7 差金
「おい、両手を上げてしゃがめ。こいつを傷つけられたくなけりゃな」
「んーっ!」
わたしは身を捩らせてみるが、びくともしない。
「聞こえねぇのか!?」
行動に移せない月瑤に男が怒鳴りつけると、月瑤は「わかった!」と両手を上げた。
「言う通りにするから、清蘭様に乱暴するな!」
両手を上げたまま、片膝を地面に下ろす月瑤を見つめながら、わたしは策を巡らす。
確か、ミミズを切った後の小型剣は月瑤が持っているはず。
きっと、男に一瞬でも隙が生まれれば、月瑤がなんとかしてくれる。
顔を掴まれていて動けないので、眼球だけであちこちを探る。
何か、何かないか、隙を作る何かが……!
視線は月瑤の近くで止まった。そうだ、月瑤がしゃがみ込んだ近く、草むらの影に隠れて“アレ”を置いたはずだ。“アレ”が目眩しになるかもしれない。月瑤なら上手く使ってくれる。
月瑤……! 気づいて……!
わたしが必死で何度かパチパチとウインクをする。
「……?」
怪訝な表情をしていた彼女だったが、後ろの草陰にある“アレ”に気づいたようだ。
「おい!」と月瑤は声を荒げて、男と交渉する。
「言う通りにする! するから! 清蘭様だけは離してやってくれ!」
月瑤は目に涙を浮かべ、掠れた声で懇願した。膝をつきながら、頭を下げる姿は演技とわかっていても痛々しい。
悲痛な叫びに、男は下品に笑った。布巾で口元が隠れていてくぐもった声が不気味さに拍車をかける。
「ものわかりがいいね、金髪は高く売れそうだからな。俺について来い」
男はわたしを掴む手を緩めないまま、一瞬だけ月瑤から目を離し、進行方向へ体を向けた。
「あの、でも、なんか……妙じゃないか?」
月瑤が不審そうに呼びかける。心の底からおかしなものを見たような物言いに、男は無防備に振り返った。
「あ? どこが……」
すでに月瑤は足元にあった“アレ”──桶を振りかぶっていた。暴漢の顔に、ハゼごと水を叩きつける。
バッシャン!
「ぶわっ!?」
ナイスすぎますわ!
勢いよく水を顔面に食らって男が怯み、わたしから手を離す。その隙に飛び出し、月瑤の元へ駆け寄った。
月瑤は滑らかな動きで、手品みたいに体のどこからか一瞬で小型剣を取り出すと、姿勢を低く保ったまま、男との間合いを一気に詰める!
わたしが月瑤のいた場所へ辿り着く前に、月瑤は男の懐に入ったようだ。
ゴッ!
背後から鈍い音がした。
「ぐはっ!」
振り向くと、月瑤の小型剣の柄が鳩尾に深くめり込んでいた。唾液か胃液かわからないものが、男の口から吐き出される。
男が苦しそうに腹を押さえてしゃがみ込むのに合わせて、月瑤が男の背後に回り、首に小型剣を突きつけた。男の目元を手で覆い、視界も奪っている。
なんて鮮やかなの。
つい拍手をしそうになって、場にふさわしくないと思いとどまる。わたしはこの一瞬を美しいとすら感じてしまった。
「誰からの差し金だ?」
月瑤が小型剣を男の喉に当てると、わずかに血が流れた。今までのやり取りでは聞いたことのない、月瑤の低い声音だった。
男はよだれを垂らしながら、息も絶え絶えに答える。
「し、知らねえ……取引相手は顔を隠していた……」
「依頼内容は?」
「せ、清蘭を殺せ……」
さっきも「清蘭の死をご所望」とか言っていた。
心当たりがまったくない。
「た、頼む、命だけは……がっ」
月瑤が男の首裏を強く叩き、男は気を失った。
ガクン、と男の体から力が抜けたのを確認して、月瑤は立ち上がる。
「清蘭様、一度後宮に戻り、報告しましょう。こいつはしばらく起きませんから、武官たちに回収してもらえばいいかと」
「は、はい……」
緊急事態により、月瑤の砕けた喋り方が敬語になっていた。わたしはその提案に従う他なかった。それが一番正しいと思ったし、自分ではどうすればいいか、わからなかった。
「月瑤、本当に強いですね……」
感嘆が漏れると、月瑤はいつもの調子に戻った。
「そう? あいつが弱かっただけだよ」
ゴキゴキと指を鳴らす彼女は、先ほどの可愛らしい少女の印象とは裏腹に今だけゴリラに見えた。
「それより、後宮に急ぎましょう」
「あ、一つだけ……」
くるり、と背を向ける彼女にわたしはおずおずと声をかけた。もしかしたら「こんなときに」と怒られてしまうと思ったが、提案せずにはいられなかった。
「なんでしょう」
「釣れたハゼを持ち帰っていいでしょうか……?」
わたしの問いに、月瑤はポカンと口を開けた。猫のフレーメン反応みたいな顔をしている。
や、やっぱりダメかしら……?
「く、くく……」
半開きだった月瑤の口元が次第に弧を描く。
「あっはっは! 変な人!」
月瑤はお腹を抱えてのけぞった。
何もそこまで、とは思ったが、自分もこの状況に適さない発言だった自覚があるので、わたしは大人しく月瑤の笑いがおさまるのを待った。
ひとしきり笑い終わると、月瑤は「はーっ」と息を吐く。
「いいでしょう! ハゼ、持って帰りましょう!」
「ありがとうございます!」
わたしは両手を顔の前で組み、お礼を言った。
「ていうか、ハゼはまだ生きてるんですかね?」
「ハゼは生命力が高いですから」
桶に水を汲んで、地面で瀕死になっているハゼをつかみ入れる。ぬるっとしていてつかみにくいし、手が少し汚れた。
ハゼは水を得た途端、ビチャビチャと活発に桶の中を動き回る。
「ね?」
「すごい! それじゃあ、清蘭様が桶を持ってください。アタシが清蘭様を背負って走りますから」
なんでもないふうに言うと、月瑤はわたしに背中を向けて片膝をつく。
背負って走るって、すごくない……?
わたしは桶を、月瑤が釣り竿を持つことになった。
おずおずとその背中に乗る。柔らかい女の子の背中だ。この子が、わたしのために身を挺して暴漢から守ってくれたのだ。
こんな、小さな背中で。
……わたしなんかのために。
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