋を開けて温泉の蒸気で蒸した。
しっかり蒸しあがったら、それを先に作っておいた溝をつけた枠に入れて、上から棒でテコの原理を使い、力をかけて押しつぶす。
そうすると溝から蝋が流れ出してくる。 それを集める。
これらの作業はナーリアとサーブとレンスに任せた。
それで作られた蝋がある程度溜まったら、それをアンとメリーが家に居る僕に運んで来る。
僕はデイヴと共に、その運ばれてきた蝋をもう一度溶かし、それを少しずつぬるま湯に垂らして再度固まるのを待つ。
こうすると蝋がもう一度固まるまでの間に、ぬるま湯の中に不純物が溶け出して、綺麗な蝋が作れるのだ。
それで固まった蝋を取り出して、水気を乾かせば木蝋の出来上がりだ。
出来上がった蝋を、今度はセカンとディフィーがまた溶かして、あらかじめくぼみを作っておいた板に流して、綺麗に馴らして、蝋板を完成させていった。
書くための鹿の角の棒は、後でゆっくり作れば良いだろう。
僕とデイヴ、そしてセカンとディフィーが家での仕事をしているのは、キースの帰りを待っているからだ。
僕らは最近は食堂のようになっている作業場の1箇所を片付けて、これらの作業をしているのだが、本来の家の方には、イクス様とラーリア様、ミーリア様が来ているし、ミーレナさんも昼から残っている。
そしてキースを心配してラーリン様も居る。
話を聞いたミーリン様もキースを待っていたかったようだが、キースが戻ってきてからの話をあまり多人数でしたくないからと、「ちょっと我慢して待っているように」とミーリア様に言われて、不承不承戻って行かれた。
正直に言うと、僕もデイヴも落ち着かず、作業がおざなりになっている。
難しい作業ではないし、多少注意力が散漫でも問題のない作業で良かった。
セカンとディフィーも落ち着かないようで、二人は竃の直接火が当たらない部分の暖かさで、なるべく平らな鍋底を温めて、それを使って蝋を平らに均しているので、竃と作業場の間を行ったり来たりしている。
その都度出入り口の側を通るので、そこを通る時には毎回外を気にしている。
僕たちも外の音を気にしている。
まだかまだかとじりじりした時を過ごした。
作業場に戻って来ようとしていたディフィーが、急に外への扉を開いた。
外を見たディフィーは、中に向かって声をあげた。
「戻ってきたわ」
僕たちは一斉に外に出ようとしたのだが、ラーリン様のスピードと勢いには誰も敵わなかった。
「キース、大丈夫? どこか怪我したりとかしてない?」
ラーリン様はキースの両肩を両手でがっしりという感じで掴んで、キースに訊ねている。
「ラーリン様、大丈夫ですよ。 何も危険なことはありませんでした。
それより、そんなに急いだら、お腹の中の卵がびっくりしちゃいますよ」
「ああ、良かった。 安心したわ」
ラーリン様はキースの肩から手を離し、その手を背の方に回して、キースを抱きしめた。
キースもラーリン様の腰に手を回して抱きしめていた。
キースの後ろには、ハライトが居て、その後ろにエレオンとアライムも舞い降りてきた。
僕とデイヴもキースに声を掛けた。
「「キース、お帰り。 ご苦労さん。」」
「ああ、ただいま。 上手くいったぜ」
ナーリアたちも家に戻ってきた。
「作業まだ終わってないけど、気になったから戻ってきちゃった。
また明日にでもやれば良いよね」
「ああ、そんなに急ぐこともないだろうから全然構わないぞ。
イクス様、構いませんよね」
「ええ、そんなに急ぎはしないわ」
ナーリアたちはエレオンとアライムが飛んで来たのに気づいて、急いで戻ってきたらしいが、ナーリアたちと共にウスベニメとモエギシュウメもやって来た。
やはり気になったのだろう。
人数が増えたので、作業場の方でキースの話を聞くことになった。
素早くミーレナさんがお茶を用意してくれた。
本当にミーレナさんが左手が使えず右手だけというのが信じられない気分になる。
「えーと、報告ですが、俺の昔の仲間というか、幼馴染を見つけて、秘密のうちにデイヴの父親、つまり現領主様と会う段取りをつけることが出来ました。
