8 水面下
「陛下、隣国に戦争を仕掛けるご判断を」
天璟の執務室には、ひっきりなしに家臣が出入りしていたが、今はそれが一時的に止まっている。天璟の前に並び立つ二人の家臣は、戦争推進派であった。
「……戦争など、そう簡単に言ってくれるな」
碧海国は大きな国であったが、周辺諸国との友好関係については無関心なままであった。
碧海国の北は海に面しており、隣国といえば東と西と南の三国。いずれも碧海国よりも小規模であり、戦争になったとしても物量による圧勝が目に見えている。
そのせいもあって、外からの攻撃には特に対策もせずにいられたのだ。
……父上の尻拭いの役目がこんなに早く回ってくるとはな。
天璟は心の中で、空の上にいる前皇帝に文句を言う。父の生前にそんなことを口にしたら、どんな目に遭わされるかわかったものではないが。
「隣国が、世代交代をしたばかりの我が国を好機と見てくるやもしれません」
「我が国に攻撃を仕掛けてくるのも、時間の問題でしょう」
「すぐにでも、隣接国を武力制圧すべきです」
口々に家臣たちは判断を急かしてくる。
……参ったな。
顔には出さないが、天璟は冷や汗をかいていた。
戦争をするには、国自体に体力がいる。長期戦になってしまった場合、碧海国の民たちは耐えられるのだろうか。
そもそも、相手の情報が少な過ぎる。何の武器を使う? 戦法は? 戦力は何人規模だ?
……こんな状況で判断など。
「しばし待て」
天璟の言葉に、二人の家臣は眉をしかめた。
「なぜですか! 先に戦争を仕掛けられ、後手に回ってしまっては不利になります」
戦争で最も大事なのは情報であろうに、と天璟は奥歯をぎり、と噛み締めた。
「……まさか、戦争をする勇気がないのでは?」
煽るように言ってくる家臣。皇帝を煽るなどあり得ない。天璟の一言で死刑になってもおかしくないが、天璟がそれをしないことをわかっているのだ。
……やはり、突然皇帝になった俺をまだ信頼しきれていないのだな。
天璟は自嘲する。湧いてくるのは怒りではなかった。
俺が部下にみくびられてしまっては戦争どころではない。何とか、先延ばしになるよう言いくるめないと。
「戦争をするにも、まずは物資が必要だろう」
「……ですが」
「聞け」
天璟が強く言えば、流石に二人の家臣も口を閉じる。天璟は冷静に二人を諭す。
「武器、食糧、馬。これらの物資もなく、たった今判断を下したとて、戦う人間の準備ができていなくては、ただの負け戦にしかならない」
「しかし、国力の差は歴然で……!」
「それをひっくり返される可能性が高まると言っているのだ」
口を挟む家臣をピシャリと否定した。
「開戦の命が下ってから手配するようでは、混乱を招く恐れがある。戦争を始める寸前まで、自国の民にすら気づかれないようにしたほうがいい。そうすることで、戦争をする気がないのだと、敵をも欺くことができる」
「…………」
「何か反論はあるか?」
「おっしゃる通りでございます」
二人の家臣はようやく納得したようだった。
本来なら──父上なら、家臣の説得など必要なく、すべてを独裁し反逆する者を処刑していくだけだったんだろうが、天璟はそのやり方が好きではなかった。
優しい面と厳しい面、どちらも持ち合わせている父は尊敬もしていたが、やりすぎだと思う部分もあった。
「お前たちは武器の用意を秘密裏に進めておいてくれ」
「はっ!」
ようやく家臣たちは拱手してから執務室を出て行った。
ひとまず、難は乗り切ったか……。
「天璟様。失礼いたします」
肩の荷が下りたのも束の間、入れ替わるように、一人の武官が入室してきた。
「あぁ、劉帆。来てくれたか」
天璟は劉帆の姿を目に留め、ほっと胸を撫でおろした。
劉帆は美しい武官だった。決して線が細いわけではないが、端正な顔立ちをしており、武官の中でも唯一後宮での出入りを許されている。天璟が一目置いている武官であった。
その美貌のせいで、後宮の妃という身分を持ちながらも言い寄ってくる女が出てくるほど。
「また戦争推進派ですか」
「そうなんだ。懲りもせず頻繁にやって来る。彼らの言うことも理解できるが……俺はなるべく人を傷つける戦争なんかしたくない」
頭に乗った重荷を振り払うように首を左右に振る天璟。劉帆はそっと歩み寄り、天璟の肩に手を置いた。
「天璟様、あまりご自分を責めずに」
「劉帆……」
天璟は肩に置かれた劉帆の手に、己の手を重ねた。劉帆の手は、天璟よりもゴツゴツとして大きかった。幼い頃に触れていた父の手のようで、触っているとどこか安心する。
「頼んでいた家臣たちの調査はどうだ?」
「戦争推進派の数は増え、不満は溜まっていく一方でございます」
「そうか……」
このまま自分が曖昧な態度を続けていれば、謀反が起こるかもしれない──そうなれば対外諸国の対応どころではなくなってしまう。
「いい加減、腹を決めないといけないな……」
「仰せのままに」
決意を固める天璟に、劉帆は頭を下げるのみだった。
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