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後宮の釣り姫  作者: よこすか なみ
第1章 魚嫌いに魚を食わせる
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10/16

9 自分の手で

 月瑤《げつよう》が、魚の入った桶を持つわたしを背負って後宮まで走る。


 ミミズを入れていた桶は持てなかったので置いてきた。いずれまた取りに行くつもりだ。


 月瑤の背中におぶわれながら、こんなに良くしてもらって、なんとなく居心地の悪さを感じる。


「は、速いですわ……!」

 前世でやっていた、わたしの始業ギリギリ全力疾走チャリより速いんじゃないかしら……!?


「あんまり喋ると舌噛むよ」

「……っ!」


 注意されて口を閉じる。林から後宮まで、あっという間に到着した。

 しかも桶の水もこぼれていない。


 どんな体幹をしているの……!?


 もう少しで宮城《きゅうじょう》というところで月瑤はそっとしゃがみ、わたしに背中から下りるよう促す。向かい合って立つと、わたしのほうがやや高い。


「アタシは陛下に報告に行ってきます。清蘭《せいらん》様はご自身の宮殿に戻られて……」

「では、わたしは厨に行って、ハゼを捌いて参りますわ」


 これからの方針を説明する月瑤。わたしも名案があるとばかりに提案するが、返ってきたのは、

「はぁ!?」

 という大きな声だった。


「ハゼを捌く? 料理人に預けるじゃなくて? どういう状況かわかってます? 清蘭様、殺されかけたんですよ!?」


 まったくもってその通り。

 わたしはニコリと武道の達人に笑いかけた。


「でも、月瑤がいるから安心ですわ」


 確かに襲われた直後は恐ろしかったが、月瑤の強さを間近で実感してしまった。そして何より、早くハゼを捌きたい。


「あ、あんたねぇ……!」

 月瑤は慌てたように片手で顔を隠した。頬が少しだけ赤くなってる。


「照れてます?」

「照れてない!」


 わざと顔を覗き込もうとすると、ピシャリと否定されてしまった。

 仕切り直すように、月瑤は咳払いを一つする。


「わかりました、厨に行ってください。後宮の中なら誰かに襲われる心配もないでしょうし、アタシも報告が終わったらすぐ清蘭様のところへ向かいますから。釣り竿も清蘭様の宮に置いてきます」


 それじゃあ、と踵を返す月瑤の背中を呼び止める。彼女が振り返ると、金髪がふわりと揺れて美しかった。


「何か?」

「わたしが月瑤を武官に推薦できないか、交渉してみますわ」

「え……」


 月瑤は目をぱちくりさせて一瞬だけ硬直した。

 守ってくれたのだから、何かお返しをしなきゃ。


「見事な身のこなしでした。命を助けて頂き、本当にありがとうございました」

「え、あ、それくらい、当然の……」


 彼女は両手を振りながら、しばらく視線をうろつかせたあと、意を決したように拝礼した。


「推薦の件、よろしくお願いします」

 少しだけ、月瑤の肩が震えているような気がしたが、わたしは見ないふりをして笑顔で答える。


「お任せください。わたしを守り抜いたという立派な実績、きっと正当に評価されると思いますよ」


 わたしは天璟様のもとへ向かう月瑤と別れて後宮に入って行った。真っ直ぐに厨を目指す。

「すみません、厨《くりや》を一部貸して頂けませんか?」


 厨で声を張り上げると、夕食の下拵《したごしら》えに取り掛かっていた全員が振り向いた。そして驚きと困惑の声を口々に上げている。


「賢妃《けんひ》様、どうされましたか?」


 そんな中、一人の年配女性がわたしの前に出てきて、拱手《こうしゅ》した。尚食局長《しょうしょくきょくちょう》──厨のリーダーの女官だ。


「魚を釣ったので、捌いて調理したいのです」

 わたしは手に持っていた桶を見せる。ハゼは水中でじっとしていた。


「でしたら、我々に任せて頂ければ……」

「いいえ。わたしの手でやりたいのです」


 強く言い返すと、尚食局長は苦笑いの表情のまま黙り込んだ。

 しばらく視線を交わし合う。彼女の口元こそ笑っているが、目は笑っていない。なんだか前世の職場にいた御局様を思い出した。


「賢妃様に何かあっては、わたくし共がお叱りを受けてしまいます」

 わたしは言葉に詰まってしまう。わたしのせいで他の人が不利益を被るのは望むところではない。


「で、すが……」


 ハゼの入った桶を持つ手に力が入る。

 釣った魚を、自分で捌いて、天璟様に召し上がっていただく。

 わたしはそれをやり遂げなければならない。

 釣りの理想郷のためにも。


「わたしは天璟様の命を受けていますので、大丈夫です」

「天璟様の……」


 尚食局長はしばらく思案していたが、天璟様の名を出したのがよかったのか、優しく笑いかけてくれた。


「くれぐれも怪我には気をつけてくださいね」

「ありがとうございます!」


 許してくれた厨の方々には頭が上がらない。


 釣りに行く際に軽装に着替えていてよかった。元々着ていた、着物を羽織ってるみたいな長袖だったら調理なんてできない。


 わたしはいそいそと指定されたスペースに桶を持っていき中の水を捨てる。ハゼを掴むとビチビチと暴れた。


「まずは締めないと」


 まな板の上にハゼを乗せ、包丁の先をハゼの目の上あたり目掛けて突き刺す。


 ビクッ!!


 ハゼは一瞬だけ暴れ、すぐに力を失ったように動かなくなった。久しぶりの感覚だ。前世ですら、そもそも釣れなかったら調理もできないのだから。魚を捌く機会に恵まれていたわけではない。


 いつだって捌くときはワクワクする。大変ではあるが、今回はハゼ一匹なのでワクワクの圧勝だ。


「じゃあ、鱗を落として……」


「清蘭はどこだ!!」

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