ただし、今のところ伝えたのはデイヴが生きていることと、とても重要な話をデイブが領主様にしたいと思っている、と伝えただけで、他のことは何も話していません」
「お前の家族にも、お前が生きていることをちゃんと伝えてきたか?」
デイヴがキースのことを思ってだろう、そう訊いた。
「いや、それは伝えていない。 というより俺が会った奴にも秘密にしてくれと念押しした」
「なんでそんなことを。 お前の家族だって、きっと心配して心を痛めていただろうに」
「ま、そうなんだが、今回はまだ秘密にしておいた方が良いし、秘密はどこからバレるか分からないからな」
「なんだか、俺のことだけ伝えてもらって、すまないな」
「何言っているんだ。 俺だけじゃないだろ。 ここにいるアレクだってそうだし、他のみんなも同じ立場だろ」
「そうなんだよな。 俺だけなんだか申し訳ない気分だ」
「一面、お前を利用しているようなものでもあるのだから、そんなことは気にするな」
僕はデイヴにそう言った。
「それで具体的にはどんな段取りがついたの?」
ディフィーがキースに先を促した。
「うん、明後日に領主様がお忍びで館から町に遊びに出てくることになった。
その時に偶然、狩人の話を聞く機会が出来て、狩人の面白い話を領主様がもっと聞かせろとせがんで、あまり人目のあるところも憚られるから酒場の個室で話を披露することになったんだ」
「なるほど、その狩人というのが俺たちということだな」
デイヴがそう納得すると
「いや、お前はダメだ。 今度は俺とアレクで行く」
「えっ、なんで俺だけ置いてきぼりなんだ」
「お前はあの町では顔が知られているだろ。 いくら体型が変わっていても、お前だと気づく奴がいるかもしれない。 そしたら、行方不明と思われていた息子と父親が秘密に会っているということになってしまう。
絶対にダメだ。 お前の出番は、その次だ。 我慢しろ」
キースの言うことはとてもまともだったので、デイヴも反論のしようがないようだった。
僕はデイヴの肩を叩いて言った。
「次はキースと俺に任せろ。 今度の人間との交渉はお前が一番のリーダーだ。
リーダーは我慢して待っているのも仕事だぞ。
そうだよな、ナーリア」
急に話を振られたナーリアはびっくりして言った。
「そ、そうね。 待っているというのは、自分で経験してみたら、思っていたよりずっと大変で、辛いけど、それも仕事の内ね。
あれっ、これってグループのリーダーの話じゃなくて、指揮官の話のような気がするのだけど、いいのかな」
「ああ、どっちでも構わない。
とにかく、そういうものなんだ。 デイヴ、今回もう一度我慢しろ」
デイヴは何となく腑に落ちないという顔をしたが、仕方なしに了承した。
このやり取りを見ていたミーリア様が、どこかツボにハマったのだろう、声は我慢して抑えていたが、顔を真っ赤にして腹と口を押さえて笑っていた。
「それでキースは次の時に、デイヴの父親にどんな話をするつもりなの?」
今度はセカンが話を進めようとした。
「うん、まあ、その時の調子と、どのくらい領主様が時間を取れるかにもよると思うのだけど、できれば全て、とりあえずは伝えたいと思う。
最低限でも、今回の野盗を装って商隊を襲ったことや、今までも同じことをラミアのせいにしてやっていたらしいことは伝えるつもりだ。
それで、一人で伝えたのでは、信じてもらえないかもしれないけど、二人なら一人よりは真実味が増すだろ。 それにアレクも行けば、俺だと話に漏れている部分があるかもしれないけど、最も詳しいからな」
「えーと、俺たちからも一言いいかな。
今日、砦から連絡係だと思われる騎馬があの洞窟に行って、とても慌てた様子で砦に戻って行ったぞ。
この情報は、次にお前たちがデイヴの父親に会う時に役に立つんじゃないか」
エレオンがそう言った。
「それ、ちょうど良いわ。
きっと砦では、洞窟に何もない状況を知って、色々と大騒ぎになっているわ。
そんなことを領主にすぐに知らせるはずはないから、その情報を伝えれば、キースの言うことが真実であることを証明する良い材料になるわ」
ディフィーがそう言って、エレオンの情報を喜んだ。




